感想

くらげなす漂うアメリカンアパレル

ニコチンなしの、お水の煙草はざくろ味

こんにち。らむだりょうごくです。

きょう、は、創作だよ。創作ブログだよ。いえーいピースわっしょーい。

 

 

髪の毛をピンクにした(いちごひめ)

爪をブルーにした(ミラノのブルー)

那須のお土産はルルルンの赤い苺(いちごひめ)

 

あちぃ……。ふぁっく……。

 

 

あの

ふぁっくとか言ってるけど、思ってないから。

 

ローソンまで歩いて、からあげくんレギュラーを買った。

煙草は買わない。もうずっと。

ぽい。ぽい。

からあげくんをワンサイズ、おくちへ。

雪見だいふくのカレーヌードルをためしたかった、らいんなっぷ、そんな。

一緒に買ったナプキンの衝撃に紛れて、雪見だいふく、カレーヌードル、目立たない。

 

マーメイドになれそうなエクセルの新作アイシャドウは、名前がチュールスカート

制作班の汗と涙をかんじた。

知らんけど。

知らんけど、知っていることだらけよ。

 

赤ワインはスポイト並み

ばちギレ

でもウイスキーならある。凍らせている。とぅるる、レモン。

 

もう今日は性的な想像をたくさんできればいい、けど

パワーがないわよ。赤ワインはダウナー用で、ファンタジーには向いてない。

 

ニコチンなしの、お水の煙草はざくろ味 らむだ

 

顔がむくむ前に塩は控えめ(ピンク岩塩)(ピンク塩お姫)

 

 

かっこいい車と迷いのない人生

こんにちは。ライターのりょうごくです。今日はリチャード・ドーキンス利己的な遺伝子』から多大なる慰めを頂戴しましょう。ドーキンスによれば、人間は遺伝子を乗せた乗り物です。ぶーんぶーん。ぶーんぶーん(私のなかで物議をかもした小倉優子のCM)

 

利己的な遺伝子 <増補新装版>

利己的な遺伝子 <増補新装版>

 

 

突然ですが私は不妊症です。不妊症っていうと言葉が強すぎるけれど、じっさい、現在の医学界での定義が不妊症=1年以上、こどもができかねない行為をしているのに妊娠していない」なので結構、すぐ不妊症呼ばわりされる感じなのですよね。

もっと可愛い言い方がほしいよね。ルルベ・シンドロームとかどうだろう。ルルベはクラシック・バレエのポーズの一種です。似てないかい、子宮と卵管に。誰か共感してくれないかい?

 

私は結婚して10年。なので定義からすると超絶不妊症ということになります。

25歳のとき1度妊娠したのですが、流産してしまいました。なぜ妊娠できたのかは、まったくわかりません。謎。奇跡だったな~という感じです。

 

独身の親友と遊びまくったり、ばりばり仕事をして馬車馬になったりしている間に、時は過ぎていきました。

 

そんで、現在31歳です。原因不明の不妊症は引き続いています。

もうめんどくさいからさくっと体外受精しよっ☆って、決めまして、検査受けたりしていたのですが、

やはり私には体外受精は無理そうだな~と思いはじめました。そこに向かう熱量が足りない。

あと、「自然」へのあこがれが強すぎる。そんなもの、フィクションなんだから自然なんて、くそみたいなあこがれは棄てればいい。でも無理なんですよね。

 

夫のお母さん、お父さんに申し訳ないから頑張らなきゃ…無理なら離婚しなきゃ…と悩んでたのですが、でもね、たぶん、不妊症って、仕方ないことですよね。

遺伝子が先祖代々の身体を乗り物にして、ずーっと運ばれてきたわけですやん。その運搬途中でなんらかのミステイクがあったから、私と夫の代ではこどもができなかった。それだけのことなんちゃうかと。

 

私のせいじゃないじゃんと。言うたら親戚みんなで背負ってるんだよな。二百年以上前からずーっとずーっとつづいてる。

こどもを産むことは、そんなふうに、業を増やすことでもあるんですよね。

 

ま、頭をつかって考えても、こればかりはしゃあないよね。

 

ただ、このまま夫と人生を歩んでいく――こどもなしで――と思うと、なんだかいっきにこの結婚生活が、みょうちきりんなものに思えてきて。夫のことは面白い人だと思うし、ずっと友達だったし、よいパートナーだったけれど。でもなんだかんだ、こどもできない罪悪感は根深い。そうした重い考えから自由になって、別の生活を営んでいきたいとも思う。

 

ま、私がここであーだこーだ言ったところで、物事は何も変わらない。

何かを言われたり、言ったりすることで、真実が変わってしまう、と思い込んでしまうところに人間の不幸があるんだよ、とドーキンスは言ってたよ。(探したがその箇所みつからず)

 

四十億年前BAR

人間を作ろうと思ったら、宇宙の全時代が一瞬に思えるほど長い期間、生化学のカクテルシェーカーを振らねばなるまいが、それでも成功しないであろう。

 

生きる意味と科学について。

おそらく、宇宙の究極的な運命には目的など実際に存在しないだろうが、われわれのなかで誰であれ、人生の希望を宇宙の究極的な運命に託す人間など本当にいるだろうか。(中略)われわれの生活を支配しているのが、もっと身近で、温かく、人間的な、ありとあらゆる種類の野心や知覚である。人生を生きるに値するものにしている温かさを、科学が奪いとると言って非難するのは、途方もなく馬鹿げたまちがいであり、私自身や大部分の現役の科学者の感覚とまるで正反対なものである。(リチャード・ドーキンス利己的な遺伝子〈増補新装版』より)

頭で考えすぎちゃうゾ☆

 

「呪われ女子になっていませんか?」「いや、祈りです」ー清潔に、お金をだいじに、祈ればいい

こんにゃちは。ぷにライターのりょうごくらむだです。身長160センチ、体重は58キロです。まじでぷにってきてんじゃんよぉ!!だがそこがいい。好きな食べ物はパスタです。好きなタイプはパーカーが似合う人です。あと弘中綾香です。毎晩考えてます。弘中綾香と手をつないでディズニーをきゃらめるぽぷこーんの香りと共に。そういえばオードリーの春日さんが結婚しましたね。私はリトルトゥースであり、リソナ―です。

 

 

 『呪われ女子に、なっていませんか?本当は恐ろしい子宮系スピリチュアル

と、対をなすのが

『子宮委員長はるの子宮委員会

なんだけど、これ、どっちもどっちよね。

 

子宮委員長はるの子宮委員会

子宮委員長はるの子宮委員会

 

 

なんか、数百年にわたって俯瞰する右翼と左翼、っていうか、暗黒時代とダビンチを思わせるよね。

『呪われ女子になっていませんか?』に飛びつく人のなかには、子宮系スピリチュアルを信じて、でも報われなかったという人も多いんじゃないかな。または子宮系にお金つかいすぎて金欠になっちゃった人とか、病気になっちゃった人。

はたまた、私みたいな野次馬………。

 

思うんだけど、布ナプキンで温めとか、そういう似非科学は、祈りだよね。人の大切な祈りだから。カトリック教会に殴り込んで、「マリア様に祈ってもなんの意味もねーんだよ! 処女受胎はありえねーよ!」って言ってもしゃあないやん。いや、なんとなくわかってるよ?でも私は祈るんだよ? みたいな感じちゃうの。

トマス・アクィナスも言ってるじゃん、信仰でしか救えない分野があるってょ…。

 

いや、もちろん、宗教は人を殺すから、宗教が暴力を産んでるからそういう側面があるから現に。だから、批判するのも大事なことだよ。

でも、子宮系スピリチュアルを本気で信じている人がいたとしたら、その人を指さして笑うことは、何の解決にもならないよね。スッキリする人もいる、ってだけじゃんね。

「ほどほどにしとけよー」で「そだね!」ってなってたら、なんも問題ない。

 そうはいかないから、もっと別の手段が必要になる。

その手段がどういったものなのか、わかんないけど、とりあえず太陽をあびるとかになってきちゃうよね…。

 

スピリチュアルって、きもいところもあるけど、必要だよねって私は思うよ。

時代のせいで論理、合理に傾きすぎるところを、祈りで引きとどめているんじゃないのかなぁ。

 

ほんと、綱引き。エビデンス重視医師と子宮系スピリチュアル教祖が、綱引きしながら、突進せず、後退し過ぎず、ゆっくり未来に進んでいけばいいんじゃないの。

 

「あたし呪われ女子になってた!あの糞うそつき子宮教祖のやろう…」とか「あたし子宮をおろそかにしてた!これじゃ不幸になる、子宮の声を聞かなきゃ!」とか、どっちもどっち。そんなふうに、ふりまわされないようにね。

地球のどこかでは、差別感情すらも誰かの救いになるっていうじゃない。

人間なんてらららだね。

 

 

kemioの本『ウチら棺桶まで永遠のランウェイ』は、全ページにツキが宿る良書

 

ウチら棺桶まで永遠のランウェイ

ウチら棺桶まで永遠のランウェイ

 

 

 

 こんにちは、ライターのりょうごくらむだです。今回はYouTubeで人気を博したアメリカ在住のアーティストkemioさんによる書籍『ウチら棺桶まで永遠のランウェイ』についての感想を述べますぞ。

なんでアーティスト。私にとって表現者はアーティだからだよ 

 

 

 

 

 

kemioとは?(知らないひとのために)

1995年生まれのタレント/youtuber/モデル。動画配信アプリvineから火がつき中高生の人気者になった。フォロワーがいっぱいいてそのわりにアンチは少なめという稀有な存在。楽曲を出したり、今回のように本を出したりとマルチに活躍中である。2016年に単身渡米、現在はアメリカの事務所に所属している。2018年の中・高校生の流行語となったあげみざわ」「泣いたー」の発信源。独創的な言葉遣い、意外な礼儀正しさ、「口から文化祭」なる早口オノマトペYouTube視聴者を楽しませている。

 

全4章!kemioの半生と、生きるヒント

『ウチら棺桶まで永遠のランウェイ』は、全4章からなる回想録である。

第1章ではkemioの幼少期から渡米までを振り返る。悲しかったこと、嬉しかったこと、親友のナディヤちゃんのことなどをめぐり、考えてきたことや気づいたことを述懐している。「みんなをハピネスにしたい」という決して変わらなかった気持ちと、オーディションに落選しつづけるなかで見つけた、ひょんなきっかけ。また、いままで公表していなかった、ある事務所に参加していた件などが記される。軸ブレしない頑なさと、その真逆の柔軟さがすんなり同居している、kemioの人間性のバランスの良さが垣間見える。

第2章では、人間関係の光と影について書かれている。対人ストレスの対処法や、「嫌い」という感情の魔術的側面について語られる。ここからお悩み相談室的な向きもあるので、悩むことが多い人々の助けになりそう。kemioは綴る。

「気にしいの人が多い世の中、マウンティングだとかすぐ言われちゃう世の中、どう取られるか考えすぎたら何もできないんだよね。(p101)」

お金のない若い子が気軽に楽しめるブログ記事やウェブコラム。そうしたものには閲覧数を集めやすいものが書かれがちである。閲覧数を集めやすいものとはなにかというと、意外にも不安感を煽るものだったりする。みんな嫌われたくないし、傷つけたくないし、傷つきたくないのだ。そうした、いわば安い記事にとらわれると、身動きが取れなくなるのではないか。その場合どうすればいいのか。kemioの経験からいって、実際に自分がおかしな言動をしているときには、友達が注意してくれるという。だから信用できる友達の前では子供のように素直になって、自分をさらしてみることも大事なのではないか。なんとも等身大でやわらかな意見である。

「自分の人生は自分のもの。(中略)誰かの反応だけを求めて頑張ってるんだったら、それはもう人生じゃなくて演劇活動よ(p86)」

 

第3章は恋愛編。いままで公表していなかった自身のセクシュアリティについても書いている。書く決断をした理由に感動してしまった。kemioはほんとうにみんなをハピネスにしたいんだね、すごいよ、と頭が下がった。また、あまり経験がないとしながらも、性/恋愛対象とのフィジカル/メンタルな関係について語っている。「出会って1回目で実技試験しちゃった人とは恋愛ジャンルでの実験失敗(p139)」であり、いきなりやってしまうと「消えてしまうリスペクトもある」という。それな…。

 

 第4章では、選挙やジェンダーについて触れながら、現実への対処方法や「病む」ことについて書いている。才能ないから・・・と悩んでる人へ向けて、「やる前ってやめどきじゃなくない? p158」と言うkemio。前に進めないけどもがいている人の背中を押してくれる、ハッピーなだけじゃない強いメッセージがある。

 

文芸書として評価は見送る、still、彼の日本語は面白い

本書は全編、オリジナリティたっぷりの口語で貫かれている。リズムがあり、響きが面白いその口調は、まさにyoutubeで視聴するkemioそのものといった感がある。だが不思議と、距離を感じてしまうのは、私がバス金ロビンス※1だからだろうか? いやべつにおばさんになったわーとかじゃなく、同時代性に欠ける読者という意味でである。町田康や初期の川上未映子綿矢りさなど、独創的な口語体で書かれたものは多々あるが、エッセイにしてもフィクションにしても、それらは本来、読者と著者とのあいだの距離をぎゅっと縮めるものではなかろうか。ありえないほど、気持ち悪いほど。ていうか、夏目漱石でさえもそう。『硝子戸の中』など読んでいると、漱石の着物のあわせの部分をほっぺたに感じるレベルの近距離でムキャーーーーなのだが、kemioの場合そうはいかなかった。おそらくYouTubeのkemioと文章のkemioが一致しすぎているからなのだろう。ふつう文章を書くとき、ひとは構えてしまうものだ。kemioさんにはそれがない。逆に、ってことだろう。逆に、作家じゃないからこそ、構えがなく、だから呪術的効果も起こっていない。わるいことではない。しかし世の作家の文章って、どんだけビシッとよそゆき風でも、なぜかその行間に皮膚感がただよっているものなのだなぁと思う。肉薄、しちゃう、そこが純文の好さみである。よさみぃぃぃーーーーー!!

ともあれ、kemioの書いた文章は、彼のおしゃべりと同様に面白い。 「必要性にしびれたら、人ってやるものだもん(p163)」など、彼だからこそ出てくる表現がそこここに見られる。コアなファンにとってはもちろん必携の書であるし、私のようなライトだけど応援してますよー的な層にとってもまた良書である。なにより、この本、ハピネスオーラがやばい。占い本のように、えいやっと開いたところの文章が今日のワンポイントアドバイス!みたいな感じで活用することもできそうだ。

ちなstillってアメリカ英語だし口語でしか使わないらしい。さげみーーーーみーーーー(でっかい声で言ってみたいバス金ロビンス)

 

とにかくさらっと読めて、ばしっと元気になって、なんでもできちゃいそうな気がする。kemioパワーですね(洗脳)

 

 ※1 31アイスクリームの正式名。転じて、31歳であること

 

 

アマゾンアソシエイトプログラムに入っています。これをぽちっとして買うと、りょうごくらむだに微々たるポイントが入ります。それが積み重なってギフト券となる日もくるのでしょうか…。アフィリエイトってむずみざわ。。

ビューティフル・ボーイ

ティモシー・シャラメの映画、ビューティフル・ボーイを観てきたよ。

 

てぃもすぃ…ティモシー・シャラメ…(洗脳)

最近、あちこち(主にELLEやFIGAROの公式LINE)で目にするティモシー・シャラメという名前。なんか耳につく響きです。炊飯器にお米を1.5合ざーっとインしているときも、タケノコを茹でているときも、糠漬けをかき混ぜているときも、頭のなかでこだまするティモシー・シャラメティモシー・シャラメティモシー・シャラメ…うううううううわああああ!!! 誰っ!? 私の頭のなかでティモシー・シャラメを連呼するのはいったいだれッ!?

ほんま、憎たらしい名前やで…と思っていたのです。『僕の名前で君を呼んで』や『レディ・バード』に出演しているティモシー・シャラメ。女性向け雑誌のウェブサイトなどで、彼をべた褒めした記事を見つけることもしばしば。「なんかすげえんだよ!マジでてぃもっすぃーのしゃらめっぽ君はもうなんかすごいから好きになるから!」みたいなテンションで来られて、こっちは「お、おう…」的な反応しかできない。しかしまあイケメンっちゃイケメンなのかねぇ。と乾いた心を隠しもしない私なのでした。が、『レディ・バード』での演技を見てかんたんにやられてしまいましたね。信じられないほど美男子やな、と。美男子。イケメンではなく。イエス・フォーリン・美男子。美男子って、ただ端正な顔立ちをしているだけではなく、内面の悲哀を感じさせるのです。かつてのザ・美男子、レオナルド・ディカプリオなんかがまさにそうですよね。てか、いまだにその佇まいに哀しさだとか、人生のはかなさを匂わせているのがデカ☆プリオですよね。好きだ。

 

 

ビューティフル・ボーイ』登場人物とキャスト

デヴィッド・シェフ…実在するフリーランスライター、ジャーナリスト。息子ニックの母である元妻とは数年前に離婚(もしくは別居)している。現在は画家のカレンと結婚し、サンフランシスコに住んでいる。カレンとの間に二児をもうけた。演じたのは「リトル・ミス・サンシャイン」や「40歳の童貞男」、「ラブ・アゲイン」など、コミカルな役を演じることの多かったスティーヴ・カレル、シリアスとてCUTEです。純粋なパパみを感じる。

ニック…将来を嘱望される優秀な息子であり、異母兄妹にとっての最高のお兄ちゃんだったが、18歳のときに大麻から始まりあらゆる薬物に手を出し、クリスタル・メス依存症となる。ティモシー・シャラメの影ある演技がハマりまくっていた。

カレン…デヴィッドと結婚し、ジャスパーとデイジーを出産。子供たちはまだ小さい。ニックのことも大事にしつつ、小さな子供たちのことも守らねばならず揺れる。「ライアー・ライアー」のオードリー役を演じたモーラ・ティアニー、歳を重ねてますます可愛くセクシーです。一人きりで車で追いかけるシーンまじ泣けたっす。

ヴィッキー…ニックの実母で、デヴィッドの元妻。ロサンゼルスに住んでいる。ちなロサンゼルスから元夫の住むサンフランシスコまでは約600km。東京ー大阪間くらい(車で5、6時間)

スペンサー…ニックの依存症治療におけるバディのような存在

 

『ビューティフル・ボーイ』は実話!原作は、父と息子の回想録

ニューヨーク・タイムズやローリング・ストーン誌など、さまざまな媒体で文筆活動をしてきたジャーナリスト、デヴィッド・シェフ。彼と彼の息子が書いた二冊の回想録※1をもとに、プランBエンターテインメント※2が映画化し、2018年9月のトロント国際映画祭にて初公開された。最愛の息子を通じて薬物依存症への理解を深める様子が描かれている。

 

※1ニューヨーク・タイムズ・マガジン連載の「私の依存症の息子(My Addicted son)」をまとめた本「ビューティフル・ボーイ~息子の依存症を通じた父の旅」。デヴィッドによって書かれ、2008年のAmazonベストブックに。息子ニックの半自伝「Tweak」もアメリカでベストセラーになっている。

※2ブラピとジェニファー・アニストンが2002年に立ち上げた映画製作会社

 

あらすじ(ネタバレ注意)

カリフォルニア州サンフランシスコ、自然あふれる町に一軒家を構えるフリージャーナリストのデヴィッドは、元妻との間の息子ニックと、現妻との間の二人の子供に恵まれ豊かな生活を楽しんでいた。だがある日を境に人生が一変する。自慢の息子ニックがクリスタル・メス依存症になったのだ。最愛の息子との思い出をふりかえりながら、なんとか息子を助けてやろうと近場の依存症治療施設に入れる。順調そうに見えたものの、ニックは脱走して行方不明になってしまう。デヴィッドは懸命に捜索し、ニックを見つける。ドクターの助言を仰ぎ、クリスタル・メスというドラッグがどういった種類のものなのか、依存症を克服させるためにどうすればいいかを勉強するデヴィッド。再び施設に入ったニックは、依存症を克服し、父親の勧めにしたがい大学に進学する。だが再び薬物に手を出してしまう。デヴィッドは元妻でありニックの実母であるヴィッキーと話しあい、クリスタル・メス依存症治療に最適の施設を見つける。そこは実母の住むロサンゼルスの施設だった。ロスの施設で治療をすすめた結果、ついに1年以上ものあいだ薬物抜きでの生活を達成したニック。実母や施設のスタッフに見守られながら、新生活をはじめる。「救急車に運ばれて、医者に訊かれたんです。――あなたの問題は何ですか? アルコール、薬物……。いや、問題は薬物ではない。自分のなかにずっとある暗い穴。その穴を埋めなければならない。いつか両親に誇りに思ってもらえるような自分になりたい」依存症患者とその家族たちの前で、ニックは宣言する。ところが、そうかんたんには終わらない。薬物依存症という病魔にはほんとうに根深いものがあるのだ。ニックはサンフランシスコへの帰省をきっかけに再び薬物を注射してしまい、そのまま深みにはまっていく。デヴィッドは薬物についての理解を深めるなかで、「自分に息子を救うことはできない」と悟る。もちろん救いたい気持ちでいっぱいだが、薬物依存症は専門家によるケアが重要であり、依存症者自身が治したいという気持ちを保ちつづけなければならないのだ。また、依存症者の家族もまた精神的なケアを必要とする。ニックとカレンが訪れた依存症者の家族のための自助施設には、「私は誘因ではない。私には管理できない。私には治癒できない」という標語が掲げられている。ドラッグの過剰摂取により娘を亡くした女性はいう。「私の娘はドラッグにより亡くなりました。いまは喪中です。しかし考えてみれば、私はずっと喪中でした。娘はもういなかったから。生きながらにして喪中であるよりは、いまのほうが気が楽かもしれません」。薬物を使うと脳や神経系の一部が完全に支配される。自分の意思ではどうにもならないのである意味、自分が消えてしまうといってもいい。ニックは再び行方不明となっていた。過剰摂取でガールフレンドを死にかけさせ、父親に電話をして助けを求めるが、「私ではなく、施設のスタッフに助けを求めなさい」と言われてしまう。ニックはクリスタル・メスを打ちつづけ、病院に救急搬送される。泣き崩れるニックをデイヴィッドは抱きとめる。映画はそこでいったん終わり、「50歳未満の死因第1位は薬物の過剰摂取である。ニックはたぐいまれなる支援と努力により8年間クリーンでいつづけている」とテロップが出る。エンドロールの途中で、劇中にも読まれていた詩「Let it Enfold You/Charles Bukowski」の朗読がある。ハッピーなものがきらいだった、暴力のなかに身を置きたかった、でもある日、じぶんもみんなと同じだと気づいた、ただふつうの毎日を求めているのかもしれない、って。

 

感想6項

クリスタル・メス(覚せい剤)の依存性と、治療法について

ニックが依存することになる薬物「クリスタル・メス」とは、日本でいう覚せい剤のこと。戦時下のドイツ、日本で兵隊さんを眠らせずに戦わせるために使われちゃったのをきっかけに大量に流出。昭和時代にはヒロポンという名前で薬局に売られていた。ドラッグが「日本に馴染みない」と考えている人はどれだけいるのかわからないが、歴史をみれば日本と深い関係があると理解できるだろう。

クリスタル・メスの特徴としてまず挙げられるのが依存性の高さである。なぜニックが薬物をやめられないかというと、依存性があまりに高いから。それに尽きる。本人の気持ちとか努力とかを凌駕するレベルの依存性なのだ。

禁煙経験や禁酒経験のある人になら、わかると思う。長い間禁煙断酒していても、あるときふっと誘惑が訪れるものだ。依存性のある物質というのは、なんやかんやと理由をこじつけさせ、再び摂取してしまうように当人をけしかけてくるものだから。そこでニコチンやアルコールの誘惑と闘い、勝利すれば、また1日をクリーンなままで迎えられる。敗れれば、依存症の自分に戻ってしまう。

劇中、400日以上ものあいだクリスタル・メスを摂取せずに生活できたという描写が出てくるが、これはその日数のどの日をとっても、依存症者にとっては重い1日だということの表れである。

また、ニックが薬物に手を出しそうになって施設スタッフ(依存症仲間)のスペンサーに電話をしているシーンがある。ゴールデンゲートブリッジのたもとで泣きながら電話をかけている場面だ。こうした電話はドラッグ以外の依存症治療においても取られる手段で、対象物に手を出しそうになったり、手を出したいなと考えたりしたときに「自分はいま手を出しそうになってる!どうしよう」と報告することで抑制効果が生まれるとされている。

依存症治療は長い闘いである。専門的なケアを行っている治療施設を訪れて、初めてスタートラインに立てるのだと思う。依存症者の家族は、自分たちでなんとか解決しようとするかもしれない。だが、共倒れとなる可能性もあるので、必ず専門家の意見を仰ぐべきである。

 

クリスタル・メス以外のドラッグについて

ニックが父親になぜ薬物をやったか問われ、「ハイになるのが気持ちよくてやった」と答えたシーンがあるが、おそらくクリスタル・メス以外のドラッグのことを言っているのではないかと思う。ニックは大麻LSD、コカイン、ヘロインなどさまざまなドラッグに手を出していた。そのなかでほんとうにハイになれるのはLSD、コカイン、ヘロインあたりではないだろうか。クリスタル・メスは気持ちよくなるタイプの薬物ではない。依存性ばかり高くてどんどん効かなくなるし、精神的負担(被害妄想、不眠など)が大きいものなのだ。ドラッグを使う人は、ドラッグについての正しい知識がないことが多い。ニックが父に「ハイになるのが気持ちよくてやった」と言ったのは、いろいろな薬を混同していたこともあっただろうし、もう一つは、自分でも真の理由がわからなかったので、それっぽいことを答えたというのものあったろう。

 

子供時代をクローズアップしすぎて窒息

薬物依存症を縦軸としながら、家族愛を描こうともしている本作。劇中には過去編が何度も挿入され、父と息子の思い出が止まらない。最初はその手法にげんなりさせられた。たしかに誰しも子供時代があったからこそここまで生きてこられたわけだし、親にとっては子供はずっと子供のままであろう。だがやはり、関係ねーじゃん、とも思うのだ。いまそれ関係ねーじゃん、治療に専念しろよ、なんで思い出に浸ってんだよ、みたいなひねくれたことを考えてしまう。てか、マジで子供時代を強調しすぎだと思うんだよね。ニックが窒息しそうなのも、期待にこたえなきゃって焦っちゃうのも、親父が「俺の息子なんだ!」と気負いすぎだからなのではないか…。だから、終盤になるにつれ親父が息子を突き放していくのは正しい選択だったと思う。

 

息子がドラッグ依存症になったら=おばあちゃんが認知症になったら

おもしろかったのは、父デヴィッドが薬物をやるシーン。鼻から吸ってるのでコカインかな。普通に買える使えるというのがよくわかる描写だと思う。スティーヴ・カレルのコメディアンぶりが光って、話の重たさを軽減させていた。それは悪いことではないよ。だいじなのは、自分の家族が薬物依存症になったとき、よく知られた病気としてきちんと向き合い、適切な処置を施すことだから。

重たくてしんどい話からは、誰しも目をそむけたくなるものだよね。がん、認知症、介護、虐待……やだーーーあっちいけーーーって思うじゃん。できるなら一日じゅう弘中綾香の顏を見つめて弘中綾香の顏だけを見つめていたいじゃん。でも、人間にはあらゆる重さを乗り越えられる、それが無理っぽくても可能性はあるよ、と知っておけば、現実がだいぶ良い方向に変わっていくのではないでしょうか。それを知らせるのが映画や小説やジャーナリズムのひとつの役目だよね。

 

R指定について

ところで本作はR-15指定されている。たいした性&暴力描写はないのになぜか。15歳以下の子が観てしまうと、柔らかい感受性に突き刺さって、取れなくなるからだと思う。この映画では、ものすごいイケメンが薬物注射を打ち、両親からの強い関心を集め、干渉を受けている。15歳以下の子がなにか問題にぶちあたったとき、映画で見た手法(=薬物使用)をとってしまう可能性があるような気がした。世のお父さん、お母さんはこの映画のR指定をしっかりまもってほしい。私自身、R指定をやぶって映画をみまくった結果、オーバードーズする人間をロールモデルにしたりとかなんかそんなこともあったりしたから。なんか敷居が低くなるんだよね。

 

詩について

劇中、ニックが大学で読んだ詩が、エンドロールでは全編朗読される。ドイツ出身のアメリカ人作家、チャールズ・ブコウスキーによるもので、題名は「let it Enfold you」。これがなんとも胸にくる。この部分だけ切り取って15歳以下の子たちにも聴かせてあげたくなっちゃう。あれくれ詩人のブコウスキーは、トム・ウェイツなどにも影響を与えたとされている。なんだか愛おしいわ。

cocoちゃんの東京

銀杏BOYZの「東京」が、youtuberのcocoちゃん(hotco co.a)のVlogタイトルになってたよ。出会えた喜びはいつも一瞬なのに、どうして別れの悲しみは永遠なの。ギターの弦を変えてすぐ歌いだしたcocoちゃんの東京、なんだか涙がでたよ。いろんなことを思い出した。アメリカのママが歌う東京。いつも彼女のは日本文学みたいなVlog

好きなチャンネルなんだけど、さいきんコメント欄が閉じられていて、読めないのが残念。たしかGoogleのペド対策で、こどもさんが出ているものやそれに対するコメントがあるチャンネルはコメント欄閉鎖されるらしいね。申請しないと再開できないとか。

 

蹴っ飛ばされて転がって疲れた

 

youtu.be

 

 

最近どうしようもなく、このせかいが怖い。わかりあいたい、裁きたくない、だけど、まもりたいもののために、闘わないといけない場面がある、だけどまもりたくない、そんなまもるなんてエゴは捨てたい、欺瞞はいやだ、でも欺瞞がなければ生きていけない

 

怒鳴って

お花でしきつめて

 

あーあ……、世の中がすこしでもよくなるように。みんなの心がやすらぎますように。

頑張ろうね。

先生、スマホのせいで海外旅行から楽しみが削がれたのですか?

前置きが長すぎてもはやメインなんだけど、

いちおう本題は↓↓ です

 

 

わちゃす。ぷにぷにライターのりょうごくらむだです。

みなさん海外旅行はお好きですか? YouTubeTwitter「海外留学帰りのいけ好かないヤツあるある」みたいなトピックありますよね。

<<<まるでヤングアメリカンみたいになって帰ってきた>>>

とか、

<<<フレンチガールみたいな前髪ありボブになって帰ってきた>>>

とか、

<<<「日本って狭くねー?」って連呼しやがる>>>

とか。

そういう帰国子女未満の友人知人に対してムッキー(><)とかイラッ(><)とかする人も多いみたいですね。

ところで私なんですが、まさしくこの帰国子女未満の女でした。これは私が小学3年生のときのはなしなんですけど、親元を離れてニュージーランドに長期滞在(といっても2週間くらい)しまして、帰国してすぐマウンティングをはじめたように記憶しています。それがすべての始まりだったのかもしれません。というのも私の30歳までにやってきたマウンティングは「どれだけおれは外に出たか!」というふんぞりに終始していたためです。家族の外へ、学校の外へ、社会の外へ、海の外へ。そうした経験がどれだけ辛かったか、どれだけ己を強くしたかを、周囲に直接的にアピールしたかったんやと思われます。

 

大学1年生のときは世界一周した~い♡と思っていましたので、居酒屋のトイレのポスターでおなじみ「ピースボート船旅」に参加すべく活動をはじめました。ピースボートを格安で乗る方法として、ボランティアをやるというものがありました。内職のようなことをして、そのぶん旅行代金が割引されていくというシステムだったんです(当時ね)。が、私はもともと協調性がないくせに、むちゃくちゃ人に合わせられちゃうみたいなふりをすんげぇやるので、いつも通り精神が壊れてしまいまして、ピースボート船旅計画は終了しました。

 

世界一周はあきらめたものの、とにかく海外行きてぇな~っていう気分はそのまま保たれていました。

 

なんかね帰国子女未満の人の調子乗りっぷりを叩くのは俗にいう陰キャの人かな? なにか辛いことがあるのかな? むしゃくしゃするのかな? って想像するんだけど。

だけど本気で「海外行きてぇ~」とか「CAになりてぇ~」とかいう人ほど、じつはぜんぜんキラキラしてないっていうか、朗らかなパリピではぜんぜんないっていうかね、日本でめちゃくちゃ辛いことがあった人なんだよね。すくなくとも私の周りの、CAになった人、海外長期留学人間、絶対に海外で働くという決意をしている人、って、思いつく限り14人くらいいるんだけど(盛った。ほんとは4人)日本でなかなか壮絶な体験をしていて、外へ出たい…という思いが強いんよね。反対に、海外から日本にきた人も、大なり小なり自国で辛いことがあって、その解決策として外国へ出るという選択肢が強く出た人かなと、思うんです。

(まあ辛いことの受容体は人によって個体差あるという前提でね)

 

私も海外にいきたいって思ってたのは、家とか状況から逃げたかったからてのが大きいよ。私のきょうだいなんかそのために子ども時代から1人で海外に住んで、ほんまもんの帰国子女になってしまった。まあそんだけ金銭的に恵まれていたともいえるんだよね。だから、「家庭環境は酷い」だが「お金はまあまあある」場合に、こどもたちは海外に逃げて、帰国子女になって、調子乗ってるって叩かれるのかもしれないなぁ。

「家庭環境が酷い」しかも「お金がない」場合、たとえば逃避の選択肢が万引きとか傷害事件とかになる、そんで少年少女は鑑別所に入って、帰鑑別所子女になって、調子乗ってるって叩かれることもあるのかもしれないよね。

そんなかんじやよ。

 

まあしかし、お金のことでめちゃくそ喜怒哀楽を激しくするタイプの人、多いからなぁ……。差別問題、ヘイト問題、政治問題、すべてにお金事情が絡んでるよね。

「お金もってるくせに!」「ずるい!」ってなる人が多すぎるよ。「お金持ってるくせにずるい」となる人は、お金のことで苦労したのかな。現在裕福な人でも、お金で苦労した経験があるとそうなるのかな…、なんていろいろおもうけどわたしみたいなやつがそういうこと語っちゃいけない気がするから黙る。

 

私は、ふだん、お金のことをあまり考えてない(ご先祖様のおかげ、おじいちゃんおばあちゃんの、お父さんお母さんのおかげです)。税金とかはちゃんと払わなきゃ(めんどくさいけどせっかくそういう仕組みをつくってくれたんやから…)っていうレベルの社会不適合者だからね。

「そんな甘い考えだと、いつか野垂れ死にするよ」って、いろんな人に言われてきた。その人たちは、私に、「いつか野垂れ死にしてくれ頼む」って思ってるんだろうなぁ。野垂れはするけど死なないぞ!

 

しかし社会不適合者なんて、ごろごろいるんやから、社会の方を少しずつ、変えていかんといけないよね。てか、ほっといても社会なんて、変わるからね。むしろ変わらないようにする引き戻しパワーも、必要だからね。

 

 

 

ジャパニーズ庭園飛び石の勢いで、話がぶっとんで、ぜんぜん本題にたどり着かない……。

 

スマホのせいで海外旅行の興は削がれたか問題

 

あのね、2005年くらいにフィリピンにいったんよ。そんときはまだスマホはないし、お金持ってなかったから海外携帯も使えないしでね。なんかすごい原始的気分でフィリピンをもう体中に浴びて、こう、直に、冒険したぁーーーー!って感じのもうもう楽しかったわけよ。

 

で、2009年くらいのパリ、そのあとのイタリア…そのあたりもまだスマホなくて、携帯電話も持ってかなくて、迷子になったり、おかしな景色に出会ったり、新鮮味があって楽しかったわけよ。

 

それからたった10年しかたっていないのに、いまではもうWi-Fiヒャッホーすぎるじゃろ? GoogleマップなんかWi-FiなしでもOK牧場やろ? マップみまくりのすけやで?迷子になんかならへんで? 道なんかさ、現地の人に聞くよりGoogle itやで????現地の人にggrksって言われちゃうのはいややんな?

 

だからさーーーーーおもんないんちゃうか、これ、海外旅行の醍醐味がすりへってへんか。

 

それでなくても、グローバル化で、日本と他国の景色がどんどん似てきてるやん。スタバにマックにザラに…。

しかもYouTubeでほとんどの国の映像を見ることができて、VLOGで旅の追体験までできて、

っていうか旅番組を見ないと旅に行く気も起きないんやろおまえら。

何食べたいか、どこ行きたいか、ぜんぶテレビとYouTubeで決めてんだろ。

おまえらの身体感覚も知覚も理性ももうまともには働かないんだよ。Google様のサジェストなしではもう濡れねえんだよ!!!!

 

みたいな感じやん。

 

思うやん。

 

でもこれ、スマホ以前から、グローバリゼーション以前から、そうだったみたいなんよね。

 

現代の旅人は、彼が自覚しているよりももっと少ししか脅威を感じなくなっている。行き先とコースを決める時、まず到着の日をいつにするか、機械文明のどんなリズムのもので進入するかなどを、他のものと引き比べて選ぶ自由を人は享受するのである。
異国情緒の探求は、分かりきった一つの展開の、前の段階や後の段階の、あれこれの取り集めに過ぎないことになってしまう。
旅人は、作品が手に入らないので黒人芸術のギャラリーを止めた骨董屋のようなものだ。自分の国のがらくた市を廻っては値切って買い入れた、陳腐な土産物を商うことに鞍替えしたのである。

レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』中央公論新社 より抜粋)

 

1930年代のブラジル旅行について書かれた『悲しき熱帯』だが、原著の刊行自体も65年以上前のことである。だから、そのころからもう海外旅行=異国情緒の探求ははなくそみたいになってしまっていたわけだ。

 

では海外旅行がはなくそじゃなかった時代っていつよ?

白人的には1434年、ポルトガル☆ピーポーが船にのってボジャドール岬を越え、陸地で人とラクダの足跡を発見したときにスタートしたのだとおもふ。そっからどんどこ進んでいくからね、インド洋のほうまできて日本にまでやってきて…。まちがいなく、海外での冒険、て感じの雰囲気だったと思うわ。大航海時代のはじまり、ワンピースのモデルになった時代やと思うわ知らんけど。

 

日本人と中国人の話になってくるとまたわかんないね、だってもうあれよ、古事記とか魏志倭人伝とかのレベルになってくるから………。

 

だけど、そのころの海外への渡航っておもに貿易とかぶっころしとかのためだったんじゃん。つまりさ、「海外旅行」って言葉ができた時点ではもう海外旅行ははなくそだったのかもしれん。

 

嗚呼なんたることや~。

 

 

ちなみにタイトルにある先生はレヴィ=ストロース先生のことやで。

 

 

悲しき熱帯〈1〉 (中公クラシックス)

悲しき熱帯〈1〉 (中公クラシックス)