感想

くらげなす漂うアメリカンアパレル

卵巣チョコレート嚢胞(子宮内膜症)と子宮筋腫の手術をしたYO

6泊7日入院で手術してまいりました!卵巣チョコレート嚢胞と子宮筋腫(4センチ)の手術でございます。

手術しなきゃかも・・ってことを告げられたとき、悩みに悩みまして、たくさんの方のブログを参考にさせていただき、とても心強かったので、わたしも経験を書いておこう!!だれかが参考にしてくだされば嬉しい!ということで書きます。

 

手術にかかる時間

わたしの場合、筋腫4センチと比較的ちいさめだったので、手術にかかったのは2時間30分でした。3時間30分かかるかもといわれていましたが、癒着もなかったため縮んだようです。

麻酔のこと

全身麻酔後、気持ち悪くなるかたがいらっしゃいますが、わたしはそこまでひどくなかったです。看護師の知人によれば、煙草をやめてたおかげじゃあるまいか?とのこと。ぜひ煙草をやめてから手術されるのをオススメします。でもそうだ、わたしの知人女性は煙草もすわない健康体だったけど、麻酔手術後ずーっと頭が痛かったんだって><。

こればかりは人によるのかもしれないです。

入院生活について

それまでの生活があまりに不規則で不摂生だったわたくし。寝るのも2時3時、起きるの12時みたいな感じでした。それが入院すると以下のスケジュールに。

朝6時起床

7時30分にあさめし

午前診察

12時おひるごはん

午後 ガラス越しに太陽光を浴びる、本を読む、病棟内を歩いてみる

18時よるごはん

22時消灯 ねる

みたいな感じで、超健康生活です。しかも、ごはんうまし!!!最高のごはん!!(全国にたくさんある済生会系の病院でした)

看護師さん、お医者さんが優しい

あーほんとに優しかった。看護師さん、とくに助産師さんたち(病棟では帝王切開の出産者さんたちも入院中)の切れのよさと、たくましさと、ただならぬキラキラオーラ!人間っていいなぁ!!と久しぶりに体感するわたくしであった。お医者さんもかっこいい!素敵な仕事だなあ・・・と尊敬のまなざしです。本当にありがたいことです。ありがとう。泣

シャワーとドライヤー

ありました。シャワーの水圧が神!!! あと、ドライヤーあるか心配なかたは病院に問い合わせてみてね。たぶん貸出があるはず。わたしのところは簡単に借りれました。

たまに赤子が見れるぞい

帝王切開のかたが入院されているので(病院による)、運が良ければぴちぴちの赤ちゃんが見られます。ほんわ~かうふうふ。ただしあまりじろじろ見てはいけません。失礼ですよ。わたしは見ていましたが・・・

 痛み

すんげー痛い! 夜中とか痛すぎて、「ううう」ってなって、ここは野戦病院かな?って感じ(笑)

でも、痛いからこそ、日に日に治癒していくのが自分でよくわかり、ホッとします。自分の身体ってだいじやわー!って実感します。あのさ、ワンピースのドクタークレハが治療した子供とかに「ハッピーかい?」って聞くやん? あの感じです。ハッピーです。

 

 

と、そんな感じのハッピー入院生活でした。不安に思っているかたがいらっしゃったら、大丈夫だよ!と言いたかった。

 

いや、人によって病状も違うので、そんな無責任なことはいえませんけれども、でも、心安らかに、できるだけ明るいほうに目を向けていれば、みんな優しいから。大丈夫!

 

現在はホルモン調整して治療中

現在わたしはディナゲストというホルモン調整の薬を毎日服用してます。内膜症予防のために、エストロゲン多量なところをプロゲステロン増量にて抑制しているかんじです。理論上、生理をとめてる状態といえます。でも、生理が毎日あるみたいな出血エブリデイ!!!!

 

で、以前のわたくしだったらこのディナゲストさんのことを血眼でググりにググって、きっとものすごいネガティブな情報を見つけて落ち込んだりしていたと思います。

わたし本当にネガティブっていうか、考えることが好きなんですよ。悲しいこととか

世の中の苦しみとかに、がっつり組みあって、頭働かせるのが好きなんです。でも、今回ばっかりはそうはいかねえ!! ハッピーなほうに頭を向けないと、わたしゃ、半年もつづくこの治療に耐えられるきがしねえんだっ。

だからね、さいきんはもう、仕事にうちこんで(在宅)、がっつりと、幸せな妄想とかして、おいしいもの食べて、夜早く寝て、っていう生活をしております。

たくさんの人に助けられました。

あなたもきっと助けてもらえます。だから、今回ばっかりは、みんな、あんまり病状をググりすぎずに、お医者さんにゆだねてみることも大事!!

あとね、わたしは知人女性がチョコレート嚢胞の手術経験者だったため、話を聞いておきました。その女性は手術後に妊娠されていましたので、なんだか安心でした。

女性系の病気は、周囲にけっこう経験者がいるものです。

子宮筋腫も、多くのかたが持っています。不正出血してらっしゃる女性も多いです。

だから話を聞いてみるのもいいかもしれませぬ!

お金について(手術費用と高額医療費制度)

あっそうだ!

費用費用! 費用は298,000円くらいでした!!!ディナゲスト1か月分いれてね。

そんで高額医療費制度を利用すれば8万円~10万円くらいで済むかんじです。病院の人も教えてくれるだろうとは思います。

この高度医療費制度を利用するにあたって、1か月ごとに締め切りがある感じなんです。だから、入院するなら月初からが安心!ってことになります。たとえば1月末に手術して2月1日も入院してるってなったら損しちゃうかもしれへん、って感じです。

このへんも、病院の相談窓口とかで教えてくれると思いますので、ぜひぜひ勇気をふりしぼって訊いてみてください。

 

それでは、何かしら参考になることがあれば嬉しいです。りょうごくらむだでした!

 

おまけ

持っていった本 

魔の山(病院だもの!)

硝子戸のうち(夏目漱石大先生愛してる。ありがとう)

金閣寺(通院本だったので持っていったが、気が滅入りそうなので(笑)読んでない )

高瀬舟kindle

ほぼ魔の山と硝子戸のうちを読んでいた。おかげでさびしくなかった。

お見舞いにもらった本

お見舞いにもらった本はソッコーで読み終えました。ありがたい!

絶唱 湊かなえさん(2019女性に売れた新潮文庫1位!さすがの読みやすさ)

日日是好日 森下典子さん(お茶やりたくなった。泣いたー!)

病院にあった本

窓際のトットちゃん(黒柳さーん! 号泣した! さすがの大傑作です)

ふくろうの図鑑

雪の結晶の本

 

本たちよありがとう。ILOVEYOU!!!!!

かっこいい車と迷いのない人生

こんにちは。ライターのりょうごくです。今日はリチャード・ドーキンス利己的な遺伝子』から多大なる慰めを頂戴しましょう。ドーキンスによれば、人間は遺伝子を乗せた乗り物です。ぶーんぶーん。ぶーんぶーん(私のなかで物議をかもした小倉優子のCM)

 

利己的な遺伝子 <増補新装版>

利己的な遺伝子 <増補新装版>

 

 

突然ですが私は不妊症です。不妊症っていうと言葉が強すぎるけれど、じっさい、現在の医学界での定義が不妊症=1年以上、こどもができかねない行為をしているのに妊娠していない」なので結構、すぐ不妊症呼ばわりされる感じなのですよね。

もっと可愛い言い方がほしいよね。ルルベ・シンドロームとかどうだろう。ルルベはクラシック・バレエのポーズの一種です。似てないかい、子宮と卵管に。誰か共感してくれないかい?

 

私は結婚して10年。なので定義からすると超絶不妊症ということになります。

25歳のとき1度妊娠したのですが、流産してしまいました。なぜ妊娠できたのかは、まったくわかりません。謎。奇跡だったな~という感じです。

 

独身の親友と遊びまくったり、ばりばり仕事をして馬車馬になったりしている間に、時は過ぎていきました。

 

そんで、現在31歳です。原因不明の不妊症は引き続いています。

もうめんどくさいからさくっと体外受精しよっ☆って、決めまして、検査受けたりしていたのですが、

やはり私には体外受精は無理そうだな~と思いはじめました。そこに向かう熱量が足りない。

あと、「自然」へのあこがれが強すぎる。そんなもの、フィクションなんだから自然なんて、くそみたいなあこがれは棄てればいい。でも無理なんですよね。

 

夫のお母さん、お父さんに申し訳ないから頑張らなきゃ…無理なら離婚しなきゃ…と悩んでたのですが、でもね、たぶん、不妊症って、仕方ないことですよね。

遺伝子が先祖代々の身体を乗り物にして、ずーっと運ばれてきたわけですやん。その運搬途中でなんらかのミステイクがあったから、私と夫の代ではこどもができなかった。それだけのことなんちゃうかと。

 

私のせいじゃないじゃんと。言うたら親戚みんなで背負ってるんだよな。二百年以上前からずーっとずーっとつづいてる。

こどもを産むことは、そんなふうに、業を増やすことでもあるんですよね。

 

ま、頭をつかって考えても、こればかりはしゃあないよね。

 

ただ、このまま夫と人生を歩んでいく――こどもなしで――と思うと、なんだかいっきにこの結婚生活が、みょうちきりんなものに思えてきて。夫のことは面白い人だと思うし、ずっと友達だったし、よいパートナーだったけれど。でもなんだかんだ、こどもできない罪悪感は根深い。そうした重い考えから自由になって、別の生活を営んでいきたいとも思う。

 

ま、私がここであーだこーだ言ったところで、物事は何も変わらない。

何かを言われたり、言ったりすることで、真実が変わってしまう、と思い込んでしまうところに人間の不幸があるんだよ、とドーキンスは言ってたよ。(探したがその箇所みつからず)

 

四十億年前BAR

人間を作ろうと思ったら、宇宙の全時代が一瞬に思えるほど長い期間、生化学のカクテルシェーカーを振らねばなるまいが、それでも成功しないであろう。

 

生きる意味と科学について。

おそらく、宇宙の究極的な運命には目的など実際に存在しないだろうが、われわれのなかで誰であれ、人生の希望を宇宙の究極的な運命に託す人間など本当にいるだろうか。(中略)われわれの生活を支配しているのが、もっと身近で、温かく、人間的な、ありとあらゆる種類の野心や知覚である。人生を生きるに値するものにしている温かさを、科学が奪いとると言って非難するのは、途方もなく馬鹿げたまちがいであり、私自身や大部分の現役の科学者の感覚とまるで正反対なものである。(リチャード・ドーキンス利己的な遺伝子〈増補新装版』より)

頭で考えすぎちゃうゾ☆

 

kemioの本『ウチら棺桶まで永遠のランウェイ』は、全ページにツキが宿る良書

 

ウチら棺桶まで永遠のランウェイ

ウチら棺桶まで永遠のランウェイ

 

 

 

 こんにちは、ライターのりょうごくらむだです。今回はYouTubeで人気を博したアメリカ在住のアーティストkemioさんによる書籍『ウチら棺桶まで永遠のランウェイ』についての感想を述べますぞ。

なんでアーティスト。私にとって表現者はアーティだからだよ 

 

 

 

 

 

kemioとは?(知らないひとのために)

1995年生まれのタレント/youtuber/モデル。動画配信アプリvineから火がつき中高生の人気者になった。フォロワーがいっぱいいてそのわりにアンチは少なめという稀有な存在。楽曲を出したり、今回のように本を出したりとマルチに活躍中である。2016年に単身渡米、現在はアメリカの事務所に所属している。2018年の中・高校生の流行語となったあげみざわ」「泣いたー」の発信源。独創的な言葉遣い、意外な礼儀正しさ、「口から文化祭」なる早口オノマトペYouTube視聴者を楽しませている。

 

全4章!kemioの半生と、生きるヒント

『ウチら棺桶まで永遠のランウェイ』は、全4章からなる回想録である。

第1章ではkemioの幼少期から渡米までを振り返る。悲しかったこと、嬉しかったこと、親友のナディヤちゃんのことなどをめぐり、考えてきたことや気づいたことを述懐している。「みんなをハピネスにしたい」という決して変わらなかった気持ちと、オーディションに落選しつづけるなかで見つけた、ひょんなきっかけ。また、いままで公表していなかった、ある事務所に参加していた件などが記される。軸ブレしない頑なさと、その真逆の柔軟さがすんなり同居している、kemioの人間性のバランスの良さが垣間見える。

第2章では、人間関係の光と影について書かれている。対人ストレスの対処法や、「嫌い」という感情の魔術的側面について語られる。ここからお悩み相談室的な向きもあるので、悩むことが多い人々の助けになりそう。kemioは綴る。

「気にしいの人が多い世の中、マウンティングだとかすぐ言われちゃう世の中、どう取られるか考えすぎたら何もできないんだよね。(p101)」

お金のない若い子が気軽に楽しめるブログ記事やウェブコラム。そうしたものには閲覧数を集めやすいものが書かれがちである。閲覧数を集めやすいものとはなにかというと、意外にも不安感を煽るものだったりする。みんな嫌われたくないし、傷つけたくないし、傷つきたくないのだ。そうした、いわば安い記事にとらわれると、身動きが取れなくなるのではないか。その場合どうすればいいのか。kemioの経験からいって、実際に自分がおかしな言動をしているときには、友達が注意してくれるという。だから信用できる友達の前では子供のように素直になって、自分をさらしてみることも大事なのではないか。なんとも等身大でやわらかな意見である。

「自分の人生は自分のもの。(中略)誰かの反応だけを求めて頑張ってるんだったら、それはもう人生じゃなくて演劇活動よ(p86)」

 

第3章は恋愛編。いままで公表していなかった自身のセクシュアリティについても書いている。書く決断をした理由に感動してしまった。kemioはほんとうにみんなをハピネスにしたいんだね、すごいよ、と頭が下がった。また、あまり経験がないとしながらも、性/恋愛対象とのフィジカル/メンタルな関係について語っている。「出会って1回目で実技試験しちゃった人とは恋愛ジャンルでの実験失敗(p139)」であり、いきなりやってしまうと「消えてしまうリスペクトもある」という。それな…。

 

 第4章では、選挙やジェンダーについて触れながら、現実への対処方法や「病む」ことについて書いている。才能ないから・・・と悩んでる人へ向けて、「やる前ってやめどきじゃなくない? p158」と言うkemio。前に進めないけどもがいている人の背中を押してくれる、ハッピーなだけじゃない強いメッセージがある。

 

文芸書として評価は見送る、still、彼の日本語は面白い

本書は全編、オリジナリティたっぷりの口語で貫かれている。リズムがあり、響きが面白いその口調は、まさにyoutubeで視聴するkemioそのものといった感がある。だが不思議と、距離を感じてしまうのは、私がバス金ロビンス※1だからだろうか? いやべつにおばさんになったわーとかじゃなく、同時代性に欠ける読者という意味でである。町田康や初期の川上未映子綿矢りさなど、独創的な口語体で書かれたものは多々あるが、エッセイにしてもフィクションにしても、それらは本来、読者と著者とのあいだの距離をぎゅっと縮めるものではなかろうか。kemioの場合そうはいかなかった。おそらくYouTubeのkemioと文章のkemioが一致しすぎているからだろう。ふつう文章を書くとき、ひとは構えてしまうものだ。kemioさんにはそれがない。逆に、ってことだろう。逆に、作家じゃないからこそ、構えがなく、だから呪術的効果も起こっていない。わるいことではない。しかし世の作家の文章って、どんだけビシッとよそゆき風でも、なぜかその行間に皮膚感がただよっているものなのだなぁと思う。肉薄、しちゃう、そこが純文の好さみである。よさみぃぃぃーーーーー!!

ともあれ、kemioの書いた文章は、彼のおしゃべりと同様に面白い。 「必要性にしびれたら、人ってやるものだもん(p163)」など、彼だからこそ出てくる表現がそこここに見られる。コアなファンにとってはもちろん必携の書であるし、私のようなライトだけど応援してますよー的な層にとってもまた良書である。なにより、この本、ハピネスオーラがやばい。占い本のように、えいやっと開いたところの文章が今日のワンポイントアドバイス!みたいな感じで活用することもできそうだ。

ちなstillってアメリカ英語だし口語でしか使わないらしい。さげみーーーーみーーーー(でっかい声で言ってみたいバス金ロビンス)

 

とにかくさらっと読めて、ばしっと元気になって、なんでもできちゃいそうな気がする。kemioパワーですね(洗脳)

 

 ※1 31アイスクリームの正式名。転じて、31歳であること

 

 

アマゾンアソシエイトプログラムに入っています。これをぽちっとして買うと、りょうごくらむだに微々たるポイントが入ります。それが積み重なってギフト券となる日もくるのでしょうか…。アフィリエイトってむずみざわ。。

cocoちゃんの東京

銀杏BOYZの「東京」が、youtuberのcocoちゃん(hotco co.a)のVlogタイトルになってたよ。出会えた喜びはいつも一瞬なのに、どうして別れの悲しみは永遠なの。ギターの弦を変えてすぐ歌いだしたcocoちゃんの東京、なんだか涙がでたよ。いろんなことを思い出した。アメリカのママが歌う東京。いつも彼女のは日本文学みたいなVlog

好きなチャンネルなんだけど、さいきんコメント欄が閉じられていて、読めないのが残念。たしかGoogleのペド対策で、こどもさんが出ているものやそれに対するコメントがあるチャンネルはコメント欄閉鎖されるらしいね。申請しないと再開できないとか。

 

蹴っ飛ばされて転がって疲れた

 

youtu.be

 

 

最近どうしようもなく、このせかいが怖い。わかりあいたい、裁きたくない、だけど、まもりたいもののために、闘わないといけない場面がある、だけどまもりたくない、そんなまもるなんてエゴは捨てたい、欺瞞はいやだ、でも欺瞞がなければ生きていけない

 

怒鳴って

お花でしきつめて

 

あーあ……、世の中がすこしでもよくなるように。みんなの心がやすらぎますように。

頑張ろうね。

わがしchannel♡祝1万人/1999年『スプートニクの恋人』

わがしchannelさんチャンネル登録者数1万人!おめでたい~!(><。)

このまますぐ3万、5万といわず10万人いくと思います。

そして彼女たちは日本を変えると、私、確信しております。

Twitterのファンアート描いてるかたの絵がめちゃいいんよね~。きっと、わがしchannelのファンはみんないい人。わがしファンにわるいやつはおらんのや…!)

 

☆☆

 

 

きのう1999年に書かれた小説を調べていたさい村春さんの『スプートニクの恋人』が挙がったので本棚を開けてひさびさひもといてみた。

 

もうひっさびさの久々村春作品だったんやけど、こんなに1行開けあった!?ってくらい1行開けのオンパレード(っていう表現をするとまるで揶揄だがそんな邪鬼な気持ちじゃない)である。何年か前の「文藝」で山田詠美星野智幸の対談があってね、山田詠美が「むやみに行開けすんな馬鹿」っていつものクールさ満点で言ってたのね。それでわれわれ素人文芸ガチ勢は「むやみだり1行開けはダメ!」って自分に言い聞かせるようになったよエンターボタン。が、村春さん、こんだけ行間あけまくりでも読者を集中させられるのって逆にすごない? てかガチ勢じゃない人にも明らかに読みやすいよね、行開けしてあると、区切りがあって気分もすっきり、ぷちぷちをつぶしたような気持ちになれそうだよね。

 

スプートニクの恋人』は、22歳の小説家志望女子が39歳の既婚女性に恋するお話である。えもーしょーーーーーえもーしょなりずみぃぃーー

レズビアンの女性は生まれつき、耳の中のある骨のかたちが普通の女性のそれとは決定的に違っているんだって。なんとかいうややこしい名前の小さな骨。つまりレズビアンというのは後天的な傾向ではなく、遺伝的な資質だということよね。アメリカの医者がそれを発見したの。彼がどんないきさつでそんなことを研究しようと思いたったのか見当もつかないけれど、いずれにせよそれ以来わたしは、その耳の奥のろくでもない骨のことが気になってしかたないのよ。わたしのその骨はいったいどんな形をしているんだろうかって」

(中略)

 ぼくは言った、「ミュウにたいして君が感じているのが性欲であることは間違いないんだね?」

「100%間違いないと思う」とすみれは言った。「彼女の前に出ると、その耳の中の骨がからからと音を立てるの。薄い貝殻でできた風鈴みたいに。そしてわたしは強く彼女に抱きしめられたいと望む。すべてをまかせてしまいたいと思う。もしそれが性欲じゃないと言うのなら、わたしの血管を流れているのはトマト・ジュースよ」

 (村上春樹スプートニクの恋人』1999年4月20日刊行 講談社文庫より引用)

 

忘れたらいかんのが、これが1999年の春に出た作品だということ。まだユーロが導入されたてほやほやの年といったらだいぶ昔やなあという気がしてくるはず。ポリコレスティックで大々的に叩かれることもなかっただろう。主人公すみれがレズビアンである自分を「普通の女性ではない」と捉えているように見えかねない部分が少しいやなかんじなのだがね。ネット上でもよく異性愛者の人が、ゲイと自分を比べたときに自分を「ノーマル」と表現することがあって、あああと思うんや。人って自分を普通ー標準ー平均〉って思いたがるものなのだろうか? やはり自分を基準にして世界を見るのはあたりまえのことなのだなと思わされる。そしてそれは悪いことではないんだろうね、だってとても野性的な視点じゃんね、自分を基準とするのって。知性を総動員すれば、他者的視点を手に入れられるけど、それは人間至上主義的なやりかたにすぎないし、むしろ世界をぶっこわすためのツールでしかないのかもしれないよね。

 

ぐるぐるぐるぐるやね。

 

まあでもポリコレ的には「ノーマル」って、他者を「アブノーマル」にしてしまうものだから、なんだかなぁと思う。てか、自分からみた他者がアブノーマルだとしても、けっきょく他者がおのれをノーマルに据えたとき、その他者から見た自分のほうがアブノーマルになってしまうわけだから…ぐるぐるぐるぐるやろ?

めぐるねんから…。だめよ…やっぱり。わたしもあのこもふつうかつとくべつなのよ。

 

 

てかでもさ、「恋愛=性欲」って思ってるひとって多いのかな。

もしミュウに対して抱いている感情が性欲に関連していないのなら自分の血はトマトジュースだというのはどういう意味なんかね。

たぶん村春としては、耳の骨=海綿体みたいな捉え方してるよねこれ。男子女子ともに膨張する海綿体、だけど村春さんはたぶん女子に海綿体はないと思っているんちゃうかな。だからこの〈耳の骨=海綿体=男の充血器官みたいなかんじよね。それを裏付けるように、トマトジュースつまり野菜(果実だけどね)つまり植物つまり草食系という連想が成り立っちゃうわよね。アメリカ文学では草食系女子のことを植物にたとえることがあるしたぶんこの連想はまちがってないとおもふのよね。1999年には詩的だったこのシーンもいま読むとこのように野暮な指摘がはいるわよね。しかもミュウっていうバイのセクシー女優さんの実在を知ったきょうこのごろ、よけい気が散るそれは読者がわるい。

 

しかし私ね、さいきん白髪をいくつも発見しておちこんでたのよ。このつらみをLINEの一言ステータスメッセージにて伝えたいの。でも「私は白髪人間だ」だと直接的でイタいかなってことで代名詞を使おうとおもうんだけど、免色さんとミュウとどっちを採用すべきだと思いますかアンケートです。

 

きょうもがんばろー!

 

わがしchannelさん

youtu.be

 

きゃわいい……美人……癒し…しゃれおつ…笑い……すべての幸福の生みの親……

マジおすすめだから…。

彼女には「好き」と言えなかった話

こんにちは、ライターのりょうごくらむだです。 

さいきん彼女のことばかり考えてもやもやしてしまうので、自分の気持ちを整理するためにもいろいろと書き残しておこうかなとおもふのです。ただ、自意識過剰大洪水な私は、じぶんの書いた文章を読んで、あああああこんなこと書いちゃだめえええええとか、この書き方は誰かを傷つけているううううとか、反省にも行きつかないような、なんというか脊髄反射的自虐思考に陥ってしまうのです。それでいて、妙にファニーに見せようとして、おちゃらけてしまうので、ゆがみやひずみがはんぱなきことなりです。

どんなに善人であろうとしても、人は誰かを傷つけてしまうものであると、仏教が育つ過程でもうそれは人類、わかりきっていたことのようで、それで「他力本願」という考え方があるわけで、柏手を打ちつ打ちつ、なむあみなむあみして、かみさま、私がそれとしらず傷つけたすべてのひとを癒して救ってお願いね。

 

 

彼女には「好き」と言えなかった話

 

私には嫌いな友だちなどいない。嫌いな人をそばにおいて憎みつづけられるほどの強靭な精神はまだ持ち合わせていないからだ。

友だちのことはみんな全力で大好きだ。だからみんなに「好き」と、いつも言語で表現していた。

「大好き」「好き」「愛してるよ♡」なんて、手紙やメールにかならず入れてた。(これは男友だちにも適用された。でも魔性の女とか陰口たたかれてたのでやめたった。)

だけど、恋愛的な意味で好きになったひとに対しては、何も表現できないことのほうが多かった。好きだなんて言ったら誤解(誤解じゃない)される…。そんなふうに意識しすぎるため、なかなかまともにコミュニケーションが取れないのだった。

あるとき、私は彼女に出会い、すぐに仲良くなった。

彼女は私のことを好きだと言った。「大好き!」「愛してる!」メールの文末を飾る、友だち同士だからこそ気軽にいえる「好き」に、私はばかみたいに傷ついてしまった。思えば、そのときから私の気持ちは非常に重く、重く、重かったのかもわからない。

そしてその重さが、私をどんどんコミュニケーション下手にした。

かわいい、大好き、愛してる、なんて、友情を育むなかではあたりまえに口に出されることだ。ハグとかチューも、ふつうにすることだ。私は女の子と温泉にも長期海外旅行にも行くし、いっしょに住んだこともあった。みんなのこと、友だちとして真剣に愛していた。でも一度も、彼女に対して抱くような感情を味わったためしはなかった。

劣情、という言葉を古典文学の翻訳などで目にする機会がままある。現代日本で性愛の情を劣っているとみることはないだろう。だが私はこの劣情、という言葉こそ、彼女を想う私の気持ちにぴったりあっていると思った。その語感や、漢字のかたちを含め、私の心情を言い当てている気がした。彼女とセクシーなことをなにかするまでは、「好き」ということもできない気がした。ただの友情じゃないということをわかってほしかった。この時点で、私たちの結んだ関係は上手くいくはずがなかったのかもしれない。とにかく私には力がなく、くそ弱く、ぶつかったら割れて潰れて粉々の再起不能になることはわかりきっていた。それで、ちょっとずつ摩耗していくほうの道を選んだのだった。

私たちは支えあい、夜のなかを渡って会った。

数年がたつと、もう「好き」と言葉にすることも怖くないほど、距離が0にまで近づいていた。

だが、彼女と会った後はいつもさみしくて、改札や、店の前や、夜寝るふとんのなかで、涙がこらえられなくなるのだった。

なぜなのだろう。

なぜ。

わからない。私は眠れなくなり、よけいな、もやもやとした、いやなことばかり考えるようになっていった。彼女は結婚した。また彼女の仕事は人生を変えるほどのたてこみようだった。私は引っ越した。お酒と煙草をやめた。いくつかの旅行の計画が破たんした。いろいろなことが重なったと思う。

いま思えば信じられないことだが、私は彼女と撮った何千枚もの写真を削除したし、引っ越し先の住所を教えてほしいといわれたのに教えなかった。

私はそんなふうな、悪鬼でもやらないような非情な手を使うことでしか、彼女と向き合えなかったのだ。私は彼女をぶちぎれさせたかった。そしてそれは、自分自身がぶちぎれたかったのと同義である。夫がいること。法の抜け穴をほふく前進しながら会っていること。お互いの夫が大嫌いでいなくなってほしいと思っていて、でもなにもできないことなど、ぶちぎれ要因はやまほどある。

だが私たちにはまた仕事もあった。家事に仕事にほかのささいな人間関係に没頭していれば、ほんとうにやらなくてはならないことを忘れていられる。ぶちぎれることなど忘れる。社会や共同体に対して影響力を持っていることが、彼女との関係をくそみじんこゴミに変えてしまった。

彼女は私から離れていった。

半年以上がたった。

私はこのまえ、衝動的に電車に乗って、彼女のいる町へ出かけていった。ふたりでいった喫茶店や、ならんであるいた川沿いの道をうろうろしながら、そんなことがあったなんてすべてが、嘘のようだとおもった。

LINEの友だち一覧には彼女の顏がある。髪を切って、可愛くなっていた。

もしかしたらブロックされてるかもなぁと思う。彼女はいままで、友だちをブロックしたという話をよくしていたし、すぐにそういうことをやる潔癖なところがあるからだ。そうしたエピソードも、また、私を恐れさせた。彼女は決して性格のいい優しい子ではなかった。いつも闘っていた。自分の気持ちを優先させるタイプの人間で、ほかの人の身になって考えるということが苦手だった。だからこそ彼女の世界は魔術に似て美しく、独創的だった。私はそういう彼女を、ずっと、支えていくつもりだった。

もう一度「好き」といったら、彼女は信じてくれるだろうか。あるいはそれは友だちとしての「好き」になりうるだろうか。

ふつうの友だちに戻れるものだろうか。

私たちに「ふつうの友だち」だった時期などあったろうか?

 

私はこうした話を、きょうだい1人と友人1人にしか話したことがない。だがこの2人の生き証人にすらさいきんでは会いたくない。会えば彼女のことを話してしまうだろうし、その瞬間に、私の気持ちも、いままでの出来事も、すべてが人工物になってしまうだろうから。

まあいまもフィクションがすごいことになっている気がするけど、でも、だいたい真実。とにかく誰かに奇妙な異常な恥さらし的なLINEを送ってしまうなどということがないように、暗い秘密は小出しにしなきゃね。

 おわり

森鴎外『普請中』ストーリーと解説と感想

こんにぴわ。ぷるぷる文筆家のりょうごくらむだです。

今日は森鴎外『普請中』について書きますです。初出は1910年6月(明治43年三田文学ですね。日露戦争の5年後、韓国併合したころに書かれています。梶井基次郎がこのとき9歳かぁ~。ちなみに2年後にはドイツのトーマス・マンサナトリウムにお見舞いにいって『魔の山』の着想を得ています。そんな感じの当時、日本じゃぱんで森鴎外はなにを考えていたのでしょうか。邪推しちゃいましょー!

 

 

 

 

森鴎外『普請中』

登場人物

渡辺参事官…主人公の官吏
女の人…海外公演ツアー中の歌手。おそらくドイツ人女性。ウラジオストクで公演したついでに日本に寄った
コジンスキー…ポーランド人伴奏者。女の人とセクシーな関係にある
 

ストーリー(鴎外さん、意訳させていただきます)

ある雨上がりの夕暮れどき、渡辺参事官は歌舞伎座の前で電車を降りた。待ち合わせの「精養軒ホテル」へ着いてびっくり。営業はしているが、どうやら普請中(修繕工事中)のようで、職人たちがトントンカンカンやっている。渡辺は約束時間より30分以上前についていたので煙草をすいながら待つことにしたが、べつに誰がきてもいいような、どーでもいいような気持ちである。17時には職人たちが帰り、やっと静かになった。店内の様子はというと、テーブルセットやソファが配置され、まさしく西洋の雰囲気。だがドアのところには神代文字が飾ってあるなど和の雰囲気も混ざっている。渡辺的には和がださく古臭く、まるで日本の恥のように感じられて(大げさ)つい卑下してしまう。
やがて待ち合わせ時刻の17時30分になり「お待たせ~」と元カノドイツ人女性がやってくる。彼女はいまツアー中で、コジンスキーというポーランド人男性と愛宕山に泊っているらしい。コジンスキーといえば、渡辺も顔見知りのポーランド野郎である。「彼、あなたにも会いたがってたよ」と告げられる。渡辺の嫌そうな様子に、金の無心をされたくないのだと誤認した彼女は「あなたに金銭的に頼るつもりはないから安心して」と告げる。なんでも彼女たちがウラジオストクにいたとき、風の噂で「日本経済はアカン」と聞いたそうだ。次のツアー開催地はアメリカだから、わざわざ日本で金儲けしようだなんて思っていないというのである。渡辺は「日本はまだ普請中だ」と自虐コメントをする。するとドイツ人女性は言う。「あら! 日本の紳士がそう言ってたって、アメリカで噂を流しちゃおっかな。あなた偉い人でしょ?」「うん、偉い人だよおれ」「(日本では)お行儀がいいのね」「おそろしくいいんだよこれが。本当の俗物になりすましているんだから。今日のこの席だけは、きみのために俗物の仮面を脱いでるけどね」。これをきいたドイツ人女性はきゅん♡としたらしくキスしたがるが、渡辺は自己卑下のさなかにあり、また日本にいるときとドイツにいるときとでは人格が変わるのでキスを拒否してしまう。それどころか、「コジンスキーに乾杯!」と、彼女のイマ彼を称える始末……。3時間ほど食事をともにした後、何もすることができない渡辺を残し、ドイツ人女性はひとりで帰っていく。
 

解説註釈☆読むとき参考になるといいな。

ロドダンドロン…ツツジ科の植物。英名はアザレア

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クウウェエル…フォーク、ナイフとかのセット? カトラリー? わからない、教えてくれー
大教生…神道を教える人。1874年に爆誕した、神道を国教化するための宗教官吏。1877年には廃止されているので、本作が書かれたときにはもういない。
神代文字…漢字が伝わるまえの、文字っぽいもの。古いことば。ソファとかテーブルセットとかがあるのに、飾りは極日本っぽくて相容れない雰囲気があるかんじが伝わってくるね。いまでいえば和モダンなんだけどね。参照;世界の文字
「それじゃあお前はコジンスカアなのだな」…夫婦なのだなという意味。ロシアで女性の姓は語尾にaがつくよ。
ポラック……ドイツ人がポーランド人を差別する言い方。ポラッケと発音することも多い。フランス人は"polaques"と言う。ナチスドイツ時代を扱った日本語の小説によく登場する単語。鴎外はドイツ留学もしていたドイツかぶれだったから…。
Begleiten……伴う
Kosinski soll leben!(コジンスキィゾルレエベン)……コジンスキーは生きるべき=コジンスキーに乾杯
シャンブル・セパレエ…別室。その後の科白運びから意味を考えて意訳してみましたので以下をどうぞ。
偶然似ているのだ」「給仕のにぎやかなのをご覧」=「以前おれらがドイツでデートした部屋とは偶然似てるのかもね。でも給仕が賑やかすぎて、完全には似てないだろ?」
「あまり気が利かないようね。愛宕山もやっぱりそうだわ」=「日本のフレンチレストランの給仕はわちゃわちゃしてるね。愛宕山もそうだった。西洋化にちょと失敗してるかもね」
チェントラルテアアテル…Zentrale theater セントラルテアトル。
フィリステル…Philister、ペリシテ人。転じて「俗物」を意味する。ショーペンハウアーの幸福論に俗物という意味で出てくる。ここでは富や権力を幸福とする者のことを俗物としているのかもしれない。
 

感想

「日本は芸術の国ではない」と言い、「日本の官吏として(芸術に見向きしないような)富と権力だけの男になりきって生きている」と主張する渡辺。しかし俗物官吏の仮面の下には、芸術を愛し、ドイツの女を愛する「お行儀のわるい」男がいる。渡辺はそれを自分でわかっている。でも普請中の日本においては、自分はドイツの女を愛することもできないのだ。こんな日本じゃ駄目。ポーランド野郎に乾杯!……なんてものすごい自己卑下、さらに、女性の描写からして、ひねくれた自尊心を感じる。森鴎外は「しらふの人」といわれていて、淡々とした描写に定評があるが、『普請中』においてその語り口は淡々としているふうには感じられない。これが理性というならば、ずいぶん濃やかでねちっこい理性だと思う(まあ、理性ほどねちこいものはないのかもしれないが)。三人称で書かれているけれど渡辺主観の小説であり、「渡辺は」を「おれは」に代えることが可能。そのせいで何度も「渡辺は~した」という表現があり、かえって主観的なことを強調してしまっている。いっそ一人称にしてしまえば潔いのに。でも最後のXXXの後だけ、完全な三人称(神視点)の書き方となっており、その部分が肝要という気もする。三人称である意味がこの最終部分にあるのかもしれない。ただ、この最後のところでさえも、渡辺主観で寂しげだって思っただけなんじゃ…と疑ってしまいそうになる。
そしてやはり、他者を愛するには自己卑下している場合じゃない、ってのがよくわかる。すかすかで高さばかりあるプライドのせいで失恋していることにも気づかないような人間のままでいちゃだめだって心に刻まなきゃね。
ただ、鴎外は日本が、大好きなんだよね。自国が自分の肉体&魂の一部だとかたく信じているんだよ。だからかわいそう。こどものなまえにあんぬとかまりーとかつけるくらい西洋化しなきゃって思っていたことも。でもそのおかげで和モダン素敵ないまがあるんやし、神代文字的ではない日本文学があるんやな。ありがとう。
 
(涙)
 
(完)
 
(Fin)
 

 

普請中

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普請中 (青空文庫POD(大活字版))

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森鴎外全集〈2〉普請中 青年 (ちくま文庫)

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※誤字脱字や、クロウウエェルってこういう意味だよなどご指摘がありましたらコメント欄にて教えてください