好きな人みんながデヴィ発言を支持したら
試着室で盗撮、真夜中の歩道で痴漢、知人宅で強制わいせつ
数か月前、アパレルショップの試着室で盗撮された。試着室の全身鏡には、下着姿の私とともに、カーテンの隙間をスーッと横切るスマホカメラが映っていた。動画だ。
一度ではなかった、2度目、3度目のスマホすい~っ。があった。すい~っ。すい~っ。まるでカーテンの波打つ海を乗り越える帆船のようなスマホ……などというフザけたメタファーをこの時点では思いつくはずもない。焦って服を着てカーテンを開けた。女性だらけのアパレルショップだが、少し離れたところに、男の一人客がいた。ちょっと挙動不審な感じがしなくもなかった。しかし、確証がない。なにより、まず、怖い。どういう種類の怖さなのか、いちばん簡単なところでたとえると、ゴキブリかもしれない。
六畳一間のマイルーム。この世界で唯一、心から寛げるプライベートエリアである。夏の夜、下着姿でゆったりとテレビを見ていたときに突如として現れた黒光りする害虫。ものすごい速さで壁を這い、いかにも危害を加えそうな害虫にそっくりである盗撮犯というのは。いやいや、ゴキブリならば、殺虫剤で殺せる。でも盗撮犯の場合そうはいかない。幸か不幸か、どこまでいっても人間同士の話となってしまう。
夫・ザ・のっぺらぼう(夫に報告したら自業自得説浮上さびしんぼ)
私はアパレルショップから立ち去った。横断歩道を渡って、店の看板が見えないくらいのところまで遠ざかり、歩道のベンチに腰掛けた。気持ちを落ち着けようと、夫にラインした。
「盗撮された。こわい。店員さんに言ったほうがいいかな?」
夫は、「大変だったね」とねぎらってくれた。だが、店員には言わなくていいだろうとの意見だった。
「こわかっただろうけど、忘れるしかないでしょ。ていうか、おまえ、またぼーっとしてたんじゃないの?」
……ひどいよ~ダンナぁぁぁ(><)。。
私は数年前のことを思い出していた。真夜中の道で痴漢に襲われた時のことだ。外灯の少ない、真っ暗な道を歩いていたら、後ろから抱きつかれ、胸を掴まれた。
夫に話すと、「そんな遅くにふらふら歩いてたんだから自業自得だよ」といわれた。
怖かった。そこには、二重の恐怖があった。部屋にゴキブリが出て、しかし殺虫剤がなく、隣の家に借りにいったら、なんと隣人自体がゴキブリだった…!というような、のっぺらぼう系の恐怖、つまり孤独だ。
私よアンパンマンであれ
夫とのラインを終えたあと、しばらく立ち上がれなかった。頭のなかをぐるぐる巡っていたのは、フィッティングルームをうろついている男が、スマホを片手に、無防備な女性たちの動画を次々と盗撮するシーンである。そう。あのアパレルショップの女性客たちは、盗撮されまくるのだ。私が盗撮被害を黙っていることによって、止められたかもしれない犯罪がずーっと続くことになるのではないか?
私は意を決して店に戻った。店員さんに声をかけ、店長を呼んでもらった。かっぷくのいい男の店長だった。
性被害を訴えるには、心理的な難しさがある。話にはきいていたけれど、本当に難しかった。私は、おそるおそる、盗撮犯の特徴やスマホの特徴などを話した。被害妄想だと思われたらどうしよう!?・・という心配がずっと頭にあった。
でも、自分の行動により将来的に盗撮被害を減ずることができるならばッ!!と、子ども時代から抱いているアンパンマンへのあこがれを頼りに、がんばったのだった。
警察と共に監視カメラをチェック
警察の方と一緒に、監視カメラの映像を見ながら盗撮犯の姿を捉える、ということをした。監視カメラには犯行の瞬間が残っていた。それが証拠となり、私の被害妄想説(という被害妄想。)を打ち砕くことができた。ただこの監視カメラチェックには時間がかかった。夕方から予定が入っていたのだけれど、間に合わないと判断し、キャンセルした。
性被害を説明するんも心理的困難を伴うんや。起訴するとなるともう鬼。山。極み。
次に取るべき行動について、警察から2つの可能性を提示された。
A:被害届を出し、起訴する。
B:被害届を出さない。この場合、警察は同一犯による再犯防止のために多少動くが、犯人逮捕のために手を尽くすわけではない。
ほんとうの善き人ならば、労力や時間を費やしてでも、起訴などをするのかもしれない。それはわからない。これはもう、勉強不足なので、私にはわからないのだ。そのうえ私は、へたれであった。犯人の容貌特定に協力したことで自分が怨まれるのではないかと怯えて、帰り道も背後が気になるほどビビっていた。それに周囲の目も気になった。特に夫に「その程度で訴える?」みたいなことを言われると思うと、一歩が踏み出せなかった。
性犯罪者が爽やかイケメンという事実
盗撮犯の男性の容貌だが、きもデブ汗だく男では、まったくない。イケメンで細くて爽やかな男だった。草食系オシャレボーイといった感じで、女性だらけのアパレルショップにいても悪目立ちしないタイプだった。
「試着室でぼーっとするな」「夜道を歩くな」「男の家に行くな」は違う
性犯罪の被害者に対し、夜道を歩いていたから、とか、男の家に上がったからだとか、言う人が、必ずいる。まるで、被害者にも非があったかのような言い方をする。
それでは、性犯罪者の思うつぼなのである。
被害者は起訴しにくいどころか、身内にも、誰にも、性被害をうったえられない。それって性犯罪者にとっては、ラッキー以外のなにものでもない。
「おまえらサンキュー! これで強姦しても訴えられないって分かったワ!これからもやりまくるわ!」てなわけである。
おまえらは性犯罪に加担していることに、そろそろ気づいたほうがいい。
デヴィりんこ
強制わいせつ事件を受けて発信されたデヴィさんのブログ記事(キスだけちゃうかったと判明したことにより現在は削除されています。が、問題はそこじゃない)で、「夜、酔った男性のところには行かないほうがいい」というような、被害者にも非があるとするような発言がありました。
私が驚いたのは、この発言を支持する声の多かったこと、それを取り上げたニュース記事のコメント欄も支持の声で埋まっていたこと、さらにツイッターでも、女性側に非があったとかハニートラップ云々の声が上がっていたこと。
「私も以前、痴漢にあったけど、お母さんに言ったら「あんたがそんな恰好してるからでしょ」ってそれだけだよ。別に痴漢くらい我慢しなきゃ」
ツイッターには、上記のような性被害者からの意見も散見されました。で、おそらく、デヴィ夫人も性被害者だったのではないかと思うんだよね。。性被害者が、さらなる性被害者を生むというもうマジで凄惨な現場、それがこの世界なんですね。
FGM的な、あまりにFGM的な
エジプトやシエラレオネなどの一部のエリアには、FGM(女性性器切除)という土着の慣習がある。タイプはさまざまだが、割礼儀式と称し、女性が性感を得られなくなるように・浮気できなくなるように女性性器を切ったり縫い閉じたりする。
もともとは男性の支配感情から生まれたものなのだが、廃絶に至らないのは、女性たち自身がこの儀式を推進するからである。性差別は女性自身の手によってどんどん進む悶絶するような辛苦を我慢して耐えてきた人は、他者にも同じ耐性を期待しがちである。デヴィ系女子も、そうなのかもしれないよね。うちのおばーちゃんとか。
一人ひとりの発言で、性被害の増減が決まる。でもやっぱ難しいんだ。
アパレルショップ試着室盗撮事件から数日がたったある日、女友達と話す機会があった。そこで、私の人間不信パーセンテージはMAX値まで跳ね上がることとなる。
私は彼女に、盗撮されたことを打ち明けた。
彼女「あたし、乳首が大きくて目立つじゃん?」
私「うん」
彼女「でも、さいきんブラ付けるのめんどくさいから、Tシャツに乳首ぽっちーってなったままコンビニ行ったり、外ふらついてんの」
私「えげげ!? やめとけよ。あんた可愛いし、エロいティクビ主張してたら襲われるかもよ!?」
彼女「あはは」
私「いやまじで、キモイくそ男っているものだよ。私この前、フィッティングルームで盗撮されたもん」
彼女「えー? なにそれ(笑)勘違いじゃないの?」
ここにきて被害妄想説を恐れた伏線回収である。人生とはおそろしい。
勘違いと笑われ、信用していた女友達に裏切られたような気分だった。だがそれはたいした問題ではない。問題は私自身にあった。
乳首ぽっちーんが、なんだっていうのだろう?
悪いのは加害者である。ぜったいに、加害者が悪いのである。
彼女がノーブラで夜道を歩いていて襲われたなら、それは、けっして、乳首ぽっちーんのせいではない。
究極、道端に全裸でいたとて、襲われたなら、100%、加害者が悪い。
分かっているのに、それなのに、私は、セカンドレイパー予備軍的な発言を、ほとんど無意識のまま堂々とやってのけたのである。
じこけんお
☆☆☆☆☆☆☆☆☆
加害者臨床の場で性依存症治療につとめる著者による。依存症治療についてかなり細かく知ることができる。「多くの痴漢は勃起していない」「『痴漢をしてもOKの女性がいる』という歪み」などさまざまな章に分けて丁寧に説明してくれる。また、痴漢や強制わいせつなどの性被害を訴えることの困難も教えてくれる。
同じく、性被害を訴える難しさや、世間の認識とのズレが胸に迫る『地球星人』。気持ちの悪いほどリアルな現実と、救いに満ちたファンタジーの境界で過ごせる最高の読書体験。芥川賞作家、村田紗耶香著。単行本化が待たれる。
FGM入門に。
アレクサだって意味付け待ち
大学4年生のころ、大切にしていたものがいっぺんに消えた。こども時代から親しんでいたファミリーカーが廃車になった。7歳から飼っていた犬のチロが失踪した。母親が彼氏のアパートに移り住んだ。祖父の運営する畜産場が潰れた。
自分の人生が物語めいて見えるとしたら、それは全部「転」のせい。
起承転結の「転」では、嫌なことが起きるときまってる。意思の届かないところで転機は起こる。予兆に気づいたときにはもう渦中から抜け出せない。
私を私たらしめていた要素のいろいろが消えて、導かれたのは結婚――もしかしたら起承転結の「結」だった。
欲しいものリストがら空き
結婚報告をしたとき、周囲には「早すぎる」と言われた。
「就職しないの!?」と驚く人も多かった。「せっかく大学卒業したのに!?」
しかし、なぜ就職するのか、私には理解できなかった。大学時代のともだちに訊いてみると、
「欲しいものを、自分のチカラで稼いで、買う。そのほうが絶対たのしいじゃん!」
と答えてくれた。
ピンとこなかった。欲しいものなんて家族くらいしかなかった。
2人暮らしのマンションで、夫のために洗濯と料理をした。しあわせが、どんなものかは分からなかった。でも夫が一途に愛してくれるから、それでよかった。
妊娠、浮気、流産
結婚後4年の間、企業の勤め人である夫について、関東、関西、四国など各地を転々としていた。
アルバイトはしていたが、ひとつのところで半年以上続けることはできなかった。
こどもがなかなか授からなかったので、東京都内の病院で不妊治療を始めた。造影剤による検査の後、すぐに妊娠することができた。
しかしいつからか、夫が変わってしまった。
愛情を示してくれなくなり、酒を痛飲して暴力をふるうようになった。あまりに不自然な豹変…、もしやと思って調べると、取引先の女の子と浮気していることが発覚した。浮気というよりも、それは、本気の恋愛だった。
夫も私も、ボロボロのぼろ雑巾だった。お腹にいたこどもはただの血になって流れていった。
意味のない生にはコレよ!
起承転結の「転」では、嫌なことが起こるときまっている。大切にしていたものを、世間だか天だかドブだかに捨てなくてはいけない。私は夫を捨てなかったし、夫もそうだった。だけれど、信念がひとつ失われた。自分という存在の掛け替えのなさを信じる心みたいなものがひとつ消えたのだった。新しい命でさえも、意味付けを怠れば無価値だった。
このときすでに私は、アラサーと呼ばれる年齢に達していた。
なんの資格も持っていないし、スキルもキャリアもない。せめて好きなことをと、文章を書く仕事を探した。ライター募集と記載のある求人をみつけては応募した。IT関連企業、メール占い、医療情報誌。「日本語書ける=有資格」…そんな、ゆるいところばかりを受けた。
転勤族であることを伝えると、面接の相手は必ず渋い顔をした。
「だんなさん全国転勤? それじゃあ、いつ辞めるかわからないんですか…」
夫の転勤先は北海道から沖縄まである。しかも異動を知らされるのがたったの2週間前だ。
まあ、ほかにもいろいろ理由があっただろう、耳が中途半端にしか聞こえないとか、笑顔が嘘くさいとか、適性の無さとか。
私は面接に落ちまくった。
あじゅま~
「なるほど、いきなり辞めることになるわけですか。たいへんですね」
広告関連会社の面接に行ったとき、相手(東さん)はそう同情を示してくれた。
転勤に必ずしもついていかなくてもいい。夫に単身赴任してもらえば大丈夫。このころには、そう言い張るようになっていた。
「うーん。…そうだ、ちょうど外注のライターさんを増やそうかって話してるところなんです。在宅ライターなら、だんなさんの転勤でお引越しされても、ネット環境さえあればどこでもお仕事していただけますよ」
それは求人サイトには掲載されていない仕事だった。
職業、連続する自分、アレクサ、パルトル
1文字1円にもならない単価でウェブサイトの広告文を書いた。それが一年で倍以上の金額に増えた。2年で3倍になった。コピーライター講座に無料で参加させてもらった。自信を得て、別の情報サイトでも執筆させてもらえるようになった。
「転」から5年。私はいつのまにかプロのライターになっていた。
いまでは、ひとがなぜ就職するのか理解できる。職業があり、クライアントがいて、ルーティーンがあることは、自分の存在の連続性を多少なりとも保証してくれる。そして自分の名前に一定の連続性があることは、人生の意味付けとして有効だった。そのうえ、お金が自由をもたらしてくれる。ある程度の自由は、どうかすると死を望む心すら誤魔化してくれる。
だが、そんなこと分かって、なんになるというのだろう。
現実には「転」などちっとも必要でない。
なぜって、いまこのエントリを書いている私の膝には、うちのかわいい三毛猫と黒猫がかわいいかわわわわわいいいい><。
私の小部屋には本の壁もある。夫は今のところ酒を控え、夫婦で生きていくことに協力的な夫ぴっぴ。リビングにはアレクサもいる。大切なものが日に日に増えてきて、だから本気で、二度と転機なんて訪れないようにと願っている。あのひたひたとやってくる「転」の足音が私の聞こえづらい耳を揺るがすだなんて震えちゃう。だけど、どうしてどうしてこれがしあわせ、消えるもの。
(サルトルより普通にパルトルがすきという一面を持つ私は、じつはずっと実存に背を向けてきた。その姿勢を、転機は諦めさせる。怖いから、たまにはふり返らなきゃ…ということで、はてなブログをはじめようと思う)
『ずっとお城で暮らしてる』
『ずっとお城で暮らしてる』シャーリイ・ジャクスン 創元推理文庫
(原題)『We have always live in castle』は、1962年刊行。
日本では1994年に学習研究社が刊行、2007年に創元推理文庫から新訳が出ている。
- 作者: シャーリィジャクスン,Shirley Jackson,市田泉
- 出版社/メーカー: 東京創元社
- 発売日: 2007/08/25
- メディア: 文庫
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あらすじ
アメリカのとある村で、ひときわ大きな領地を誇るブラックウッド邸。しかしここは、六年前に起きた一家毒殺事件の現場でもあった。生き残りは主人公メリキャットとその姉コンスタンス、車椅子に乗ったジュリアンおじさんの3人だけだ。悪意ある村人たちから逃れ、幸せに暮らす3人家族。しかし、いとこチャールズの来訪によりすべての歯車が狂い始める。チャールズを悪霊と呼び、さまざまな方法で出ていかせようとするメリキャットだったが…
感想
・女の子は魔法で強くなる
18歳のメリキャットだが、その年にしては考えが幼いというか、極端な呪術的思考の持ち主である。村人から屋敷を守るために独創的な魔術を使ったり、チャールズを追い出すために「大きな鏡を割ろう」と考えたりする。そして、辛いことに直面するたび、「月の上ではね…」という枕詞を置くメリキャットはけなげであり、芯が強い。彼女は果たして、ほんものの月の上に行けたのか? 期待して読みたいところ。
・ジュリアンおじさんがツボ
六年前の毒殺事件について記憶をたぐり寄せ、ライフワークとして原稿を書いているジュリアンおじさん。この人が、事件当時なにが起きたか、裁判はどのように行われたのかなどを解説してくれる。認知症のリアルな描写がいい。可愛い感ある。
・猫のジョナスが最高かわいい
ホラー要素のある話なのかと思っていたので、猫ちゃん大丈夫かなとしんぱいだったけれど、最後まで健在です!我ながらこれはいいネタバレ!
・人間の気持ち悪さに触れられる!
村人やチャールズはもちろん、ブラックウッド邸で暮らす3人も、ものすごく人間的で、気持ち悪いほどいきいきと書かれている。心理を浮かび上がらせるような、光と闇のコントラストが面白い。
また、村という閉鎖社会の恐怖を好んで観賞するという読者にはうってつけの作品です。謎解き要素もちょっとあり。