感想

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彼女には「好き」と言えなかった話

こんにちは、ライターのりょうごくらむだです。 

さいきん彼女のことばかり考えてもやもやしてしまうので、自分の気持ちを整理するためにもいろいろと書き残しておこうかなとおもふのです。ただ、自意識過剰大洪水な私は、じぶんの書いた文章を読んで、あああああこんなこと書いちゃだめえええええとか、この書き方は誰かを傷つけているううううとか、反省にも行きつかないような、なんというか脊髄反射的自虐思考に陥ってしまうのです。それでいて、妙にファニーに見せようとして、おちゃらけてしまうので、ゆがみやひずみがはんぱなきことなりです。

どんなに善人であろうとしても、人は誰かを傷つけてしまうものであると、仏教が育つ過程でもうそれは人類、わかりきっていたことのようで、それで「他力本願」という考え方があるわけで、柏手を打ちつ打ちつ、なむあみなむあみして、かみさま、私がそれとしらず傷つけたすべてのひとを癒して救ってお願いね。

 

 

彼女には「好き」と言えなかった話

 

私には嫌いな友だちなどいない。嫌いな人をそばにおいて憎みつづけられるほどの強靭な精神はまだ持ち合わせていないからだ。

友だちのことはみんな全力で大好きだ。だからみんなに「好き」と、いつも言語で表現していた。

「大好き」「好き」「愛してるよ♡」なんて、手紙やメールにかならず入れてた。(これは男友だちにも適用された。でも魔性の女とか陰口たたかれてたのでやめたった。)

だけど、恋愛的な意味で好きになったひとに対しては、何も表現できないことのほうが多かった。好きだなんて言ったら誤解(誤解じゃない)される…。そんなふうに意識しすぎるため、なかなかまともにコミュニケーションが取れないのだった。

あるとき、私は彼女に出会い、すぐに仲良くなった。

彼女は私のことを好きだと言った。「大好き!」「愛してる!」メールの文末を飾る、友だち同士だからこそ気軽にいえる「好き」に、私はばかみたいに傷ついてしまった。思えば、そのときから私の気持ちは非常に重く、重く、重かったのかもわからない。

そしてその重さが、私をどんどんコミュニケーション下手にした。

かわいい、大好き、愛してる、なんて、友情を育むなかではあたりまえに口に出されることだ。ハグとかチューも、ふつうにすることだ。私は女の子と温泉にも長期海外旅行にも行くし、いっしょに住んだこともあった。みんなのこと、友だちとして真剣に愛していた。でも一度も、彼女に対して抱くような感情を味わったためしはなかった。

劣情、という言葉を古典文学の翻訳などで目にする機会がままある。現代日本で性愛の情を劣っているとみることはないだろう。だが私はこの劣情、という言葉こそ、彼女を想う私の気持ちにぴったりあっていると思った。その語感や、漢字のかたちを含め、私の心情を言い当てている気がした。彼女とセクシーなことをなにかするまでは、「好き」ということもできない気がした。ただの友情じゃないということをわかってほしかった。この時点で、私たちの結んだ関係は上手くいくはずがなかったのかもしれない。とにかく私には力がなく、くそ弱く、ぶつかったら割れて潰れて粉々の再起不能になることはわかりきっていた。それで、ちょっとずつ摩耗していくほうの道を選んだのだった。

私たちは支えあい、夜のなかを渡って会った。

数年がたつと、もう「好き」と言葉にすることも怖くないほど、距離が0にまで近づいていた。

だが、彼女と会った後はいつもさみしくて、改札や、店の前や、夜寝るふとんのなかで、涙がこらえられなくなるのだった。

なぜなのだろう。

なぜ。

わからない。私は眠れなくなり、よけいな、もやもやとした、いやなことばかり考えるようになっていった。彼女は結婚した。また彼女の仕事は人生を変えるほどのたてこみようだった。私は引っ越した。お酒と煙草をやめた。いくつかの旅行の計画が破たんした。いろいろなことが重なったと思う。

いま思えば信じられないことだが、私は彼女と撮った何千枚もの写真を削除したし、引っ越し先の住所を教えてほしいといわれたのに教えなかった。

私はそんなふうな、悪鬼でもやらないような非情な手を使うことでしか、彼女と向き合えなかったのだ。私は彼女をぶちぎれさせたかった。そしてそれは、自分自身がぶちぎれたかったのと同義である。夫がいること。法の抜け穴をほふく前進しながら会っていること。お互いの夫が大嫌いでいなくなってほしいと思っていて、でもなにもできないことなど、ぶちぎれ要因はやまほどある。

だが私たちにはまた仕事もあった。家事に仕事にほかのささいな人間関係に没頭していれば、ほんとうにやらなくてはならないことを忘れていられる。ぶちぎれることなど忘れる。社会や共同体に対して影響力を持っていることが、彼女との関係をくそみじんこゴミに変えてしまった。

彼女は私から離れていった。

半年以上がたった。

私はこのまえ、衝動的に電車に乗って、彼女のいる町へ出かけていった。ふたりでいった喫茶店や、ならんであるいた川沿いの道をうろうろしながら、そんなことがあったなんてすべてが、嘘のようだとおもった。

LINEの友だち一覧には彼女の顏がある。髪を切って、可愛くなっていた。

もしかしたらブロックされてるかもなぁと思う。彼女はいままで、友だちをブロックしたという話をよくしていたし、すぐにそういうことをやる潔癖なところがあるからだ。そうしたエピソードも、また、私を恐れさせた。彼女は決して性格のいい優しい子ではなかった。いつも闘っていた。自分の気持ちを優先させるタイプの人間で、ほかの人の身になって考えるということが苦手だった。だからこそ彼女の世界は魔術に似て美しく、独創的だった。私はそういう彼女を、ずっと、支えていくつもりだった。

もう一度「好き」といったら、彼女は信じてくれるだろうか。あるいはそれは友だちとしての「好き」になりうるだろうか。

ふつうの友だちに戻れるものだろうか。

私たちに「ふつうの友だち」だった時期などあったろうか?

 

私はこうした話を、きょうだい1人と友人1人にしか話したことがない。だがこの2人の生き証人にすらさいきんでは会いたくない。会えば彼女のことを話してしまうだろうし、その瞬間に、私の気持ちも、いままでの出来事も、すべてが人工物になってしまうだろうから。

まあいまもフィクションがすごいことになっている気がするけど、でも、だいたい真実。とにかく誰かに奇妙な異常な恥さらし的なLINEを送ってしまうなどということがないように、暗い秘密は小出しにしなきゃね。

 おわり