感想

くらげなす漂うアメリカンアパレル

ビューティフル・ボーイ

ティモシー・シャラメの映画、ビューティフル・ボーイを観てきたよ。

 

てぃもすぃ…ティモシー・シャラメ…(洗脳)

最近、あちこち(主にELLEやFIGAROの公式LINE)で目にするティモシー・シャラメという名前。なんか耳につく響きです。炊飯器にお米を1.5合ざーっとインしているときも、タケノコを茹でているときも、糠漬けをかき混ぜているときも、頭のなかでこだまするティモシー・シャラメティモシー・シャラメティモシー・シャラメ…うううううううわああああ!!! 誰っ!? 私の頭のなかでティモシー・シャラメを連呼するのはいったいだれッ!?

ほんま、憎たらしい名前やで…と思っていたのです。『僕の名前で君を呼んで』や『レディ・バード』に出演しているティモシー・シャラメ。女性向け雑誌のウェブサイトなどで、彼をべた褒めした記事を見つけることもしばしば。「なんかすげえんだよ!マジでてぃもっすぃーのしゃらめっぽ君はもうなんかすごいから好きになるから!」みたいなテンションで来られて、こっちは「お、おう…」的な反応しかできない。しかしまあイケメンっちゃイケメンなのかねぇ。と乾いた心を隠しもしない私なのでした。が、『レディ・バード』での演技を見てかんたんにやられてしまいましたね。信じられないほど美男子やな、と。美男子。イケメンではなく。イエス・フォーリン・美男子。美男子って、ただ端正な顔立ちをしているだけではなく、内面の悲哀を感じさせるのです。かつてのザ・美男子、レオナルド・ディカプリオなんかがまさにそうですよね。てか、いまだにその佇まいに哀しさだとか、人生のはかなさを匂わせているのがデカ☆プリオですよね。好きだ。

 

 

ビューティフル・ボーイ』登場人物とキャスト

デヴィッド・シェフ…実在するフリーランスライター、ジャーナリスト。息子ニックの母である元妻とは数年前に離婚(もしくは別居)している。現在は画家のカレンと結婚し、サンフランシスコに住んでいる。カレンとの間に二児をもうけた。演じたのは「リトル・ミス・サンシャイン」や「40歳の童貞男」、「ラブ・アゲイン」など、コミカルな役を演じることの多かったスティーヴ・カレル、シリアスとてCUTEです。純粋なパパみを感じる。

ニック…将来を嘱望される優秀な息子であり、異母兄妹にとっての最高のお兄ちゃんだったが、18歳のときに大麻から始まりあらゆる薬物に手を出し、クリスタル・メス依存症となる。ティモシー・シャラメの影ある演技がハマりまくっていた。

カレン…デヴィッドと結婚し、ジャスパーとデイジーを出産。子供たちはまだ小さい。ニックのことも大事にしつつ、小さな子供たちのことも守らねばならず揺れる。「ライアー・ライアー」のオードリー役を演じたモーラ・ティアニー、歳を重ねてますます可愛くセクシーです。一人きりで車で追いかけるシーンまじ泣けたっす。

ヴィッキー…ニックの実母で、デヴィッドの元妻。ロサンゼルスに住んでいる。ちなロサンゼルスから元夫の住むサンフランシスコまでは約600km。東京ー大阪間くらい(車で5、6時間)

スペンサー…ニックの依存症治療におけるバディのような存在

 

『ビューティフル・ボーイ』は実話!原作は、父と息子の回想録

ニューヨーク・タイムズやローリング・ストーン誌など、さまざまな媒体で文筆活動をしてきたジャーナリスト、デヴィッド・シェフ。彼と彼の息子が書いた二冊の回想録※1をもとに、プランBエンターテインメント※2が映画化し、2018年9月のトロント国際映画祭にて初公開された。最愛の息子を通じて薬物依存症への理解を深める様子が描かれている。

 

※1ニューヨーク・タイムズ・マガジン連載の「私の依存症の息子(My Addicted son)」をまとめた本「ビューティフル・ボーイ~息子の依存症を通じた父の旅」。デヴィッドによって書かれ、2008年のAmazonベストブックに。息子ニックの半自伝「Tweak」もアメリカでベストセラーになっている。

※2ブラピとジェニファー・アニストンが2002年に立ち上げた映画製作会社

 

あらすじ(ネタバレ注意)

カリフォルニア州サンフランシスコ、自然あふれる町に一軒家を構えるフリージャーナリストのデヴィッドは、元妻との間の息子ニックと、現妻との間の二人の子供に恵まれ豊かな生活を楽しんでいた。だがある日を境に人生が一変する。自慢の息子ニックがクリスタル・メス依存症になったのだ。最愛の息子との思い出をふりかえりながら、なんとか息子を助けてやろうと近場の依存症治療施設に入れる。順調そうに見えたものの、ニックは脱走して行方不明になってしまう。デヴィッドは懸命に捜索し、ニックを見つける。ドクターの助言を仰ぎ、クリスタル・メスというドラッグがどういった種類のものなのか、依存症を克服させるためにどうすればいいかを勉強するデヴィッド。再び施設に入ったニックは、依存症を克服し、父親の勧めにしたがい大学に進学する。だが再び薬物に手を出してしまう。デヴィッドは元妻でありニックの実母であるヴィッキーと話しあい、クリスタル・メス依存症治療に最適の施設を見つける。そこは実母の住むロサンゼルスの施設だった。ロスの施設で治療をすすめた結果、ついに1年以上ものあいだ薬物抜きでの生活を達成したニック。実母や施設のスタッフに見守られながら、新生活をはじめる。「救急車に運ばれて、医者に訊かれたんです。――あなたの問題は何ですか? アルコール、薬物……。いや、問題は薬物ではない。自分のなかにずっとある暗い穴。その穴を埋めなければならない。いつか両親に誇りに思ってもらえるような自分になりたい」依存症患者とその家族たちの前で、ニックは宣言する。ところが、そうかんたんには終わらない。薬物依存症という病魔にはほんとうに根深いものがあるのだ。ニックはサンフランシスコへの帰省をきっかけに再び薬物を注射してしまい、そのまま深みにはまっていく。デヴィッドは薬物についての理解を深めるなかで、「自分に息子を救うことはできない」と悟る。もちろん救いたい気持ちでいっぱいだが、薬物依存症は専門家によるケアが重要であり、依存症者自身が治したいという気持ちを保ちつづけなければならないのだ。また、依存症者の家族もまた精神的なケアを必要とする。ニックとカレンが訪れた依存症者の家族のための自助施設には、「私は誘因ではない。私には管理できない。私には治癒できない」という標語が掲げられている。ドラッグの過剰摂取により娘を亡くした女性はいう。「私の娘はドラッグにより亡くなりました。いまは喪中です。しかし考えてみれば、私はずっと喪中でした。娘はもういなかったから。生きながらにして喪中であるよりは、いまのほうが気が楽かもしれません」。薬物を使うと脳や神経系の一部が完全に支配される。自分の意思ではどうにもならないのである意味、自分が消えてしまうといってもいい。ニックは再び行方不明となっていた。過剰摂取でガールフレンドを死にかけさせ、父親に電話をして助けを求めるが、「私ではなく、施設のスタッフに助けを求めなさい」と言われてしまう。ニックはクリスタル・メスを打ちつづけ、病院に救急搬送される。泣き崩れるニックをデイヴィッドは抱きとめる。映画はそこでいったん終わり、「50歳未満の死因第1位は薬物の過剰摂取である。ニックはたぐいまれなる支援と努力により8年間クリーンでいつづけている」とテロップが出る。エンドロールの途中で、劇中にも読まれていた詩「Let it Enfold You/Charles Bukowski」の朗読がある。ハッピーなものがきらいだった、暴力のなかに身を置きたかった、でもある日、じぶんもみんなと同じだと気づいた、ただふつうの毎日を求めているのかもしれない、って。

 

感想6項

クリスタル・メス(覚せい剤)の依存性と、治療法について

ニックが依存することになる薬物「クリスタル・メス」とは、日本でいう覚せい剤のこと。戦時下のドイツ、日本で兵隊さんを眠らせずに戦わせるために使われちゃったのをきっかけに大量に流出。昭和時代にはヒロポンという名前で薬局に売られていた。ドラッグが「日本に馴染みない」と考えている人はどれだけいるのかわからないが、歴史をみれば日本と深い関係があると理解できるだろう。

クリスタル・メスの特徴としてまず挙げられるのが依存性の高さである。なぜニックが薬物をやめられないかというと、依存性があまりに高いから。それに尽きる。本人の気持ちとか努力とかを凌駕するレベルの依存性なのだ。

禁煙経験や禁酒経験のある人になら、わかると思う。長い間禁煙断酒していても、あるときふっと誘惑が訪れるものだ。依存性のある物質というのは、なんやかんやと理由をこじつけさせ、再び摂取してしまうように当人をけしかけてくるものだから。そこでニコチンやアルコールの誘惑と闘い、勝利すれば、また1日をクリーンなままで迎えられる。敗れれば、依存症の自分に戻ってしまう。

劇中、400日以上ものあいだクリスタル・メスを摂取せずに生活できたという描写が出てくるが、これはその日数のどの日をとっても、依存症者にとっては重い1日だということの表れである。

また、ニックが薬物に手を出しそうになって施設スタッフ(依存症仲間)のスペンサーに電話をしているシーンがある。ゴールデンゲートブリッジのたもとで泣きながら電話をかけている場面だ。こうした電話はドラッグ以外の依存症治療においても取られる手段で、対象物に手を出しそうになったり、手を出したいなと考えたりしたときに「自分はいま手を出しそうになってる!どうしよう」と報告することで抑制効果が生まれるとされている。

依存症治療は長い闘いである。専門的なケアを行っている治療施設を訪れて、初めてスタートラインに立てるのだと思う。依存症者の家族は、自分たちでなんとか解決しようとするかもしれない。だが、共倒れとなる可能性もあるので、必ず専門家の意見を仰ぐべきである。

 

クリスタル・メス以外のドラッグについて

ニックが父親になぜ薬物をやったか問われ、「ハイになるのが気持ちよくてやった」と答えたシーンがあるが、おそらくクリスタル・メス以外のドラッグのことを言っているのではないかと思う。ニックは大麻LSD、コカイン、ヘロインなどさまざまなドラッグに手を出していた。そのなかでほんとうにハイになれるのはLSD、コカイン、ヘロインあたりではないだろうか。クリスタル・メスは気持ちよくなるタイプの薬物ではない。依存性ばかり高くてどんどん効かなくなるし、精神的負担(被害妄想、不眠など)が大きいものなのだ。ドラッグを使う人は、ドラッグについての正しい知識がないことが多い。ニックが父に「ハイになるのが気持ちよくてやった」と言ったのは、いろいろな薬を混同していたこともあっただろうし、もう一つは、自分でも真の理由がわからなかったので、それっぽいことを答えたというのものあったろう。

 

子供時代をクローズアップしすぎて窒息

薬物依存症を縦軸としながら、家族愛を描こうともしている本作。劇中には過去編が何度も挿入され、父と息子の思い出が止まらない。最初はその手法にげんなりさせられた。たしかに誰しも子供時代があったからこそここまで生きてこられたわけだし、親にとっては子供はずっと子供のままであろう。だがやはり、関係ねーじゃん、とも思うのだ。いまそれ関係ねーじゃん、治療に専念しろよ、なんで思い出に浸ってんだよ、みたいなひねくれたことを考えてしまう。てか、マジで子供時代を強調しすぎだと思うんだよね。ニックが窒息しそうなのも、期待にこたえなきゃって焦っちゃうのも、親父が「俺の息子なんだ!」と気負いすぎだからなのではないか…。だから、終盤になるにつれ親父が息子を突き放していくのは正しい選択だったと思う。

 

息子がドラッグ依存症になったら=おばあちゃんが認知症になったら

おもしろかったのは、父デヴィッドが薬物をやるシーン。鼻から吸ってるのでコカインかな。普通に買える使えるというのがよくわかる描写だと思う。スティーヴ・カレルのコメディアンぶりが光って、話の重たさを軽減させていた。それは悪いことではないよ。だいじなのは、自分の家族が薬物依存症になったとき、よく知られた病気としてきちんと向き合い、適切な処置を施すことだから。

重たくてしんどい話からは、誰しも目をそむけたくなるものだよね。がん、認知症、介護、虐待……やだーーーあっちいけーーーって思うじゃん。できるなら一日じゅう弘中綾香の顏を見つめて弘中綾香の顏だけを見つめていたいじゃん。でも、人間にはあらゆる重さを乗り越えられる、それが無理っぽくても可能性はあるよ、と知っておけば、現実がだいぶ良い方向に変わっていくのではないでしょうか。それを知らせるのが映画や小説やジャーナリズムのひとつの役目だよね。

 

R指定について

ところで本作はR-15指定されている。たいした性&暴力描写はないのになぜか。15歳以下の子が観てしまうと、柔らかい感受性に突き刺さって、取れなくなるからだと思う。この映画では、ものすごいイケメンが薬物注射を打ち、両親からの強い関心を集め、干渉を受けている。15歳以下の子がなにか問題にぶちあたったとき、映画で見た手法(=薬物使用)をとってしまう可能性があるような気がした。世のお父さん、お母さんはこの映画のR指定をしっかりまもってほしい。私自身、R指定をやぶって映画をみまくった結果、オーバードーズする人間をロールモデルにしたりとかなんかそんなこともあったりしたから。なんか敷居が低くなるんだよね。

 

詩について

劇中、ニックが大学で読んだ詩が、エンドロールでは全編朗読される。ドイツ出身のアメリカ人作家、チャールズ・ブコウスキーによるもので、題名は「let it Enfold you」。これがなんとも胸にくる。この部分だけ切り取って15歳以下の子たちにも聴かせてあげたくなっちゃう。あれくれ詩人のブコウスキーは、トム・ウェイツなどにも影響を与えたとされている。なんだか愛おしいわ。