感想

くらげなす漂うアメリカンアパレル

キットチャンネルのコメント欄に女神たちが降臨している

昨夜はyoutubeのキットチャンネルのコメント欄が面白すぎて眠れなかった。以前のエントリで、キットチャンネルのファンにはシスジェンダー女性が多い、その大部分は彼らをクリエイターとしてではなく男性アイドルとして消費しているのではないか、などと書いた。だがコメント欄を熟読してみると、ファンの中にはFtM当事者、Xジェンダー、ゲイ、バイなど、さまざまな視聴者(リスナー)がいることが分かった。

「コメント欄を熟読って、どんだけ暇人やねん」という突っ込みが聞こえてきそうだけれど、ぜんぜん暇じゃないんさ。仕事も家事も仕事以外のたのまれごとも返してないメールも山積みである。もういやになるんである。そんな私の現実逃避に、youtubeのコメント欄はうってつけなのであった。という必死の言い訳なのであった。ほんとは性格わるいだけである…。やんなるぱんちゃー!!!!

 

私のセク

自分のセクシュアリティくらい書いておかないと安全圏からの、あまりにも安全圏からのブログちゃんだよね。

私のセクシュアリティはパンです。誰かを「男として」「女として」好きになるというよりも、「その人として」好きになる感じなので、バイではなくパンセクシャルな気がしてまふ…。説明がめんどくさいのでバイだと言っちゃうことが多いのですがそこは反省してまふ。ジェンダーは女です。

炎上じゃないってはっきりわかんだね

いままで、炎上の渦中にいる群衆にも、それぞれ役割というものがあるのだなと感じてきた。「(対象物を)批判する者・擁護する者」そして、「(批判者擁護者の言い争いを)仲裁する者」。たいていこの3つに分けられるように思う。

批判者、擁護者、仲裁者がいて初めて、炎上の炎はぼうぼうとめらめらとぱちぱちと燃え上がるのだ。そういう意味では、キットチャンネルのコメント欄は炎上していない。

まず批判者と擁護者の数が少ない。少数の批判者と少数の擁護者がいるが、両者のあいだに言い争いはない。よって仲裁者もいない。なぜ両者のあいだに言い争いがないのかというと、当該動画は「賛否両論ある」ものではないからだろう。乱暴な言い方になるが、炎上とはたいてい賛否両論ある案件に起こるものなのではないか。

さて、いったいキットチャンネルのコメント欄にはどんな人たちがいるのだろう?

女神だ。

女神だらけだ。

西洋的なフェミニズムの世界では、母性というのはまったくの神話であり、母性本能というのも女性差別を助長しかねない言葉である。それと同じで、母性を感じさせる、女の面倒見のいいコメントを「女神!!!!」と礼讃するのも、女性差別を助長しかねないのかもしれないがあえて言わせてもらう。

女神ばっかりのコメンツ欄やんけ♪

まるで、息子に対する母親のアドバイスびっちりお手紙を読んでいるかのようである。みんなめっちゃ優しい。この女性性ならぬ「女神性」は、男性陣にも宿っている。FtM当事者さんなどのコメンツも、読みやすくて、ていねいで、その人らしさがこもっているものばかりである。男子も女神だ。いままでキットチャンネルを支持してきた視聴者は、心が柔軟で、優しくて、他者への共感性に長けている人ばっかりなのだろう。それは、もともとキットチャンネルの2人が、そういう人物だったからなのではないだろうか。類は友をよぶのだ。

 

まだモヤモヤしている視聴者もいるだろう、と思う。コメント欄には、何度も何度もコメントしているユーザーがいた。しかも、Twitterでも英翔はんに絡んでしまっている。その熱量とダークサイドにおちた感……。嗚呼、はやくモヤモヤを解いて、いつもの日常に戻って、心を平和にして、と私ははたから見ていて苦しい思いがする。

人を傷つけずにはいられないというかなしみ

英翔はんは、アンチに物申す動画の中で、「こんなコメント誰も幸せにしてない、そのコメントをする労力が無駄、さびしい人」などと言っている。上述のTwitterでも「さびしい人」発言をしていた。私は、英翔はんとファンが絡んでいるTwitterを見た直後に、なんだかとっても悲しくなってしまった。そしてキットチャンネルにかんするすべてのページを閉じた。その直後、金原ひとみbunkamura(ドゥマゴ)連載中エッセイを読んで泣いた。

死ぬまで誰も傷つけたくない。誰の心も体も、傷つけたくない。―街に溢れるハラスメントや中傷の言葉、ネット上の罵詈雑言、全てが耐え難い。―傷つけたくないという思いがまた誰かを傷つけ、自分自身も傷つけていく。

金原ひとみ/パリに暮らして/最終回『ピュトゥ』)(※ーは中略です)

なぜ、相手を傷つけてしまうような言葉を、人は選ばずにいられないのだろう。おそらく、相手や自分を守ろうとして放った言葉が、たまたま無数の針を含有していたとか、そういう、偶然に因るところもあるようなことなのだろうけれど。それでも悲しい。

人は変わらずにはいられないというかなしみ

手話の動画が出ていた頃と、いまと、奏太くんの変移を見比べてみると、いわゆる「パス度」が上がっているように思う。以前はまだ中性的な部分が残っていて、それがまたひとつの魅力であったようにも思う。だが、それはかなしゃすの望むところではない。服装も髪型も、どんどん男性ホルモン感マシマシになっていっている。もちろんファッションだけでなく、肉体的にもホルモン剤の筋肉注射を打ちつづけているわけだから、どんどん男性ホルモン系の容貌に変わっていっているのかもしれない。2人は別の動画で「ホルモン注射を打ち始めのころ、思春期の男子のようになる」と言っていた。それが事実なら、ホルモン注射を打つたびにゆっくりゆっくり、身体、そして身体の変化につれてマインドも変化していっているのかもしれない。

だがこれは、何もホルモン注射を打つトランスジェンダートランスセクシュアルに限ったことではない。人は誰でも、おそろしいほど、変移していくものなのだ。

大好きだったアーティストが、時を経て表現方法をころりんこと変えてしまうことはよくある。ピカソだのゴーガンだのもそうだ。変わらない人なんていない。でも、人は相手に、変わらないことを、求めてしまうのではないだろうか? 「私はいまのきみが大好きだから、変わらないでいてよ」みたいな感じでさ。

だからもしかしたら、ずっと前からキットチャンネルのファンだった視聴者は、「変わらないでほしい」という純粋な気持ちを決定的に裏切られて、より傷つき、悲しくなったのかもしれない。

でも人は変わるんで、がんばって受け入れなきゃですよ…。ええ。それはしゃあない。

相手が変わりゆくなかで、「もはや自分が好きだった相手ではない」という地点というものが時間的空間的に存在するのかどうかはわからぬ。しかし高校時代からズッ友達とかだと、たぶん自分が好きだった相手でなくなった後でも、その名前と輪郭だけで、安心したり、一緒にいて落ち着いたりするのではなかろうか。

ホルモン剤のけん、偏見を助長しないかと不安なんだけどどーだろ。べつにホルモンで誰でも変わるとかじゃぜんぜんないからね!!個人差ありまくりだからね!!そこのところよろしくな。)

 

 ↑大好きなしぇんぱいが変わっちゃうんよね。どっからどこまで好きなんだろね。

人間関係はあるいみ幻滅の連続ですからな~

じつはここまで、コメント欄だけ読んで、ライブ配信の動画を視聴していなかった(だって怖いんだもん)のだがいま見た(ブログ書くのに何時間かけんねん・・)。それでわかったんだけど、視聴者が嘆いている、いちばんの理由は、やはり幻想破壊なんじゃないかな……。「苦労を重ねて、傷ついた経験もあって、きっと人間性が深いだろう!」と想定していた大人の男たちが、じつは普通のめっちゃ浅い男子だったという事実。その幻滅を嘆いていて、親のように教え諭そうとしたり、ブチギレたり(一部)しているのかもしれない。

だけれど、夫婦とか、恋人同士でも、幻滅の連続だったりするものだ。べつに今回のことでキットチャンネルが伸びなくなるとかはないかもしれんね。

 

・だけどポリコレ棒でたたかれること間違いなしのインド人動画は、消したほうが100パセントいい。それこそ誰も幸せにしてないのよ。(モデルがいるからいいと思うかもしれへんけど、「インド人と当てる」なんて趣旨はやべえ。日本人全体を不幸にする動画やと気づいてほしい…タノム!)

 

・「女々しい」はさ、そりゃ男にも女性性はあるし、女にも男性性はあるんやで!

ジェンダーで完全に性別を排している人もいるのかもしれない。でもそれ以外のひとたちは、基本、女性性と男性性両方持ち合わせているものなんやと思うよ。ぷにぷに

 

 

実録 泣くまでボコられてはじめて恋に落ちました。(1) (BUNCH COMICS)

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 →(再度)神漫画