感想

くらげなす漂うアメリカンアパレル

わがしchannel♡祝1万人/1999年『スプートニクの恋人』

わがしchannelさんチャンネル登録者数1万人!おめでたい~!(><。)

このまますぐ3万、5万といわず10万人いくと思います。

そして彼女たちは日本を変えると、私、確信しております。

Twitterのファンアート描いてるかたの絵がめちゃいいんよね~。きっと、わがしchannelのファンはみんないい人。わがしファンにわるいやつはおらんのや…!)

 

☆☆

 

 

きのう1999年に書かれた小説を調べていたさい村春さんの『スプートニクの恋人』が挙がったので本棚を開けてひさびさひもといてみた。

 

もうひっさびさの久々村春作品だったんやけど、こんなに1行開けあった!?ってくらい1行開けのオンパレード(っていう表現をするとまるで揶揄だがそんな邪鬼な気持ちじゃない)である。何年か前の「文藝」で山田詠美星野智幸の対談があってね、山田詠美が「むやみに行開けすんな馬鹿」っていつものクールさ満点で言ってたのね。それでわれわれ素人文芸ガチ勢は「むやみだり1行開けはダメ!」って自分に言い聞かせるようになったよエンターボタン。が、村春さん、こんだけ行間あけまくりでも読者を集中させられるのって逆にすごない? てかガチ勢じゃない人にも明らかに読みやすいよね、行開けしてあると、区切りがあって気分もすっきり、ぷちぷちをつぶしたような気持ちになれそうだよね。

 

スプートニクの恋人』は、22歳の小説家志望女子が39歳の既婚女性に恋するお話である。えもーしょーーーーーえもーしょなりずみぃぃーー

レズビアンの女性は生まれつき、耳の中のある骨のかたちが普通の女性のそれとは決定的に違っているんだって。なんとかいうややこしい名前の小さな骨。つまりレズビアンというのは後天的な傾向ではなく、遺伝的な資質だということよね。アメリカの医者がそれを発見したの。彼がどんないきさつでそんなことを研究しようと思いたったのか見当もつかないけれど、いずれにせよそれ以来わたしは、その耳の奥のろくでもない骨のことが気になってしかたないのよ。わたしのその骨はいったいどんな形をしているんだろうかって」

(中略)

 ぼくは言った、「ミュウにたいして君が感じているのが性欲であることは間違いないんだね?」

「100%間違いないと思う」とすみれは言った。「彼女の前に出ると、その耳の中の骨がからからと音を立てるの。薄い貝殻でできた風鈴みたいに。そしてわたしは強く彼女に抱きしめられたいと望む。すべてをまかせてしまいたいと思う。もしそれが性欲じゃないと言うのなら、わたしの血管を流れているのはトマト・ジュースよ」

 (村上春樹スプートニクの恋人』1999年4月20日刊行 講談社文庫より引用)

 

忘れたらいかんのが、これが1999年の春に出た作品だということ。まだユーロが導入されたてほやほやの年といったらだいぶ昔やなあという気がしてくるはず。ポリコレスティックで大々的に叩かれることもなかっただろう。主人公すみれがレズビアンである自分を「普通の女性ではない」と捉えているように見えかねない部分が少しいやなかんじなのだがね。ネット上でもよく異性愛者の人が、ゲイと自分を比べたときに自分を「ノーマル」と表現することがあって、あああと思うんや。人って自分を普通ー標準ー平均〉って思いたがるものなのだろうか? やはり自分を基準にして世界を見るのはあたりまえのことなのだなと思わされる。そしてそれは悪いことではないんだろうね、だってとても野性的な視点じゃんね、自分を基準とするのって。知性を総動員すれば、他者的視点を手に入れられるけど、それは人間至上主義的なやりかたにすぎないし、むしろ世界をぶっこわすためのツールでしかないのかもしれないよね。

 

ぐるぐるぐるぐるやね。

 

まあでもポリコレ的には「ノーマル」って、他者を「アブノーマル」にしてしまうものだから、なんだかなぁと思う。てか、自分からみた他者がアブノーマルだとしても、けっきょく他者がおのれをノーマルに据えたとき、その他者から見た自分のほうがアブノーマルになってしまうわけだから…ぐるぐるぐるぐるやろ?

めぐるねんから…。だめよ…やっぱり。わたしもあのこもふつうかつとくべつなのよ。

 

 

てかでもさ、「恋愛=性欲」って思ってるひとって多いのかな。

もしミュウに対して抱いている感情が性欲に関連していないのなら自分の血はトマトジュースだというのはどういう意味なんかね。

たぶん村春としては、耳の骨=海綿体みたいな捉え方してるよねこれ。男子女子ともに膨張する海綿体、だけど村春さんはたぶん女子に海綿体はないと思っているんちゃうかな。だからこの〈耳の骨=海綿体=男の充血器官みたいなかんじよね。それを裏付けるように、トマトジュースつまり野菜(果実だけどね)つまり植物つまり草食系という連想が成り立っちゃうわよね。アメリカ文学では草食系女子のことを植物にたとえることがあるしたぶんこの連想はまちがってないとおもふのよね。1999年には詩的だったこのシーンもいま読むとこのように野暮な指摘がはいるわよね。しかもミュウっていうバイのセクシー女優さんの実在を知ったきょうこのごろ、よけい気が散るそれは読者がわるい。

 

しかし私ね、さいきん白髪をいくつも発見しておちこんでたのよ。このつらみをLINEの一言ステータスメッセージにて伝えたいの。でも「私は白髪人間だ」だと直接的でイタいかなってことで代名詞を使おうとおもうんだけど、免色さんとミュウとどっちを採用すべきだと思いますかアンケートです。

 

きょうもがんばろー!

 

わがしchannelさん

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きゃわいい……美人……癒し…しゃれおつ…笑い……すべての幸福の生みの親……

マジおすすめだから…。