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森鴎外『普請中』ストーリーと解説と感想

りょうごくらむだです。

今日は森鴎外『普請中』について書きますです。初出は1910年6月(明治43年三田文学ですね。日露戦争の5年後、韓国併合したころに書かれています。梶井基次郎がこのとき9歳かぁ~。ちなみに2年後にはドイツのトーマス・マンサナトリウムにお見舞いにいって『魔の山』の着想を得ています。そんな感じの当時、日本じゃぱんで森鴎外はなにを考えていたのでしょうか。邪推しちゃいましょー!

 

 

 

 

 

森鴎外『普請中』

登場人物

渡辺参事官…主人公の官吏
女の人…海外公演ツアー中の歌手。おそらくドイツ人女性。ウラジオストクで公演したついでに日本に寄った
コジンスキー…ポーランド人伴奏者。女の人とセクシーな関係にある
 

ストーリー(鴎外さん、意訳させていただきます)

ある雨上がりの夕暮れどき、渡辺参事官は歌舞伎座の前で電車を降りた。待ち合わせの「精養軒ホテル」へ着いてびっくり。営業はしているが、どうやら普請中(修繕工事中)のようで、職人たちがトントンカンカンやっている。渡辺は約束時間より30分以上前についていたので煙草をすいながら待つことにしたが、べつに誰がきてもいいような、どーでもいいような気持ちである。17時には職人たちが帰り、やっと静かになった。店内の様子はというと、テーブルセットやソファが配置され、まさしく西洋の雰囲気。だがドアのところには神代文字が飾ってあるなど和の雰囲気も混ざっている。渡辺的には和がださく古臭く、まるで日本の恥のように感じられて(大げさ)つい卑下してしまう。
やがて待ち合わせ時刻の17時30分になり「お待たせ~」と元カノドイツ人女性がやってくる。彼女はいまツアー中で、コジンスキーというポーランド人男性と愛宕山に泊っているらしい。コジンスキーといえば、渡辺も顔見知りのポーランド野郎である。「彼、あなたにも会いたがってたよ」と告げられる。渡辺の嫌そうな様子に、金の無心をされたくないのだと誤認した彼女は「あなたに金銭的に頼るつもりはないから安心して」と告げる。なんでも彼女たちがウラジオストクにいたとき、風の噂で「日本経済はアカン」と聞いたそうだ。次のツアー開催地はアメリカだから、わざわざ日本で金儲けしようだなんて思っていないというのである。渡辺は「日本はまだ普請中だ」と自虐コメントをする。するとドイツ人女性は言う。「あら! 日本の紳士がそう言ってたって、アメリカで噂を流しちゃおっかな。あなた偉い人でしょ?」「うん、偉い人だよおれ」「(日本では)お行儀がいいのね」「おそろしくいいんだよこれが。本当の俗物になりすましているんだから。今日のこの席だけは、きみのために俗物の仮面を脱いでるけどね」。これをきいたドイツ人女性はきゅん♡としたらしくキスしたがるが、渡辺は自己卑下のさなかにあり、また日本にいるときとドイツにいるときとでは人格が変わるのでキスを拒否してしまう。それどころか、「コジンスキーに乾杯!」と、彼女のイマ彼を称える始末……。3時間ほど食事をともにした後、何もすることができない渡辺を残し、ドイツ人女性はひとりで帰っていく。
 

解説註釈☆読むとき参考になるといいな。

ロドダンドロン…ツツジ科の植物。英名はアザレア

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クウウェエル…フォーク、ナイフとかのセット? カトラリー? わからない、教えてくれー
大教生…神道を教える人。1874年に爆誕した、神道を国教化するための宗教官吏。1877年には廃止されているので、本作が書かれたときにはもういない。
神代文字…漢字が伝わるまえの、文字っぽいもの。古いことば。ソファとかテーブルセットとかがあるのに、飾りは極日本っぽくて相容れない雰囲気があるかんじが伝わってくるね。いまでいえば和モダンなんだけどね。参照;世界の文字
「それじゃあお前はコジンスカアなのだな」…夫婦なのだなという意味。ロシアで女性の姓は語尾にaがつくよ。
ポラック……ドイツ人がポーランド人を差別する言い方。ポラッケと発音することも多い。フランス人は"polaques"と言う。ナチスドイツ時代を扱った日本語の小説によく登場する単語。鴎外はドイツ留学もしていたドイツかぶれだったから…。
Begleiten……伴う
Kosinski soll leben!(コジンスキィゾルレエベン)……コジンスキーは生きるべき=コジンスキーに乾杯
シャンブル・セパレエ…別室。その後の科白運びから意味を考えて意訳してみましたので以下をどうぞ。
偶然似ているのだ」「給仕のにぎやかなのをご覧」=「以前おれらがドイツでデートした部屋とは偶然似てるのかもね。でも給仕が賑やかすぎて、完全には似てないだろ?」
「あまり気が利かないようね。愛宕山もやっぱりそうだわ」=「日本のフレンチレストランの給仕はわちゃわちゃしてるね。愛宕山もそうだった。西洋化にちょと失敗してるかもね」
チェントラルテアアテル…Zentrale theater セントラルテアトル。
フィリステル…Philister、ペリシテ人。転じて「俗物」を意味する。ショーペンハウアーの幸福論に俗物という意味で出てくる。ここでは富や権力を幸福とする者のことを俗物としているのかもしれない。
 

感想

「日本は芸術の国ではない」と言い、「日本の官吏として(芸術に見向きしないような)富と権力だけの男になりきって生きている」と主張する渡辺。しかし俗物官吏の仮面の下には、芸術を愛し、ドイツの女を愛する「お行儀のわるい」男がいる。渡辺はそれを自分でわかっている。でも普請中の日本においては、自分はドイツの女を愛することもできないのだ。こんな日本じゃ駄目。ポーランド野郎に乾杯!……なんてものすごい自己卑下、さらに、女性の描写からして、ひねくれた自尊心を感じる。森鴎外は「しらふの人」といわれていて、淡々とした描写に定評があるが、『普請中』においてその語り口は淡々としているふうには感じられない。これが理性というならば、ずいぶん濃やかでねちっこい理性だと思う(まあ、理性ほどねちこいものはないのかもしれないが)。三人称で書かれているけれど渡辺主観の小説であり、「渡辺は」を「おれは」に代えることが可能。そのせいで何度も「渡辺は~した」という表現があり、かえって主観的なことを強調してしまっている。いっそ一人称にしてしまえば潔いのに。でも最後のXXXの後だけ、完全な三人称(神視点)の書き方となっており、その部分が肝要という気もする。三人称である意味がこの最終部分にあるのかもしれない。ただ、この最後のところでさえも、渡辺主観で寂しげだって思っただけなんじゃ…と疑ってしまいそうになる。
そしてやはり、他者を愛するには自己卑下している場合じゃない、ってのがよくわかる。すかすかで高さばかりあるプライドのせいで失恋していることにも気づかないような人間のままでいちゃだめだって心に刻まなきゃね。
ただ、鴎外は日本が、大好きなんだよね。自国が自分の肉体&魂の一部だとかたく信じているんだよ。だからかわいそう。こどものなまえにあんぬとかまりーとかつけるくらい西洋化しなきゃって思っていたことも。でもそのおかげで和モダン素敵ないまがあるんやし、神代文字的ではない日本文学があるんやな。ありがとう。
 
(涙)
 
(完)
 
(Fin)
 

 

普請中

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普請中 (青空文庫POD(大活字版))

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森鴎外全集〈2〉普請中 青年 (ちくま文庫)

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※誤字脱字や、クロウウエェルってこういう意味だよなどご指摘がありましたらコメント欄にて教えてください