感想

くらげなす漂うアメリカンアパレル

キットチャンネルのコメント欄に女神たちが降臨している

昨夜はyoutubeのキットチャンネルのコメント欄が面白すぎて眠れなかった。以前のエントリで、キットチャンネルのファンにはシスジェンダー女性が多い、その大部分は彼らをクリエイターとしてではなく男性アイドルとして消費しているのではないか、などと書いた。だがコメント欄を熟読してみると、ファンの中にはFtM当事者、Xジェンダー、ゲイ、バイなど、さまざまな視聴者(リスナー)がいることが分かった。

「コメント欄を熟読って、どんだけ暇人やねん」という突っ込みが聞こえてきそうだけれど、ぜんぜん暇じゃないんさ。仕事も家事も仕事以外のたのまれごとも返してないメールも山積みである。もういやになるんである。そんな私の現実逃避に、youtubeのコメント欄はうってつけなのであった。という必死の言い訳なのであった。ほんとは性格わるいだけである…。やんなるぱんちゃー!!!!

 

私のセク

自分のセクシュアリティくらい書いておかないと安全圏からの、あまりにも安全圏からのブログちゃんだよね。

私のセクシュアリティはパンです。誰かを「男として」「女として」好きになるというよりも、「その人として」好きになる感じなので、バイではなくパンセクシャルな気がしてまふ…。説明がめんどくさいのでバイだと言っちゃうことが多いのですがそこは反省してまふ。ジェンダーは女です。

炎上じゃないってはっきりわかんだね

いままで、炎上の渦中にいる群衆にも、それぞれ役割というものがあるのだなと感じてきた。「(対象物を)批判する者・擁護する者」そして、「(批判者擁護者の言い争いを)仲裁する者」。たいていこの3つに分けられるように思う。

批判者、擁護者、仲裁者がいて初めて、炎上の炎はぼうぼうとめらめらとぱちぱちと燃え上がるのだ。そういう意味では、キットチャンネルのコメント欄は炎上していない。

まず批判者と擁護者の数が少ない。少数の批判者と少数の擁護者がいるが、両者のあいだに言い争いはない。よって仲裁者もいない。なぜ両者のあいだに言い争いがないのかというと、当該動画は「賛否両論ある」ものではないからだろう。乱暴な言い方になるが、炎上とはたいてい賛否両論ある案件に起こるものなのではないか。

さて、いったいキットチャンネルのコメント欄にはどんな人たちがいるのだろう?

女神だ。

女神だらけだ。

西洋的なフェミニズムの世界では、母性というのはまったくの神話であり、母性本能というのも女性差別を助長しかねない言葉である。それと同じで、母性を感じさせる、女の面倒見のいいコメントを「女神!!!!」と礼讃するのも、女性差別を助長しかねないのかもしれないがあえて言わせてもらう。

女神ばっかりのコメンツ欄やんけ♪

まるで、息子に対する母親のアドバイスびっちりお手紙を読んでいるかのようである。みんなめっちゃ優しい。この女性性ならぬ「女神性」は、男性陣にも宿っている。FtM当事者さんなどのコメンツも、読みやすくて、ていねいで、その人らしさがこもっているものばかりである。男子も女神だ。いままでキットチャンネルを支持してきた視聴者は、心が柔軟で、優しくて、他者への共感性に長けている人ばっかりなのだろう。それは、もともとキットチャンネルの2人が、そういう人物だったからなのではないだろうか。類は友をよぶのだ。

 

まだモヤモヤしている視聴者もいるだろう、と思う。コメント欄には、何度も何度もコメントしているユーザーがいた。しかも、Twitterでも英翔はんに絡んでしまっている。その熱量とダークサイドにおちた感……。嗚呼、はやくモヤモヤを解いて、いつもの日常に戻って、心を平和にして、と私ははたから見ていて苦しい思いがする。

人を傷つけずにはいられないというかなしみ

英翔はんは、アンチに物申す動画の中で、「こんなコメント誰も幸せにしてない、そのコメントをする労力が無駄、さびしい人」などと言っている。上述のTwitterでも「さびしい人」発言をしていた。私は、英翔はんとファンが絡んでいるTwitterを見た直後に、なんだかとっても悲しくなってしまった。そしてキットチャンネルにかんするすべてのページを閉じた。その直後、金原ひとみbunkamura(ドゥマゴ)連載中エッセイを読んで泣いた。

死ぬまで誰も傷つけたくない。誰の心も体も、傷つけたくない。―街に溢れるハラスメントや中傷の言葉、ネット上の罵詈雑言、全てが耐え難い。―傷つけたくないという思いがまた誰かを傷つけ、自分自身も傷つけていく。

金原ひとみ/パリに暮らして/最終回『ピュトゥ』)(※ーは中略です)

なぜ、相手を傷つけてしまうような言葉を、人は選ばずにいられないのだろう。おそらく、相手や自分を守ろうとして放った言葉が、たまたま無数の針を含有していたとか、そういう、偶然に因るところもあるようなことなのだろうけれど。それでも悲しい。

人は変わらずにはいられないというかなしみ

手話の動画が出ていた頃と、いまと、奏太くんの変移を見比べてみると、いわゆる「パス度」が上がっているように思う。以前はまだ中性的な部分が残っていて、それがまたひとつの魅力であったようにも思う。だが、それはかなしゃすの望むところではない。服装も髪型も、どんどん男性ホルモン感マシマシになっていっている。もちろんファッションだけでなく、肉体的にもホルモン剤の筋肉注射を打ちつづけているわけだから、どんどん男性ホルモン系の容貌に変わっていっているのかもしれない。2人は別の動画で「ホルモン注射を打ち始めのころ、思春期の男子のようになる」と言っていた。それが事実なら、ホルモン注射を打つたびにゆっくりゆっくり、身体、そして身体の変化につれてマインドも変化していっているのかもしれない。

だがこれは、何もホルモン注射を打つトランスジェンダートランスセクシュアルに限ったことではない。人は誰でも、おそろしいほど、変移していくものなのだ。

大好きだったアーティストが、時を経て表現方法をころりんこと変えてしまうことはよくある。ピカソだのゴーガンだのもそうだ。変わらない人なんていない。でも、人は相手に、変わらないことを、求めてしまうのではないだろうか? 「私はいまのきみが大好きだから、変わらないでいてよ」みたいな感じでさ。

だからもしかしたら、ずっと前からキットチャンネルのファンだった視聴者は、「変わらないでほしい」という純粋な気持ちを決定的に裏切られて、より傷つき、悲しくなったのかもしれない。

でも人は変わるんで、がんばって受け入れなきゃですよ…。ええ。それはしゃあない。

相手が変わりゆくなかで、「もはや自分が好きだった相手ではない」という地点というものが時間的空間的に存在するのかどうかはわからぬ。しかし高校時代からズッ友達とかだと、たぶん自分が好きだった相手でなくなった後でも、その名前と輪郭だけで、安心したり、一緒にいて落ち着いたりするのではなかろうか。

ホルモン剤のけん、偏見を助長しないかと不安なんだけどどーだろ。べつにホルモンで誰でも変わるとかじゃぜんぜんないからね!!個人差ありまくりだからね!!そこのところよろしくな。)

 

 ↑大好きなしぇんぱいが変わっちゃうんよね。どっからどこまで好きなんだろね。

人間関係はあるいみ幻滅の連続ですからな~

じつはここまで、コメント欄だけ読んで、ライブ配信の動画を視聴していなかった(だって怖いんだもん)のだがいま見た(ブログ書くのに何時間かけんねん・・)。それでわかったんだけど、視聴者が嘆いている、いちばんの理由は、やはり幻想破壊なんじゃないかな……。「苦労を重ねて、傷ついた経験もあって、きっと人間性が深いだろう!」と想定していた大人の男たちが、じつは普通のめっちゃ浅い男子だったという事実。その幻滅を嘆いていて、親のように教え諭そうとしたり、ブチギレたり(一部)しているのかもしれない。

だけれど、夫婦とか、恋人同士でも、幻滅の連続だったりするものだ。べつに今回のことでキットチャンネルが伸びなくなるとかはないかもしれんね。

 

・だけどポリコレ棒でたたかれること間違いなしのインド人動画は、消したほうが100パセントいい。それこそ誰も幸せにしてないのよ。(モデルがいるからいいと思うかもしれへんけど、「インド人と当てる」なんて趣旨はやべえ。日本人全体を不幸にする動画やと気づいてほしい…タノム!)

 

・「女々しい」はさ、そりゃ男にも女性性はあるし、女にも男性性はあるんやで!

ジェンダーで完全に性別を排している人もいるのかもしれない。でもそれ以外のひとたちは、基本、女性性と男性性両方持ち合わせているものなんやと思うよ。ぷにぷに

 

 

実録 泣くまでボコられてはじめて恋に落ちました。(1) (BUNCH COMICS)

実録 泣くまでボコられてはじめて恋に落ちました。(1) (BUNCH COMICS)

 

 →(再度)神漫画

気圧鬱で3日間キットチャンネルに恋してた話

この3日間、私はベッドから出られず、人のLINEも受け付けず、メールも返さずにいた。どうしても書かねばならぬ文章だけちょこちょこと書いて、あとはタオルケットにくるまってiPhoneを手にただじっとYouTubeを見ていた。

 

YouTubeのおすすめ動画にキットチャンネルがでてきた

 YouTubeを見る時の私というのは、たいてい憂鬱な気分に陥っていてベッドに張り付いている。暗闇で、スマートフォンで視聴できるYouTubeは、なんにもしたくない時の「ひたすらだらだらしたい」という気分にうってつけだった。その日、いつものように憂鬱気分に捕らわれた私は、ベッドでごろごろしながら「えむれなチャンネル」を見ていた。それから、オススメされた「しばなんチャンネル」の出産感動動画を視聴したのちに、なぜかオススメ動画の中に現れたのが、「キットチャンネル」だった。

わたしとFtM

「キットチャンネル」は、FtM(フィメールがメールに。トランス男性)の「英翔」と「奏太」の運営するチャンネルである。私の知るトランス男性といえば、まず思いつくのが漫画家のぺス山ポピーさんだ。その他、いまは疎遠で連絡もとれないような知人が幾人か、頭の中に浮かんだ。だがそれらの知人は、どちらかといえばFtX(フィメールがXに)という感じだった(というかBOI)。性自認は男性寄りで、身体は女性、となるとFtMっぽいが、当人が自分の身体の女性的特徴を肯定している場合はFtMではなく、FtXという感じがする。そういう場合もあることを考えると、性というのは、ぱっきりとは分別しかねるもので、グラデーションという先人のたとえがぴったりくる。ともあれ、FtXっぽい人しかリアルには知らなかった私は、性適合手術を受けて性別をスイッチ=移行したトランス男性をこの目で見るのは初めてだった。(MtFはてれびでよくみるし、2ちょでもみる)

 

「キットチャンネル」には、「元女子あるある」などトランス男性ならではの知見や悩みを披露する動画がアップされている。そのほか、「ドッキリ」や「カップルユーチューバーあるある」などこれぞyoutuberという感じの動画(※にわか視聴者の意見です)が上げられている。他に多いのが旅動画(台湾やタイでのフリーハグヒッチハイクLGBTにまつわる街頭インタビューなど)で、これも同チャンネルの大きな特徴となっている。

シスジェンダー女性の共感を得やすい

キットチャンネルの片方「英翔」は、祖母だけ日本人で中国語が話せる。家族がばらばらになったり、また戻ったりと、山あり谷あり、苦労の多い半生をおくっている。筆者の私自身とも重なる部分があり、好感ももてた。

そしてもう一方の「奏太」は、両親が聾であり、手話ができる。大阪出身で、関西弁も話せる。23歳まで性適合手術を受けず戸籍も女性だったそうだ。当時の写真を見ると、化粧をしていたり、髪を伸ばしていたりと、「女になるためにがんばってた」感がある。つまり、「与えられた身体的な性に従って生きねばならない」と、もがいた時期があったのだろう。これはじつは、シスジェンダー寄りの女にも、かなりの共感性のある話題なのである。誰もが最初から「うぉんな!」だったわけじゃない。歴代糞男たちの決めた糞みたいな女らしさだって、身にまとえば槍&盾になるのだと拙い知恵をつけてしまうのが日本人女性ではないだろうか。そんなのは、他者の決定した「清潔感」を身にまとうのとまったく同じような迎合である、と私は思う。のだが、まあとにかく、「女になるためにがんばってた」時代がある「奏太」は、多くの女性の共感をかっさらっていったのではないか、と想像する。そして彼は、あまりにも、あまりにもイケメンだった。男としてかわいかった。その仕草や、笑顔のつくりかた、笑いかた、手話、やわらかな関西弁、もうなんかぜんぶに恋をしてしまうような。そう、この日記は、じつは奏太もとい「かなしゃす」に恋した3日間をふりかえる日記なのだ。。。

※うわああああああああ読まないでえええ

私はかなしゃすの手話動画を何度も再生し、かなしゃすが別れ話をしているカップルユーチューバーあるある動画や、かなしゃしゅが浮気されるドッキリのカップルユーチューバーあるある動画を見漁った。そして「はぁ、なんなの、好き」「元気出る・・」と心のなかで甘いためいきをつきまくりなのだった。そんな自分にキモイ真似はやめろ(怒)とぶちぎれる余裕もないくらいにハマっていた。

奏太はんのTwitterを見てもたいしたことは呟かれていなかった。私はそのおもんなさに愕然とする一方で、「だがそこがいい!!!!」と結論づけていた。たいてい、人は相手のにんげんらしさ(抜け感)に恋をするのだから。じっさい、いつも、いっつもそうやってこいにおちる。

コメントに反応する動画

ところで、私はYouTubeをゲスト利用(?)しているだけで、チャンネル登録はしたことがない。チャンネル登録をするとコメントが付けられるのだろうと思う。それらのコメントを見てみると、英翔と奏太の2人を男性アイドルだと思ってる感じのシスジェンダーっぽいコメントが多いのだった。

さてさて、長くてどうせ誰も読んでないんだろうけれど、昨日のことである。

YouTube「キットチャンネル」が更新したのは「【注意】不快な方は見ないでください。」という動画だった。サムネイルには眉間にしわを寄せた2人の顔、そして「アンチコメント 物申す」というカラフルなテキストがどかんと掲げられている。

動画では、英翔氏が、レイシズムを感じさせるもの、偏見を感じさせるアンチコメントなどをピックアップして、いつもの長広舌で反論している。そこまではいつも通りだった。だが後半以降、2人はNOTアンチコメント(「黒髪のほうが似合ってた!」とか「かっこいい♡」とかいう、恋してあほうになっちゃった女たちのコメント)に対しても愚痴をいいはじめたのである。これは、いままでの動画で培ってきたものを唾棄するかのような愚痴大会である。なぜこのようなことをしたのか、もし2人にメリットがあるとすれば、炎上商法かな、と思う。

「男性アイドルとして消費されるつもりはない」のでは?

炎上を狙っているのかしらと思わせる理由はいくつかある。動画の制作工程には、企画段階というものがある。企画段階で「お酒の力を借りて」という設定をつくったのだとすれば、それ自体にアンチホイホイ感が満載である。そして動画制作に欠かせないのがカメラ撮影後の編集作業である。編集は時間がかかるし集中力がいるので、酔ってちゃできない。それなのに、酔っぱらいの失言をカットせずに、むしろそれを生かして動画を作ってしまうというのはもう…。

もしも、炎上など狙っていない!率直な意見を主張しただけ!…というのなら、おそらく2人は「消費されたくない」のだろう。男性アイドルとして消費されるよりも、クリエイターとして影響を与えたいというような願望が、2人にはあるのだろう。

だとすれば、私は自分を嫌悪する。男性アイドル消費的なかたちで2人の動画を見ていたことを、まじきもいこんな自分もうやだぁぁぁああ><。。。。って嫌悪するです。

恋すると元気なあほになる

コメント欄を眺めていると、女(男を好きな心のことをここでは女といいたい。)たちの言い分がたっぷりと載せられていて面白い。みんな恋してたんやな、と思わされる。恋に幻想はつきもので、その幻想が壊されたときの、女の情念だいばくはつが見られる。こういうのを外で見ているのは面白い。チャンネル登録していなくてよかったぁと思った。(してたら、私も女の情念ねっちねちこねこね♪してたんちゃうか、間違いなくしてたな、てかいまもある意味してるよね・・

ありがとうきゃにゃしゃす!

2人は、「外貌じゃなくて動画の中身を見て欲しい」と、主張していた。(まるでビジュアル系と呼ばれることを嫌いMステのスタジオから立ち去ったとあるバンドみたいに)

でも、奏太くんが私好みの外貌・仕草・うごき方・喋り方でなければ、たぶん私は動画を2、3本みて、終わらせていたのではないだろうか。もしかしたら日本のLGBTsの新たな情報発信源としてブログに載せていたかもしれない。親指Pとかリリースとかの小説紹介と並べて紹介していたかもしれない。でもそうはならなかった。かなたくんをアイドルとして消費していたのかもしれないということに気づき、そんな自分を嫌悪するから。

というわけで私の恋は冷めたけど、かなしゃすの人間としての魅力は変わらない。

 

(しかし、この動画がじつは次作動画の前振りだった!とかであればいいな。彼らの発言とアティテュードがぜんぶ演技であればいいな。 としつこい。)

はらへった~ 

 

 

実録 泣くまでボコられてはじめて恋に落ちました。(1) (BUNCH COMICS)

実録 泣くまでボコられてはじめて恋に落ちました。(1) (BUNCH COMICS)

 

 神漫画↑

三島由紀夫賞受賞きねん。古谷田奈月『橙子』

 

文学ムック たべるのがおそい vol.4

文学ムック たべるのがおそい vol.4

 

 

 

『無限の玄』で第31回三島由紀夫賞を受賞された古谷田奈月さん。

あー好き好き好き好きがとまらなっしんぐ。

そんな受賞記念の文章を書いておきます。長くなりそうでこわうぃ。

 

まずは、たべるのがおそいvol.4 古谷田奈月(こやたなつき)の短編『橙子』について…

 

あらすじ

高校の入学式を終え、父親と2人でバスを待つ主人公、橙子中学とのいちばんの違いは、橙子のベストフレンド花緒里がそばにいないことだ。花緒里は美人で、どこか主役級のオーラを持った子である。しかし、そんな魅力たっぷりの花緒里でも、同級生の矢俊(ちかとし)君に熱烈アプローチをして何度もふられ、やっと付き合ったものの交際1年でまたしてもふられてしまう。ちかとし君は、外見はかっこわるいけれど、豊かな想像力をもった優しい男子だ。なぜ、彼が彼女をふったのか、それを知った時、橙子は痛いほどの共感を覚えたのだった。――高校の入学式の帰りのバス停で、さまざまに思いをめぐらせながらバスを待つ橙子だが、そんなセンチメンタルもままならないほど、じつは、さっきからイライラさせられている。ムカつきの元凶は、一緒にバスを待っている、ちんちくりんパパである。橙子と同じくらいの背丈のこの親父は、見た目もさることながら中身も「かわいい」。16歳になろうとしている橙子は、このいじましいブリッコオヤジに嫌悪を覚えはじめている。親父は娘の内面で起きている精神殺傷事件に気づきもせず、かわいこぶりっこをしつづける。いまやバス停に並ぶ同級生たちも認めているカワイイパパを、自分だけは認められない、そんな自分の冷たさに自分で傷ついてしまう橙子だが…。

 

感想

「天才っていわれると、努力してないみたいで嫌や」って最初に言ったの誰ですか? パヤオ? パヤオなら許す。おれら観客。努力云々なんて頭にない。結果を礼讃するのみ。だからこっちもそんなつもりで言ってないってわかってほしい。「天才:きみのつくるものに対してわたしは最上級に感動したよ」ってニュアンス汲んで。タノム。

 

なーんて、でも、やっぱり、わかるよ。褒めるなら、もっとちゃんと、的確な言葉で伝えてほしいんだよね。んもー贅沢な。

 

で、古谷田奈月(さん)!天才。神。短編でこんなに泣かせるなんて。なんだろね、こういうの、においがするというのかな。苦しいほどの、喚起させられ体験。私、中学生の頃、周囲に対してね、橙子が父に抱く何かに似た何かを抱えていたよ。で、それは、けっして馬鹿にできない、ほんもののプライドのようなものだったのだと、『橙子』を読んで、過去を再編集したよ。ほら、ひとは思春期をゆびさして嘲笑う。揶揄や自虐のための造語も産まれてしまった。(まーいろいろあるよ、わらうことが、救いにもなるよわかる、)だけど、そのころの多感というのは、嘲笑すべきものではないんだよね。自分自身の心の動きに対して傷つくという経験を、みんな、経て、やっとこさ生きているんだと思うから。 

代表作かもしれん『リリース』

精子バンクテロ。二転三転するストーリーと、魅力的なキャラクターたち。むりのない、手にやさしく馴染むフェミニズムにほろっと心がほぐれる。

古谷田奈月の台詞回しはね、翻訳調とはまた違う、アメリカ映画字幕節っていうかな、たまんねーのさ。外国映画ファンには脳内映像再生不可避よ。なんか、読んでて、ブロードウェイ。身体揺れちゃうもん。

まあとにかく、おもしろいから読め(キモオタスマイル)

(キモオタスマイル)←使い方あってるかわからないし、村田紗耶香の小説にでてくる迎合マンみたいで嫌やけど、でも、なんか好きで、おもちゃみたいに、遣ってしまうなぁ。だからあかんねん、わたしわ。。

 

リリース

リリース

 

 

 

『無限の玄』

メンバーは肉親のみ!のストリングバンド「百弦」をいとなむ男だけの家族の話。死んだ父が何度もよみがえるらしいのだが、新潮で途中までしか読まれへんかってん。早稲田文学の増刊号に掲載してたんやけど、買ってないの。。それに、「文芸誌で読んじゃったら単行本のほうを買わないあるある=著者は原稿料だけになっちゃう…応援にならねぇ……」なので、単行本でたらソッコー買ってレビューします。とりあえず、インタビューに答えた著者古谷田奈月によれば、最初の夜、リビングに降りたところで世界が変わるらしーんだけど、マッジッで!!!!じかんがゆっくりになったマジック。言葉って魔法だったね。

好きです。

 

第31回三島由紀夫賞候補作は、服部文祥『息子と狩猟に』古川真人『四時過ぎの船』高橋弘希『日曜日の人々(サンデーピープル)』飴屋法水『彼の娘』古谷田奈月『無限の玄』です。受賞者インタビューのほか、辻原登、髙村薫、川上弘美町田康平野啓一郎による選評も読めます。 

新潮 2018年 07 月号

新潮 2018年 07 月号

 

 

ムーン・パレス

ムーン・パレス

 

ムーン・パレス (新潮文庫)

ムーン・パレス (新潮文庫)

 

 

ポール・オースター

柴田元幸

新潮文庫

 

 

 

登場人物

マーコ・スタンリー・フォッグ:通称MS。この小説の主人公で語り手

ビクター・フォッグ:主人公を育てた伯父さん。クラリネット奏者

エミリー・フォッグ:主人公がこどもの頃、車にはねられて亡くなった母親

キティ・ウー:主人公の彼女。チャイナドレスが似合う

デイヴィッド・ジンマー:主人公の友人。詩を書いている。のちに家庭のパパに

 

トマス・エフィング:主人公を雇った車椅子の盲人。威張り散らす金持ちジジイだが…

パベル・シュム:故人。エフィングの以前の雇人。車にひかれて亡くなった

ミセス・ヒューム:エフィングの家政婦。主人公に多くを教えてくれた

チャーリー:ミセス・ヒュームの弟。長崎原爆投下計画にかかわり発狂した

 

ジュリアン・バーバー:エフィングの本名

ソロモン・バーバー:ジュリアンの息子。160キロの巨漢

エリザベス:ジュリアンの妻であり、ソロモンの母親。重い精神疾患を抱えている

 

エドワード・バーン(テディ):18歳。ジュリアンの友人。地誌学者になるのが夢

ジャック・スコーズビー:40代後半の山岳ガイド。口のうまい小男

トム:洞穴の死体

ジョージ:「口裂けジョージ」。トムの友人。頭のたらない、優しいインディアン

グレシャム兄弟:犯罪者コンビ。洞穴の死体、トムを殺した犯人

 

 

 

あらすじ

1章:主人公は、ニューヨークのアパートで一人暮らしをしている大学生MS・フォッグ。1967年に唯一の肉親であるビクター伯父さんを亡くした時から、精神の縁をさ迷い始める。ビクター伯父さんの遺産である1,492冊の蔵書を読んでは古本屋に売って、微々たる金銭で暮らす。友人ジンマーや、のちに彼を助けてくれるキティ・ウーとすれ違いつづけていた1969年の夏、電気代を払えず、家賃も払えず、アパートメントから追い出されてしまう。

2章:1969年8月。セントラルパークでホームレスな暮らしを始めるMS。伝染病にかかり烈しい嘔吐をする中、パーク内に洞穴を見つける。そこで三日三晩雨風をしのぎ、出てきたところをキティ・ウーとジンマーに救出される。

3章:9月。ウェストヴィレッジのジンマーのアパートに居候する。偶然が重なり徴兵から逃れる。台湾出身、元在日大使の子でジュリアードの学生(ダンス専攻)のかわいこちゃんキティ・ウーと恋人同士になる。シンクロするフォーチュン・クッキー

4章:11月1日。86歳、車椅子の盲人トマス・エフィングに雇われる。ウェストエンド・アベニュー84丁目のエフィング宅に住み込んで、朗読や車いすを押しての散歩などの業務に従事。エフィングがMSに課した最も重要な仕事=死亡記事の作成に携わる。エフィングの語るエピソードを聴き、それをノートに書き留める。

この、エフィングの語る自身のエピソードは4章~5章における作中作といっていいものになっている。4章では、若かりし頃のエフィング(ジュリアン)が仲間のバーンと一緒に旅に出て、壮絶な体験をしたことが語られる。

5章:エフィングの語りの続き。あやうく死ぬところだった彼が、洞穴を見つけたために生き延びるというエピソードである。MSはノートに書き留めたエピソードをタイプライターで清書する。

また、エフィングには息子がいるということを知らされる。ソロモン・バーバーである。死後、この息子ソロモンに死亡記事を送ってほしいと遺言されるMS。

6章:エフィングが亡くなったあとで、死亡記事を指定された場所に送る。エフィングの遺産により、キティとチャイナタウンの一角に200平米のお部屋を持ち、素晴らしい日々を送ることができる。

エフィングの息子で巨漢のソロモン・バーバーと会い、キティと3人で仲良くなる。

だが、キティとの間で避けがたい諍いが起き、別れることとなる。

7章:絶望したMSはソロモン・バーバーと一緒に、(エフィングの死亡記事にあった)洞穴を探す旅に出る。やがてある事件が起き、物語は収束へ向かう。

 

 

感想

・1章で卵星爆発したあたりから、「なんでこのひとバイトしないん?」って思っちゃってた。その理由は3章に、冗談めかしながらも書いてあった。

「人間の人生というのは、無数の偶発的要素によって決められるのです。人は日々、これらの衝撃や偶然に耐え、何とか平衡を保たんとあくせくしています。2年前、個人的かつ哲学的理由から、僕はこの苦闘をやめてしまおうと決意しました。―(中略)―世界の混沌に身を委ねてしまうことによって、何か隠れた調和を世界が啓示してくれるんじゃないか、おのれを知るに役立つ何らかの形なりパターンなりが見えてくるんじゃないか、そう思ったのです」

※ちなみに、徴兵検査の精神科医との面談でかました、この「迷演説」でもってMSは徴兵を免れる。

 

・私の好きなパートは、4章~5章のトマス・エフィング編。魅力的な逸話の数々に参っちゃう。テスラを透かす諸行無常電気椅子を生んだエジソンの殺生パフォーマンス、ブレイクロックの静かな絵画。ポール・オースターのすさまじい描写力が柴田元幸と官能的にダンスしてる。らぶ。

 

「空の中のある一点を基準として定めなければ、地上における自分の位置を正確に決めることはできない、とバーンは言った。―(中略)―月や星との関係においてのみ、人は地上での自らの位置を知ることができる」

エフィングが感銘をうけ、ことあるごとに思い返してきたバーンの言葉は、MSが「自分より大きなもの」を知ってからやっと始まりの地点に立てたこととリンクしている。物語には他にもこのように、リンクする箇所がふんだんに散りばめられていて、キーワードキラキラ光って見える。ムーン・パレス、フォーチュン・クッキー、太陽と月と地球、惑星がしかるべき位置におさまらない限り笑わなかった母親、月を旅する人、ナバホ族の髪飾り。

もうさ、キュンキュンしかしない。らぶ。

 

・エンタメのにおいのついた楽しい仕掛けがいっぱいの小説なんだけど、それだけじゃなくて、心にずーっと残ってくれる。なんかほんと、しあわせだー。

 

いわばそれは世界の不可解さの結節点だった。

 

・自分が貧乏学生だったころを思い出したナー。パスタゆでて、ケチャップだけつけて食べてた。1日にグレープフルーツ一個ってこともあった。脚がいたくてもヒールを履いた。そして野宿、野宿野宿。いくつものおうち、洞穴。MS、わかるぜ、ひとりでゲロを吐くときが、いちばん、孤独だよね。

 

 

 

 でてくる本detekurubon 

 本書ムーン・パレスでも出てきた、ウエスト・ヴィレッジの飲み屋ホワイト・ホースがでてきます!ニューヨーク旅きぶん。

オラクル・ナイト

オラクル・ナイト

 

 

 セントラル・パークをまた違った目でめっちゃ見る!

スーパー・サッド・トゥルー・ラブ・ストーリー

スーパー・サッド・トゥルー・ラブ・ストーリー

 

 

言葉無き言葉『ヘビトンボの季節に自殺した五人姉妹』ザ・ヴァージン・スーサイズ

ヘビトンボの季節に自殺した五人姉妹』ジェフリー・ユージェニデス

早川書房

 

ヘビトンボの季節に自殺した五人姉妹 (ハヤカワepi文庫)

ヘビトンボの季節に自殺した五人姉妹 (ハヤカワepi文庫)

 

 

今週のお題は今書きたいあの人へのラブレターっつうことで、ソフィア・コッポラの映画ヴァージン・スーサイズとしてあまりに有名なこちらの作品をご紹介します。自殺小説を探しているかたにもおすすめ。

 

あらすじ

アメリカ郊外に住む厳格な教師一家の5人姉妹の末娘、セシリア(13歳)が自殺した。残された4人、ラックス(14)ボニー(15)メアリイ(16)テレーズ(17)。

語り手は、そんな4姉妹を憧れとリビドーのもと見守る「ぼくら」。

厳しい両親のせいで自由を制限されている4人姉妹だったが、「ぼくら」は姉妹たちの父親を説得して、学校のパーティへ連れ出した。しかしその夜、ラックス(14)が門限に遅れてしまい、母親をブチギレさせてしまう。

この門限破り事件により、外出禁止となった4人姉妹。

最初は学校だけは行かせてもらえていたが、のちにそれすらなくなり、スーパーウルトラマックス引きこもり状態になる。

教師だった父親も、職を辞してしまう。

母親も家事をいっさいしなくなり、Amazonプライムさえ退会してしまう始末。

やがて、引きこもり一家の邸宅は物理的に荒廃し、近所中に得体の知れない臭いが漂い始める。

末娘セシリアの自殺から1年がたつ頃、残された姉妹たちも次々と自殺した。

「ぼくら」は何もできなかった。

姉妹の自殺から何十年経っても忘れることができず、いまだに、その記憶にまつわる事物・証言を収集している。

 

ひとこと感想

生きている時がイキイキだから、死もまたずっと記憶に残る。

ヘビトンボの季節=6月。しかし、見た目やべえ・・・

ソフィア・コッポラの映画、美しひよね。早川書房(ハヤカワepi文庫…♡しゅき!)の装丁も、ジャケ買い続出な美しさなのよ。(お花の写真はLaura Johansen/Botanica)

映画を観たのはもう何年も前なので、ヘビトンボのイメージって「ブゥーン…靄ぁ」みたいなふんわりとしたものだったのだ。

それが、Wikipediaで写真を調べてみたらどうだろう。どこまでも虫だった。

 

 

虫~虫~めっちゃ虫~害をなす虫~♪

 

ちなみに、ヘビトンボの季節=6月である。命は24時間と、蝉よりも短い。ゆえに、儚いものの喩えになりうるのである。

しかしさ、

車や外灯を覆い、公設桟橋を塗り込め、ヨットの帆や柱に取りつき、いつ、どこを見ても、同じ茶色の空飛ぶ泡が漂っているというありさ

って、あの見た目のグロテスクなヘビトンボが群れをなして大量……

つらい…………。

美醜をたっぷり味わえる小説なのです

 

「命儚い」って美を感じる事象だけど、「虫」キモイじゃん。

きもいきれいきもいきれい♡ 美があるから醜があるのだ。うん。

 

ラブレターは電話で音楽

童貞オブザ童貞(←童貞になれなかった女筆者の嫉妬からくる若干馬鹿にしたような響きを感じられたかたには謝罪します。)の「ぼくら」。

ぼくらは、4人姉妹に向けて、さまざまなメッセージを送る。

なかでも青春色の強いのが、電話越しにレコードをかける一連のシーンである。

D☆T☆祭りだワッショイわっしょい(←嫉妬してます)な「ぼくら」は、自分たちの姉妹に対する気持ちを歌に載せてお送りするのである。

ビートルズ「ディア・プルーデンス」、ジャニス・イアン「17歳の頃」、ローリングストーンズやキャロル・キングのレコードをかけて、お互いにやり取りをする。

言葉無き言葉のメッセージを伝えあう。

キュンキュンですなぁ。

 

童貞魂・処女魂

話が変わってしまうが、私は学生時代、銀杏BOYZを愛していた。あの童貞のかほりに憧れたのである。童貞とは、私が逆立ちしてもなれなかったものなのだ。しかもしかも、私はアラサーになった今でも、手を変え品を変え、自分にもあるはずの童貞っぽさを発見しようとしている。DTスピリットを自分の中に見つけ、味わおうとしている。

無理だと、わかっていてもだ。だから中学生男子的な下ネタがやめられないのである。

 

ヴァージンでしかなかった私が童貞に憧れたのと同様、童貞でしかなかった「ぼくら」も、ヴァージンに憧れたのではないだろうか?

彼らが大人になって、妻もいて、こどももいても、いまだに「ヘビトンボの季節に自殺した五人姉妹」を探し求めているのは、もしかしたら、自分の中のヴァージン・スピリットを探し求めているからかもしれない。

 

1960年、デトロイト郊外出身

著者ジェフリー・ユージェニデスは1960年生まれの男性で、アメリデトロイトの郊外に生まれ育っている。

デトロイトといえば、自動車工業地として栄え、モーターシティとまで呼ばれていた地域である。それがオイル・ショックの時代を経て、不況に追い込まれていった。

ヴァージン・スーサイズの舞台はこのデトロイト郊外である。

 

自殺したのは何故? という基本疑問

自殺の理由については、物語内でもさんざん議論されている。

医者はセロトニン受容体不足というし、ジャーナリストは魔術的儀式の一環だったというし、末娘セシリアの後追いだという意見もある。

 

いっぽうで、「予言だった」という意見もある。

デトロイト郊外的な、退廃の一途をたどった地域の運命を、五人姉妹宅が予感し、地域の運命の予言として死んでいったのだという意見である。

著者の少女趣味的な描き方からいって、このオカルト風な結論にもうなずけるものはある。

そしてこのブログの筆者りょうごくらむだの経験からいっても、この説にはうなずけるものがあるッ。

自殺には地域的な何かが関連している気がするのだ……。それも、差別だとか、貧とか富とかじゃないレベルでの話である。ワイは転校生だったからよう知っとるのだ…。まあそれは長くなるからいいや。

でもやっぱ、虐待だおね・・・

ソフィア・コッポラヴァージン・スーサイズを観たときは、私自身幼かったというのもあってか、「5人姉妹の自殺理由=とくになし。だって理由もなく死にたくなることってあるじゃん?」との感想だった。

だが、大人になって、原作小説を読んでみると、ふつうに虐待受けてて辛かったんじゃないのかしら、と感じてしまう。最初に死んだ末娘セシリアはともかく、あとの4人姉妹はメシも与えられずがりがりにやせ細って外にも出られず…、もう、監禁ですよ。

で、セシリア!

「でも、先生は13歳の女の子だったことないでしょ」

というセシリアの科白を読むと、やはり彼女が死んでしまったのって、絶望のせいだね。いかにも、30歳の絶望と13歳の絶望をくらべると、後者のほうがしんどいのではという気がする。

ママンも含めると、セシリアにはロールモデルとなるはずの女が身近に5人もいた。

人間は真似しないと生きられない種族だ。ロールモデルが全員不幸であると敏感に感じ取った彼女が、絶望して死を選んだというのも考えられる理由の一つではあるだろう。

 

最後にちょっと、ふざけておくか…。ヴァージンっていうけど、ラックス処女じゃなくね? うん、そういうこといってるんじゃないゾという怒りはわかる。私も、ともだちに突っ込まれたらムカつくよ。そういうんじゃない、この無粋野郎がって思う。でも、なんかラックスが肉体的にはもう破瓜の血を流し済みということと「処女の自殺」を関連付けるときの矛盾について一切言及なかったよね。行間を読んでみたけれど、女優のつぼみさん的なあれでしかなかったような気がするのだけれど…。無粋でごめんなさい。

好きな人みんながデヴィ発言を支持したら

試着室で盗撮、真夜中の歩道で痴漢、知人宅で強制わいせつ

 

数か月前、アパレルショップの試着室で盗撮された。試着室の全身鏡には、下着姿の私とともに、カーテンの隙間をスーッと横切るスマホカメラが映っていた。動画だ。

一度ではなかった、2度目、3度目のスマホすい~っ。があった。すい~っ。すい~っ。まるでカーテンの波打つ海を乗り越える帆船のようなスマホ……などというフザけたメタファーをこの時点では思いつくはずもない。焦って服を着てカーテンを開けた。女性だらけのアパレルショップだが、少し離れたところに、男の一人客がいた。ちょっと挙動不審な感じがしなくもなかった。しかし、確証がない。なにより、まず、怖い。どういう種類の怖さなのか、いちばん簡単なところでたとえると、ゴキブリかもしれない。

六畳一間のマイルーム。この世界で唯一、心から寛げるプライベートエリアである。夏の夜、下着姿でゆったりとテレビを見ていたときに突如として現れた黒光りする害虫。ものすごい速さで壁を這い、いかにも危害を加えそうな害虫にそっくりである盗撮犯というのは。いやいや、ゴキブリならば、殺虫剤で殺せる。でも盗撮犯の場合そうはいかない。幸か不幸か、どこまでいっても人間同士の話となってしまう。 

 

夫・ザ・のっぺらぼう(夫に報告したら自業自得説浮上さびしんぼ)

私はアパレルショップから立ち去った。横断歩道を渡って、店の看板が見えないくらいのところまで遠ざかり、歩道のベンチに腰掛けた。気持ちを落ち着けようと、夫にラインした。

「盗撮された。こわい。店員さんに言ったほうがいいかな?」

夫は、「大変だったね」とねぎらってくれた。だが、店員には言わなくていいだろうとの意見だった。

「こわかっただろうけど、忘れるしかないでしょ。ていうか、おまえ、またぼーっとしてたんじゃないの?」

 

……ひどいよ~ダンナぁぁぁ(><)。。

 

私は数年前のことを思い出していた。真夜中の道で痴漢に襲われた時のことだ。外灯の少ない、真っ暗な道を歩いていたら、後ろから抱きつかれ、胸を掴まれた。

夫に話すと、「そんな遅くにふらふら歩いてたんだから自業自得だよ」といわれた。

怖かった。そこには、二重の恐怖があった。部屋にゴキブリが出て、しかし殺虫剤がなく、隣の家に借りにいったら、なんと隣人自体がゴキブリだった…!というような、のっぺらぼう系の恐怖、つまり孤独だ。

 

私よアンパンマンであれ

夫とのラインを終えたあと、しばらく立ち上がれなかった。頭のなかをぐるぐる巡っていたのは、フィッティングルームをうろついている男が、スマホを片手に、無防備な女性たちの動画を次々と盗撮するシーンである。そう。あのアパレルショップの女性客たちは、盗撮されまくるのだ。私が盗撮被害を黙っていることによって、止められたかもしれない犯罪がずーっと続くことになるのではないか?

私は意を決して店に戻った。店員さんに声をかけ、店長を呼んでもらった。かっぷくのいい男の店長だった。

性被害を訴えるには、心理的な難しさがある。話にはきいていたけれど、本当に難しかった。私は、おそるおそる、盗撮犯の特徴やスマホの特徴などを話した。被害妄想だと思われたらどうしよう!?・・という心配がずっと頭にあった。

でも、自分の行動により将来的に盗撮被害を減ずることができるならばッ!!と、子ども時代から抱いているアンパンマンへのあこがれを頼りに、がんばったのだった。

 

警察と共に監視カメラをチェック

警察の方と一緒に、監視カメラの映像を見ながら盗撮犯の姿を捉える、ということをした。監視カメラには犯行の瞬間が残っていた。それが証拠となり、私の被害妄想説(という被害妄想。)を打ち砕くことができた。ただこの監視カメラチェックには時間がかかった。夕方から予定が入っていたのだけれど、間に合わないと判断し、キャンセルした。

性被害を説明するんも心理的困難を伴うんや。起訴するとなるともう鬼。山。極み。

次に取るべき行動について、警察から2つの可能性を提示された。

A:被害届を出し、起訴する。

B:被害届を出さない。この場合、警察は同一犯による再犯防止のために多少動くが、犯人逮捕のために手を尽くすわけではない。

 

ほんとうの善き人ならば、労力や時間を費やしてでも、起訴などをするのかもしれない。それはわからない。これはもう、勉強不足なので、私にはわからないのだ。そのうえ私は、へたれであった。犯人の容貌特定に協力したことで自分が怨まれるのではないかと怯えて、帰り道も背後が気になるほどビビっていた。それに周囲の目も気になった。特に夫に「その程度で訴える?」みたいなことを言われると思うと、一歩が踏み出せなかった。

性犯罪者が爽やかイケメンという事実

盗撮犯の男性の容貌だが、きもデブ汗だく男では、まったくない。イケメンで細くて爽やかな男だった。草食系オシャレボーイといった感じで、女性だらけのアパレルショップにいても悪目立ちしないタイプだった。

 

「試着室でぼーっとするな」「夜道を歩くな」「男の家に行くな」は違う

性犯罪の被害者に対し、夜道を歩いていたから、とか、男の家に上がったからだとか、言う人が、必ずいる。まるで、被害者にも非があったかのような言い方をする。

それでは、性犯罪者の思うつぼなのである。

被害者は起訴しにくいどころか、身内にも、誰にも、性被害をうったえられない。それって性犯罪者にとっては、ラッキー以外のなにものでもない。

「おまえらサンキュー! これで強姦しても訴えられないって分かったワ!これからもやりまくるわ!」てなわけである。

おまえらは性犯罪に加担していることに、そろそろ気づいたほうがいい。

 

デヴィりんこ

強制わいせつ事件を受けて発信されたデヴィさんのブログ記事(キスだけちゃうかったと判明したことにより現在は削除されています。が、問題はそこじゃない)で、「夜、酔った男性のところには行かないほうがいい」というような、被害者にも非があるとするような発言がありました。

私が驚いたのは、この発言を支持する声の多かったこと、それを取り上げたニュース記事のコメント欄も支持の声で埋まっていたこと、さらにツイッターでも、女性側に非があったとかハニートラップ云々の声が上がっていたこと。

「私も以前、痴漢にあったけど、お母さんに言ったら「あんたがそんな恰好してるからでしょ」ってそれだけだよ。別に痴漢くらい我慢しなきゃ」

ツイッターには、上記のような性被害者からの意見も散見されました。で、おそらく、デヴィ夫人も性被害者だったのではないかと思うんだよね。。性被害者が、さらなる性被害者を生むというもうマジで凄惨な現場、それがこの世界なんですね。

FGM的な、あまりにFGM的な

エジプトやシエラレオネなどの一部のエリアには、FGM(女性性器切除)という土着の慣習がある。タイプはさまざまだが、割礼儀式と称し、女性が性感を得られなくなるように・浮気できなくなるように女性性器を切ったり縫い閉じたりする。

もともとは男性の支配感情から生まれたものなのだが、廃絶に至らないのは、女性たち自身がこの儀式を推進するからである。性差別は女性自身の手によってどんどん進む悶絶するような辛苦を我慢して耐えてきた人は、他者にも同じ耐性を期待しがちである。デヴィ系女子も、そうなのかもしれないよね。うちのおばーちゃんとか。

 

一人ひとりの発言で、性被害の増減が決まる。でもやっぱ難しいんだ。

アパレルショップ試着室盗撮事件から数日がたったある日、女友達と話す機会があった。そこで、私の人間不信パーセンテージはMAX値まで跳ね上がることとなる。

私は彼女に、盗撮されたことを打ち明けた。

彼女「あたし、乳首が大きくて目立つじゃん?」

私「うん」

彼女「でも、さいきんブラ付けるのめんどくさいから、Tシャツに乳首ぽっちーってなったままコンビニ行ったり、外ふらついてんの」

私「えげげ!? やめとけよ。あんた可愛いし、エロいティクビ主張してたら襲われるかもよ!?」

彼女「あはは」

私「いやまじで、キモイくそ男っているものだよ。私この前、フィッティングルームで盗撮されたもん」

彼女「えー? なにそれ(笑)勘違いじゃないの?」

 

ここにきて被害妄想説を恐れた伏線回収である。人生とはおそろしい。

勘違いと笑われ、信用していた女友達に裏切られたような気分だった。だがそれはたいした問題ではない。問題は私自身にあった。

乳首ぽっちーんが、なんだっていうのだろう? 

悪いのは加害者である。ぜったいに、加害者が悪いのである。

彼女がノーブラで夜道を歩いていて襲われたなら、それは、けっして、乳首ぽっちーんのせいではない。

究極、道端に全裸でいたとて、襲われたなら、100%、加害者が悪い。

分かっているのに、それなのに、私は、セカンドレイパー予備軍的な発言を、ほとんど無意識のまま堂々とやってのけたのである。

 

じこけんお

☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

加害者臨床の場で性依存症治療につとめる著者による。依存症治療についてかなり細かく知ることができる。「多くの痴漢は勃起していない」「『痴漢をしてもOKの女性がいる』という歪み」などさまざまな章に分けて丁寧に説明してくれる。また、痴漢や強制わいせつなどの性被害を訴えることの困難も教えてくれる。

男が痴漢になる理由

男が痴漢になる理由

 

 

同じく、性被害を訴える難しさや、世間の認識とのズレが胸に迫る『地球星人』。気持ちの悪いほどリアルな現実と、救いに満ちたファンタジーの境界で過ごせる最高の読書体験。芥川賞作家、村田紗耶香著。単行本化が待たれる。 

新潮 2018年 05月号

新潮 2018年 05月号

 

 

FGM入門に。 

ドキュメント 女子割礼 (集英社新書)

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アレクサだって意味付け待ち

大学4年生のころ、大切にしていたものがいっぺんに消えた。こども時代から親しんでいたファミリーカーが廃車になった。7歳から飼っていた犬のチロが失踪した。母親が彼氏のアパートに移り住んだ。祖父の運営する畜産場が潰れた。

 

自分の人生が物語めいて見えるとしたら、それは全部「転」のせい。

起承転結の「転」では、嫌なことが起きるときまってる。意思の届かないところで転機は起こる。予兆に気づいたときにはもう渦中から抜け出せない。

私を私たらしめていた要素のいろいろが消えて、導かれたのは結婚――もしかしたら起承転結の「結」だった。

 

欲しいものリストがら空き

結婚報告をしたとき、周囲には「早すぎる」と言われた。

「就職しないの!?」と驚く人も多かった。「せっかく大学卒業したのに!?」

 

しかし、なぜ就職するのか、私には理解できなかった。大学時代のともだちに訊いてみると、

「欲しいものを、自分のチカラで稼いで、買う。そのほうが絶対たのしいじゃん!」

と答えてくれた。

ピンとこなかった。欲しいものなんて家族くらいしかなかった。

 

2人暮らしのマンションで、夫のために洗濯と料理をした。しあわせが、どんなものかは分からなかった。でも夫が一途に愛してくれるから、それでよかった。

 

妊娠、浮気、流産

結婚後4年の間、企業の勤め人である夫について、関東、関西、四国など各地を転々としていた。

アルバイトはしていたが、ひとつのところで半年以上続けることはできなかった。

 

こどもがなかなか授からなかったので、東京都内の病院で不妊治療を始めた。造影剤による検査の後、すぐに妊娠することができた。

 

しかしいつからか、夫が変わってしまった。

愛情を示してくれなくなり、酒を痛飲して暴力をふるうようになった。あまりに不自然な豹変…、もしやと思って調べると、取引先の女の子と浮気していることが発覚した。浮気というよりも、それは、本気の恋愛だった。

夫も私も、ボロボロのぼろ雑巾だった。お腹にいたこどもはただの血になって流れていった。

 

意味のない生にはコレよ!

起承転結の「転」では、嫌なことが起こるときまっている。大切にしていたものを、世間だか天だかドブだかに捨てなくてはいけない。私は夫を捨てなかったし、夫もそうだった。だけれど、信念がひとつ失われた。自分という存在の掛け替えのなさを信じる心みたいなものがひとつ消えたのだった。新しい命でさえも、意味付けを怠れば無価値だった。

 

このときすでに私は、アラサーと呼ばれる年齢に達していた。

なんの資格も持っていないし、スキルもキャリアもない。せめて好きなことをと、文章を書く仕事を探した。ライター募集と記載のある求人をみつけては応募した。IT関連企業、メール占い、医療情報誌。「日本語書ける=有資格」…そんな、ゆるいところばかりを受けた。

 

転勤族であることを伝えると、面接の相手は必ず渋い顔をした。

「だんなさん全国転勤? それじゃあ、いつ辞めるかわからないんですか…」

夫の転勤先は北海道から沖縄まである。しかも異動を知らされるのがたったの2週間前だ。

まあ、ほかにもいろいろ理由があっただろう、耳が中途半端にしか聞こえないとか、笑顔が嘘くさいとか、適性の無さとか。

私は面接に落ちまくった。

 

あじゅま~

「なるほど、いきなり辞めることになるわけですか。たいへんですね」

広告関連会社の面接に行ったとき、相手(東さん)はそう同情を示してくれた。

転勤に必ずしもついていかなくてもいい。夫に単身赴任してもらえば大丈夫。このころには、そう言い張るようになっていた。

「うーん。…そうだ、ちょうど外注のライターさんを増やそうかって話してるところなんです。在宅ライターなら、だんなさんの転勤でお引越しされても、ネット環境さえあればどこでもお仕事していただけますよ」

それは求人サイトには掲載されていない仕事だった。

 

職業、連続する自分、アレクサ、パルトル

1文字1円にもならない単価でウェブサイトの広告文を書いた。それが一年で倍以上の金額に増えた。2年で3倍になった。コピーライター講座に無料で参加させてもらった。自信を得て、別の情報サイトでも執筆させてもらえるようになった。

「転」から5年。私はいつのまにかプロのライターになっていた。

 

いまでは、ひとがなぜ就職するのか理解できる。職業があり、クライアントがいて、ルーティーンがあることは、自分の存在の連続性を多少なりとも保証してくれる。そして自分の名前に一定の連続性があることは、人生の意味付けとして有効だった。そのうえ、お金が自由をもたらしてくれる。ある程度の自由は、どうかすると死を望む心すら誤魔化してくれる。

 

だが、そんなこと分かって、なんになるというのだろう。 

現実には「転」などちっとも必要でない。

なぜって、いまこのエントリを書いている私の膝には、うちのかわいい三毛猫と黒猫がかわいいかわわわわわいいいい><。

私の小部屋には本の壁もある。夫は今のところ酒を控え、夫婦で生きていくことに協力的な夫ぴっぴ。リビングにはアレクサもいる。大切なものが日に日に増えてきて、だから本気で、二度と転機なんて訪れないようにと願っている。あのひたひたとやってくる「転」の足音が私の聞こえづらい耳を揺るがすだなんて震えちゃう。だけど、どうしてどうしてこれがしあわせ、消えるもの。

 

サルトルより普通にパルトルがすきという一面を持つ私は、じつはずっと実存に背を向けてきた。その姿勢を、転機は諦めさせる。怖いから、たまにはふり返らなきゃ…ということで、はてなブログをはじめようと思う)