感想

くらげなす漂うアメリカンアパレル

『緋文字』ナサニエル・ホーソーン著

こんにちは、りょうごくらむだです。今日はね、ナサニエル・ホーソーンの「緋文字」いっちゃいます。アメリカ文学の古典で教科書にも載ってるような作品です。いまとてもプリンが食べたい。

あらすじ

姦淫し私生児を産んだかどで捕えられたへスター・プリンは姦淫罪を象徴する「A」の緋文字を一生胸に付けるように義務付けられ、社会から片脚をはみ出したような状態で静かに生活をするようになる。

7年後、私生児は可愛くてやんちゃな真珠ちゃんになり、へスター・プリン自身も長年の隠者的生活のため心が研ぎ澄まされていた。へスター・プリンの器用な手先による刺繍仕事は周りからも評判で、「あいつそんなわるいやつでもなくね?」的な雰囲気になり迫害の空気すらうすれているのだった。

そんななか、いまだ独り苦しみつづけている男がいた。へスター・プリンの姦淫相手Dである。この姦淫相手Dは、罪の重さと、隠し事をしていることによる自責の念に苦しんでいた。さらに自分の専属医者が、じつは邪悪なサタン野郎だった。じつはヘスター・プリンの元夫であるこの邪悪サタン老医者は、ひっそりと嫌がらせをするように、Dの心の闇を暴こうとしていじめていた。

 

登場人物

ヘスター・プリン……姦淫の罪により、さらし台に立たされ、緋文字の布を一生身に着けるという罰を与えられる。

医師ロジャー・チリングワース……ヘスターの夫であるが、周囲には隠している。老人で、世間から隠れて研究をしていた。

牧師ディムズデイル……へスターと愛を交したが、それを隠していることの罪の意識にとらわれている。みんなに慕われている。

ベリンガム総督…正しく、賢い善人。高齢で、威厳としわがある。共同社会の代表者としてふさわしい人で、なしとげたことの多い人物。

牧師ジョン・ウィルソン…白髪頭の、最年長の牧師。

パールちゃん…我らがキュートな真珠ちゃん。ヘスターの私生児

 

 

感想 

ところで最近「水曜日のダウンタウン」の「霊感が強いと自称する女タレントやりにいってる説」を見ましてね。まだ売れていない女性タレントたち5名ほどが、夜の学校などを舞台にそれぞれ霊能者を演じていたんですよ。演じていないふりをして演じているんですね。自分はガチの霊能者であるということで演じているわけです。まるで自分がガチで感じているということで演じるAVです。まるで在りし日のS1のTSUBAKIを見ているかのような既視感です。それはともかくとして、思った以上にみなさん、真に迫っていて、怖かったです。

で、これがもし17世紀中葉のニューイングランドだったら魔女狩り決行ですなぁ…。

なんてことを思いました。魔女ってこういうことだよね☆って。

 

―――

 

 

「まあ、ほんとうに!」慈悲深い老ウィルソン師が叫び声を上げた。「何という鳥なんだろう、この緋色の羽の小鳥は? どうもこういう姿をしたものは見たように思うがな、お陽様が目のさめるような色の窓からさしこんで、床の上に金色や真赤な形を描きだすときにな。だがそんなのはイギリスでのことでした。あのね、お嬢ちゃん、名は何ていうの、それな何だってお母さんはわざわざこんな妙な風に飾り立てたの? あんたはキリスト教徒なの、え? 教義問答(キャテキズム)を知ってる? それとも腕白な小さい妖精か仙女なの? そういうものは、カトリックの制度の遺物といっしょに楽しいもとのイギリスにおいてきたつもりなんだがねえ」 

 

当時ニューイングランドはその名の通り新しいイギリス。イギリス植民地でした。いまだ魔術のにおいの残るカトリック的なものイギリスに置いてきて、さっぱり無臭のピューリタンな世界を築こうとしていたわけです。しかし、もともとそこはアメリカですから動物と植物とインディアンたちの場所だったわけです。「森の散歩」から「ニューイングランドの祝日」までのあいだに出てくる森はイギリスの森ではなく、アメリカの森。精霊的なものたちとインディアンの森なわけです。

ベリンガムの館や、あちこちの鏡に映る悪鬼っぽい私生児パールちゃんはピューリタンっぽさがありません。カトリシズムの遺産でありながらアメリカの森の申し子って感じがします。ホーソーンがウィルソンの言葉にもそのことを表しているように思います。

 

 

ところで昨今、SNSで「正義の爆叩き」するのが流行病のようになっていますが、この作品を読んで落着きましょうと言いたいです。 

1650年頃のボストンはクエーカー教徒などの異教徒、よっぱらいインディアン、魔女っぽいひと……などなどの異端はみんな鞭で追い払われるか絞首刑になるかっていうところでした。激厳しい初期ピューリタンの町であったわけです。獄舎前広場では、姦淫の罪を犯したという女への誹謗中傷が飛び交っていました。処刑台を前に、罪人を待つ人々が騒いでいる。それはまるでヤフコメのごとき有様でした。たとえば…

「専業主婦をしている50歳のものです。姦淫したくせに、ずいぶん罰が軽いと思います。熱心なキリスト教徒である私たち自身が裁いてやりたいです。あのアバズレが…、もっと罪を重くしてやりたいですね」

「完全同意です。私もキリスト教徒で主婦です。罰が軽すぎると思います。姦淫罪の印をつけるらしいですけど、布に刺繍したやつじゃなく、額に鉄の焼きゴテを押してほしいですね。姦淫するなんて、どうせ面の皮の厚いアバズレに決まってるんだから。胸に緋文字の布を付けるくらいじゃ、いくらだって隠してまた堂々と表通りを歩けるわけでしょ。ゆるせない」

「20代主婦です。ここのコメント、厳しい意見が多くて驚いています。私は布でじゅうぶんだと思う。印は隠せても、胸の苦しみは隠せないものですから」

「死刑一択! 異論は認めない! 聖書にも法律書にも、姦淫は極刑にしていいって書いてあるはずよ!」

「女こわっ。自分は男性ですが、改めて、女こわ…って思うコメ欄ですね」

こんなふうに。

人間というイモータルなもの(三島)

ですね。人間には何度ぶちのめしても変わらない愚かしさがありますね。

はい。

で、へスター・プリンは、午前中いっぱいを赤ちゃんとともに処刑台に立って、みんなの前でその胸の緋文字をさらします。その緋文字は、ふしぎに優雅なたたずまいです。

上等の赤い布に、金糸で手の込んだ刺繍と風変わりな飾りをまわりにつけ、その上にAの文字が現れていた。とても芸術的にできており、又豊かな目のさめるように華麗な幻想にあふれていたので、身につけている衣服に一番よく似合う装飾品として全く効果的だった。

 

美しいんですよねこの緋文字が。のちにヘスターは灰色の服を着てじみ~な暮らしを営むわけですが、この緋文字(&パールちゃん)だけがきらきらしております。

 

ホーソーンは最後らへんでこう語っています。 

憎しみと愛とは本当は同じものであるかないか、興味深く観察し研究すべき問題である。どちらも、極度に発展すれば、高度に親しく心のふれあいを必要とするもので、どちらも人に愛情と精神生活の糧を与えあうようにさせるものである。そしてどちらも、その問題がなくなると情熱的な恋人やそれに劣らぬ激しい憎しみをいだく人をわびしく孤独にしてしまうものだ。それ故、哲学的に考えれば、この二つの情熱は本質的には同じもので、ただ一方はたまたま天上の光に照らされて美恵、他方はほの暗い不気味な赤熱の光の中に見えるだけのちがいだ。霊界では、老医師も牧師も――互いに犠牲者であったけれど――地上からもってきた憎悪と反感とが知らぬ間に黄金の愛情に変っているのに気づくであろう。

 

老医師と牧師は天上で出会って愛のきらきらに包まれたのでしょうか?

それはわかりません。

でもかれらがきらきらに包まれて再び地上に戻ったときには、Kと先生という形でよみがえっています。地上に戻したのは夏目漱石でした。そして彼らはまた天上で出会って愛のきらきらに包まれなくてはならず、どちらも早死にしました。

さあ、誰か彼らの輪廻を止めてください。地上で愛のきらきらをぶちまけてください。わたしがやるしかないか……。がんばろう

(了)

 

緋文字 (新潮文庫)

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 ↑引用はこちらからしました

 

完訳 緋文字 (岩波文庫)

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 ↑まえおき文「税関」がついています

 

緋文字 (光文社古典新訳文庫)

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 読みやすいです↑

 

プリンが食べたい。