感想

くらげなす漂うアメリカンアパレル

kemioの本『ウチら棺桶まで永遠のランウェイ』は、全ページにツキが宿る良書

 こんにちは、ライターのりょうごくらむだです。今回はYouTubeで人気を博したアメリカ在住のアーティストkemioさんによる書籍『ウチら棺桶まで永遠のランウェイ』についての感想を述べますぞ。

なんでアーティスト。私にとって表現者はアーティだからだよ 

 

 

 

kemioとは?(知らないひとのために)

1995年生まれのタレント/youtuber/モデル。動画配信アプリvineから火がつき中高生の人気者になった。フォロワーがいっぱいいてそのわりにアンチは少なめという稀有な存在。楽曲を出したり、今回のように本を出したりとマルチに活躍中である。2016年に単身渡米、現在はアメリカの事務所に所属している。2018年の中・高校生の流行語となったあげみざわ」「泣いたー」の発信源。独創的な言葉遣い、意外な礼儀正しさ、「口から文化祭」なる早口オノマトペYouTube視聴者を楽しませている。

 

全4章!kemioの半生と、生きるヒント

『ウチら棺桶まで永遠のランウェイ』は、全4章からなる回想録である。

第1章ではkemioの幼少期から渡米までを振り返る。悲しかったこと、嬉しかったこと、親友のナディヤちゃんのことなどをめぐり、考えてきたことや気づいたことを述懐している。「みんなをハピネスにしたい」という決して変わらなかった気持ちと、オーディションに落選しつづけるなかで見つけた、ひょんなきっかけ。また、いままで公表していなかった、ある事務所に参加していた件などが記される。軸ブレしない頑なさと、その真逆の柔軟さがすんなり同居している、kemioの人間性のバランスの良さが垣間見える。

第2章では、人間関係の光と影について書かれている。対人ストレスの対処法や、「嫌い」という感情の魔術的側面について語られる。ここからお悩み相談室的な向きもあるので、悩むことが多い人々の助けになりそう。kemioは綴る。

「気にしいの人が多い世の中、マウンティングだとかすぐ言われちゃう世の中、どう取られるか考えすぎたら何もできないんだよね。(p101)」

お金のない若い子が気軽に楽しめるブログ記事やウェブコラム。そうしたものには閲覧数を集めやすいものが書かれがちである。閲覧数を集めやすいものとはなにかというと、意外にも不安感を煽るものだったりする。みんな嫌われたくないし、傷つけたくないし、傷つきたくないのだ。そうした、いわば安い記事にとらわれると、身動きが取れなくなるのではないか。その場合どうすればいいのか。kemioの経験からいって、実際に自分がおかしな言動をしているときには、友達が注意してくれるという。だから信用できる友達の前では子供のように素直になって、自分をさらしてみることも大事なのではないか。なんとも等身大でやわらかな意見である。

「自分の人生は自分のもの。(中略)誰かの反応だけを求めて頑張ってるんだったら、それはもう人生じゃなくて演劇活動よ(p86)」

 

第3章は恋愛編。いままで公表していなかった自身のセクシュアリティについても書いている。書く決断をした理由に感動してしまった。kemioはほんとうにみんなをハピネスにしたいんだね、すごいよ、と頭が下がった。また、あまり経験がないとしながらも、性/恋愛対象とのフィジカル/メンタルな関係について語っている。「出会って1回目で実技試験しちゃった人とは恋愛ジャンルでの実験失敗(p139)」であり、いきなりやってしまうと「消えてしまうリスペクトもある」という。それな…。

 

 第4章では、選挙やジェンダーについて触れながら、現実への対処方法や「病む」ことについて書いている。才能ないから・・・と悩んでる人へ向けて、「やる前ってやめどきじゃなくない? p158」と言うkemio。前に進めないけどもがいている人の背中を押してくれる、ハッピーなだけじゃない強いメッセージがある。

 

文芸書として評価は見送る、still、彼の日本語は面白い

本書は全編、オリジナリティたっぷりの口語で貫かれている。リズムがあり、響きが面白いその口調は、まさにyoutubeで視聴するkemioそのものといった感がある。だが不思議と、距離を感じてしまうのは、私がバス金ロビンス※1だからだろうか? いやべつにおばさんになったわーとかじゃなく、同時代性に欠ける読者という意味でである。町田康や初期の川上未映子綿矢りさなど、独創的な口語体で書かれたものは多々あるが、エッセイにしてもフィクションにしても、それらは本来、読者と著者とのあいだの距離をぎゅっと縮めるものではなかろうか。ありえないほど、気持ち悪いほど。ていうか、夏目漱石でさえもそう。『硝子戸の中』など読んでいると、漱石の着物のあわせの部分をほっぺたに感じるレベルの近距離でムキャーーーーなのだが、kemioの場合そうはいかなかった。おそらくYouTubeのkemioと文章のkemioが一致しすぎているからなのだろう。ふつう文章を書くとき、ひとは構えてしまうものだ。kemioさんにはそれがない。逆に、ってことだろう。逆に、作家じゃないからこそ、構えがなく、だから呪術的効果も起こっていない。わるいことではない。しかし世の作家の文章って、どんだけビシッとよそゆき風でも、なぜかその行間に皮膚感がただよっているものなのだなぁと思う。肉薄、しちゃう、そこが純文の好さみである。よさみぃぃぃーーーーー!!

ともあれ、kemioの書いた文章は、彼のおしゃべりと同様に面白い。 「必要性にしびれたら、人ってやるものだもん(p163)」など、彼だからこそ出てくる表現がそこここに見られる。コアなファンにとってはもちろん必携の書であるし、私のようなライトだけど応援してますよー的な層にとってもまた良書である。なにより、この本、ハピネスオーラがやばい。占い本のように、えいやっと開いたところの文章が今日のワンポイントアドバイス!みたいな感じで活用することもできそうだ。

ちなstillってアメリカ英語だし口語でしか使わないらしい。さげみーーーーみーーーー(でっかい声で言ってみたいバス金ロビンス)

 

とにかくさらっと読めて、ばしっと元気になって、なんでもできちゃいそうな気がする。kemioパワーですね(洗脳)

 

 ※1 31アイスクリームの正式名。転じて、31歳であること

 

 

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ビューティフル・ボーイ

ティモシー・シャラメの映画、ビューティフル・ボーイを観てきたよ。

 

てぃもすぃ…ティモシー・シャラメ…(洗脳)

最近、あちこち(主にELLEやFIGAROの公式LINE)で目にするティモシー・シャラメという名前。なんか耳につく響きです。炊飯器にお米を1.5合ざーっとインしているときも、タケノコを茹でているときも、糠漬けをかき混ぜているときも、頭のなかでこだまするティモシー・シャラメティモシー・シャラメティモシー・シャラメ…うううううううわああああ!!! 誰っ!? 私の頭のなかでティモシー・シャラメを連呼するのはいったいだれッ!?

ほんま、憎たらしい名前やで…と思っていたのです。『僕の名前で君を呼んで』や『レディ・バード』に出演しているティモシー・シャラメ。女性向け雑誌のウェブサイトなどで、彼をべた褒めした記事を見つけることもしばしば。「なんかすげえんだよ!マジでてぃもっすぃーのしゃらめっぽ君はもうなんかすごいから好きになるから!」みたいなテンションで来られて、こっちは「お、おう…」的な反応しかできない。しかしまあイケメンっちゃイケメンなのかねぇ。と乾いた心を隠しもしない私なのでした。が、『レディ・バード』での演技を見てかんたんにやられてしまいましたね。信じられないほど美男子やな、と。美男子。イケメンではなく。イエス・フォーリン・美男子。美男子って、ただ端正な顔立ちをしているだけではなく、内面の悲哀を感じさせるのです。かつてのザ・美男子、レオナルド・ディカプリオなんかがまさにそうですよね。てか、いまだにその佇まいに哀しさだとか、人生のはかなさを匂わせているのがデカ☆プリオですよね。好きだ。

 

 

ビューティフル・ボーイ』登場人物とキャスト

デヴィッド・シェフ…実在するフリーランスライター、ジャーナリスト。息子ニックの母である元妻とは数年前に離婚(もしくは別居)している。現在は画家のカレンと結婚し、サンフランシスコに住んでいる。カレンとの間に二児をもうけた。演じたのは「リトル・ミス・サンシャイン」や「40歳の童貞男」、「ラブ・アゲイン」など、コミカルな役を演じることの多かったスティーヴ・カレル、シリアスとてCUTEです。純粋なパパみを感じる。

ニック…将来を嘱望される優秀な息子であり、異母兄妹にとっての最高のお兄ちゃんだったが、18歳のときに大麻から始まりあらゆる薬物に手を出し、クリスタル・メス依存症となる。ティモシー・シャラメの影ある演技がハマりまくっていた。

カレン…デヴィッドと結婚し、ジャスパーとデイジーを出産。子供たちはまだ小さい。ニックのことも大事にしつつ、小さな子供たちのことも守らねばならず揺れる。「ライアー・ライアー」のオードリー役を演じたモーラ・ティアニー、歳を重ねてますます可愛くセクシーです。一人きりで車で追いかけるシーンまじ泣けたっす。

ヴィッキー…ニックの実母で、デヴィッドの元妻。ロサンゼルスに住んでいる。ちなロサンゼルスから元夫の住むサンフランシスコまでは約600km。東京ー大阪間くらい(車で5、6時間)

スペンサー…ニックの依存症治療におけるバディのような存在

 

『ビューティフル・ボーイ』は実話!原作は、父と息子の回想録

ニューヨーク・タイムズやローリング・ストーン誌など、さまざまな媒体で文筆活動をしてきたジャーナリスト、デヴィッド・シェフ。彼と彼の息子が書いた二冊の回想録※1をもとに、プランBエンターテインメント※2が映画化し、2018年9月のトロント国際映画祭にて初公開された。最愛の息子を通じて薬物依存症への理解を深める様子が描かれている。

 

※1ニューヨーク・タイムズ・マガジン連載の「私の依存症の息子(My Addicted son)」をまとめた本「ビューティフル・ボーイ~息子の依存症を通じた父の旅」。デヴィッドによって書かれ、2008年のAmazonベストブックに。息子ニックの半自伝「Tweak」もアメリカでベストセラーになっている。

※2ブラピとジェニファー・アニストンが2002年に立ち上げた映画製作会社

 

あらすじ(ネタバレ注意)

カリフォルニア州サンフランシスコ、自然あふれる町に一軒家を構えるフリージャーナリストのデヴィッドは、元妻との間の息子ニックと、現妻との間の二人の子供に恵まれ豊かな生活を楽しんでいた。だがある日を境に人生が一変する。自慢の息子ニックがクリスタル・メス依存症になったのだ。最愛の息子との思い出をふりかえりながら、なんとか息子を助けてやろうと近場の依存症治療施設に入れる。順調そうに見えたものの、ニックは脱走して行方不明になってしまう。デヴィッドは懸命に捜索し、ニックを見つける。ドクターの助言を仰ぎ、クリスタル・メスというドラッグがどういった種類のものなのか、依存症を克服させるためにどうすればいいかを勉強するデヴィッド。再び施設に入ったニックは、依存症を克服し、父親の勧めにしたがい大学に進学する。だが再び薬物に手を出してしまう。デヴィッドは元妻でありニックの実母であるヴィッキーと話しあい、クリスタル・メス依存症治療に最適の施設を見つける。そこは実母の住むロサンゼルスの施設だった。ロスの施設で治療をすすめた結果、ついに1年以上ものあいだ薬物抜きでの生活を達成したニック。実母や施設のスタッフに見守られながら、新生活をはじめる。「救急車に運ばれて、医者に訊かれたんです。――あなたの問題は何ですか? アルコール、薬物……。いや、問題は薬物ではない。自分のなかにずっとある暗い穴。その穴を埋めなければならない。いつか両親に誇りに思ってもらえるような自分になりたい」依存症患者とその家族たちの前で、ニックは宣言する。ところが、そうかんたんには終わらない。薬物依存症という病魔にはほんとうに根深いものがあるのだ。ニックはサンフランシスコへの帰省をきっかけに再び薬物を注射してしまい、そのまま深みにはまっていく。デヴィッドは薬物についての理解を深めるなかで、「自分に息子を救うことはできない」と悟る。もちろん救いたい気持ちでいっぱいだが、薬物依存症は専門家によるケアが重要であり、依存症者自身が治したいという気持ちを保ちつづけなければならないのだ。また、依存症者の家族もまた精神的なケアを必要とする。ニックとカレンが訪れた依存症者の家族のための自助施設には、「私は誘因ではない。私には管理できない。私には治癒できない」という標語が掲げられている。ドラッグの過剰摂取により娘を亡くした女性はいう。「私の娘はドラッグにより亡くなりました。いまは喪中です。しかし考えてみれば、私はずっと喪中でした。娘はもういなかったから。生きながらにして喪中であるよりは、いまのほうが気が楽かもしれません」。薬物を使うと脳や神経系の一部が完全に支配される。自分の意思ではどうにもならないのである意味、自分が消えてしまうといってもいい。ニックは再び行方不明となっていた。過剰摂取でガールフレンドを死にかけさせ、父親に電話をして助けを求めるが、「私ではなく、施設のスタッフに助けを求めなさい」と言われてしまう。ニックはクリスタル・メスを打ちつづけ、病院に救急搬送される。泣き崩れるニックをデイヴィッドは抱きとめる。映画はそこでいったん終わり、「50歳未満の死因第1位は薬物の過剰摂取である。ニックはたぐいまれなる支援と努力により8年間クリーンでいつづけている」とテロップが出る。エンドロールの途中で、劇中にも読まれていた詩「Let it Enfold You/Charles Bukowski」の朗読がある。ハッピーなものがきらいだった、暴力のなかに身を置きたかった、でもある日、じぶんもみんなと同じだと気づいた、ただふつうの毎日を求めているのかもしれない、って。

 

感想6項

クリスタル・メス(覚せい剤)の依存性と、治療法について

ニックが依存することになる薬物「クリスタル・メス」とは、日本でいう覚せい剤のこと。戦時下のドイツ、日本で兵隊さんを眠らせずに戦わせるために使われちゃったのをきっかけに大量に流出。昭和時代にはヒロポンという名前で薬局に売られていた。ドラッグが「日本に馴染みない」と考えている人はどれだけいるのかわからないが、歴史をみれば日本と深い関係があると理解できるだろう。

クリスタル・メスの特徴としてまず挙げられるのが依存性の高さである。なぜニックが薬物をやめられないかというと、依存性があまりに高いから。それに尽きる。本人の気持ちとか努力とかを凌駕するレベルの依存性なのだ。

禁煙経験や禁酒経験のある人になら、わかると思う。長い間禁煙断酒していても、あるときふっと誘惑が訪れるものだ。依存性のある物質というのは、なんやかんやと理由をこじつけさせ、再び摂取してしまうように当人をけしかけてくるものだから。そこでニコチンやアルコールの誘惑と闘い、勝利すれば、また1日をクリーンなままで迎えられる。敗れれば、依存症の自分に戻ってしまう。

劇中、400日以上ものあいだクリスタル・メスを摂取せずに生活できたという描写が出てくるが、これはその日数のどの日をとっても、依存症者にとっては重い1日だということの表れである。

また、ニックが薬物に手を出しそうになって施設スタッフ(依存症仲間)のスペンサーに電話をしているシーンがある。ゴールデンゲートブリッジのたもとで泣きながら電話をかけている場面だ。こうした電話はドラッグ以外の依存症治療においても取られる手段で、対象物に手を出しそうになったり、手を出したいなと考えたりしたときに「自分はいま手を出しそうになってる!どうしよう」と報告することで抑制効果が生まれるとされている。

依存症治療は長い闘いである。専門的なケアを行っている治療施設を訪れて、初めてスタートラインに立てるのだと思う。依存症者の家族は、自分たちでなんとか解決しようとするかもしれない。だが、共倒れとなる可能性もあるので、必ず専門家の意見を仰ぐべきである。

 

クリスタル・メス以外のドラッグについて

ニックが父親になぜ薬物をやったか問われ、「ハイになるのが気持ちよくてやった」と答えたシーンがあるが、おそらくクリスタル・メス以外のドラッグのことを言っているのではないかと思う。ニックは大麻LSD、コカイン、ヘロインなどさまざまなドラッグに手を出していた。そのなかでほんとうにハイになれるのはLSD、コカイン、ヘロインあたりではないだろうか。クリスタル・メスは気持ちよくなるタイプの薬物ではない。依存性ばかり高くてどんどん効かなくなるし、精神的負担(被害妄想、不眠など)が大きいものなのだ。ドラッグを使う人は、ドラッグについての正しい知識がないことが多い。ニックが父に「ハイになるのが気持ちよくてやった」と言ったのは、いろいろな薬を混同していたこともあっただろうし、もう一つは、自分でも真の理由がわからなかったので、それっぽいことを答えたというのものあったろう。

 

子供時代をクローズアップしすぎて窒息

薬物依存症を縦軸としながら、家族愛を描こうともしている本作。劇中には過去編が何度も挿入され、父と息子の思い出が止まらない。最初はその手法にげんなりさせられた。たしかに誰しも子供時代があったからこそここまで生きてこられたわけだし、親にとっては子供はずっと子供のままであろう。だがやはり、関係ねーじゃん、とも思うのだ。いまそれ関係ねーじゃん、治療に専念しろよ、なんで思い出に浸ってんだよ、みたいなひねくれたことを考えてしまう。てか、マジで子供時代を強調しすぎだと思うんだよね。ニックが窒息しそうなのも、期待にこたえなきゃって焦っちゃうのも、親父が「俺の息子なんだ!」と気負いすぎだからなのではないか…。だから、終盤になるにつれ親父が息子を突き放していくのは正しい選択だったと思う。

 

息子がドラッグ依存症になったら=おばあちゃんが認知症になったら

おもしろかったのは、父デヴィッドが薬物をやるシーン。鼻から吸ってるのでコカインかな。普通に買える使えるというのがよくわかる描写だと思う。スティーヴ・カレルのコメディアンぶりが光って、話の重たさを軽減させていた。それは悪いことではないよ。だいじなのは、自分の家族が薬物依存症になったとき、よく知られた病気としてきちんと向き合い、適切な処置を施すことだから。

重たくてしんどい話からは、誰しも目をそむけたくなるものだよね。がん、認知症、介護、虐待……やだーーーあっちいけーーーって思うじゃん。できるなら一日じゅう弘中綾香の顏を見つめて弘中綾香の顏だけを見つめていたいじゃん。でも、人間にはあらゆる重さを乗り越えられる、それが無理っぽくても可能性はあるよ、と知っておけば、現実がだいぶ良い方向に変わっていくのではないでしょうか。それを知らせるのが映画や小説やジャーナリズムのひとつの役目だよね。

 

R指定について

ところで本作はR-15指定されている。たいした性&暴力描写はないのになぜか。15歳以下の子が観てしまうと、柔らかい感受性に突き刺さって、取れなくなるからだと思う。この映画では、ものすごいイケメンが薬物注射を打ち、両親からの強い関心を集め、干渉を受けている。15歳以下の子がなにか問題にぶちあたったとき、映画で見た手法(=薬物使用)をとってしまう可能性があるような気がした。世のお父さん、お母さんはこの映画のR指定をしっかりまもってほしい。私自身、R指定をやぶって映画をみまくった結果、オーバードーズする人間をロールモデルにしたりとかなんかそんなこともあったりしたから。なんか敷居が低くなるんだよね。

 

詩について

劇中、ニックが大学で読んだ詩が、エンドロールでは全編朗読される。ドイツ出身のアメリカ人作家、チャールズ・ブコウスキーによるもので、題名は「let it Enfold you」。これがなんとも胸にくる。この部分だけ切り取って15歳以下の子たちにも聴かせてあげたくなっちゃう。あれくれ詩人のブコウスキーは、トム・ウェイツなどにも影響を与えたとされている。なんだか愛おしいわ。

cocoちゃんの東京

銀杏BOYZの「東京」が、youtuberのcocoちゃん(hotco co.a)のVlogタイトルになってたよ。出会えた喜びはいつも一瞬なのに、どうして別れの悲しみは永遠なの。ギターの弦を変えてすぐ歌いだしたcocoちゃんの東京、なんだか涙がでたよ。いろんなことを思い出した。アメリカのママが歌う東京。いつも彼女のは日本文学みたいなVlog

好きなチャンネルなんだけど、さいきんコメント欄が閉じられていて、読めないのが残念。たしかGoogleのペド対策で、こどもさんが出ているものやそれに対するコメントがあるチャンネルはコメント欄閉鎖されるらしいね。申請しないと再開できないとか。

 

蹴っ飛ばされて転がって疲れた

 

youtu.be

 

 

最近どうしようもなく、このせかいが怖い。わかりあいたい、裁きたくない、だけど、まもりたいもののために、闘わないといけない場面がある、だけどまもりたくない、そんなまもるなんてエゴは捨てたい、欺瞞はいやだ、でも欺瞞がなければ生きていけない

 

怒鳴って

お花でしきつめて

 

あーあ……、世の中がすこしでもよくなるように。みんなの心がやすらぎますように。

頑張ろうね。

先生、スマホのせいで海外旅行から楽しみが削がれたのですか?

前置きが長すぎてもはやメインなんだけど、

いちおう本題は↓↓ です

 

 

わちゃす。ぷにぷにライターのりょうごくらむだです。

みなさん海外旅行はお好きですか? YouTubeTwitter「海外留学帰りのいけ好かないヤツあるある」みたいなトピックありますよね。

<<<まるでヤングアメリカンみたいになって帰ってきた>>>

とか、

<<<フレンチガールみたいな前髪ありボブになって帰ってきた>>>

とか、

<<<「日本って狭くねー?」って連呼しやがる>>>

とか。

そういう帰国子女未満の友人知人に対してムッキー(><)とかイラッ(><)とかする人も多いみたいですね。

ところで私なんですが、まさしくこの帰国子女未満の女でした。これは私が小学3年生のときのはなしなんですけど、親元を離れてニュージーランドに長期滞在(といっても2週間くらい)しまして、帰国してすぐマウンティングをはじめたように記憶しています。それがすべての始まりだったのかもしれません。というのも私の30歳までにやってきたマウンティングは「どれだけおれは外に出たか!」というふんぞりに終始していたためです。家族の外へ、学校の外へ、社会の外へ、海の外へ。そうした経験がどれだけ辛かったか、どれだけ己を強くしたかを、周囲に直接的にアピールしたかったんやと思われます。

 

大学1年生のときは世界一周した~い♡と思っていましたので、居酒屋のトイレのポスターでおなじみ「ピースボート船旅」に参加すべく活動をはじめました。ピースボートを格安で乗る方法として、ボランティアをやるというものがありました。内職のようなことをして、そのぶん旅行代金が割引されていくというシステムだったんです(当時ね)。が、私はもともと協調性がないくせに、むちゃくちゃ人に合わせられちゃうみたいなふりをすんげぇやるので、いつも通り精神が壊れてしまいまして、ピースボート船旅計画は終了しました。

 

世界一周はあきらめたものの、とにかく海外行きてぇな~っていう気分はそのまま保たれていました。

 

なんかね帰国子女未満の人の調子乗りっぷりを叩くのは俗にいう陰キャの人かな? なにか辛いことがあるのかな? むしゃくしゃするのかな? って想像するんだけど。

だけど本気で「海外行きてぇ~」とか「CAになりてぇ~」とかいう人ほど、じつはぜんぜんキラキラしてないっていうか、朗らかなパリピではぜんぜんないっていうかね、日本でめちゃくちゃ辛いことがあった人なんだよね。すくなくとも私の周りの、CAになった人、海外長期留学人間、絶対に海外で働くという決意をしている人、って、思いつく限り14人くらいいるんだけど(盛った。ほんとは4人)日本でなかなか壮絶な体験をしていて、外へ出たい…という思いが強いんよね。反対に、海外から日本にきた人も、大なり小なり自国で辛いことがあって、その解決策として外国へ出るという選択肢が強く出た人かなと、思うんです。

(まあ辛いことの受容体は人によって個体差あるという前提でね)

 

私も海外にいきたいって思ってたのは、家とか状況から逃げたかったからてのが大きいよ。私のきょうだいなんかそのために子ども時代から1人で海外に住んで、ほんまもんの帰国子女になってしまった。まあそんだけ金銭的に恵まれていたともいえるんだよね。だから、「家庭環境は酷い」だが「お金はまあまあある」場合に、こどもたちは海外に逃げて、帰国子女になって、調子乗ってるって叩かれるのかもしれないなぁ。

「家庭環境が酷い」しかも「お金がない」場合、たとえば逃避の選択肢が万引きとか傷害事件とかになる、そんで少年少女は鑑別所に入って、帰鑑別所子女になって、調子乗ってるって叩かれることもあるのかもしれないよね。

そんなかんじやよ。

 

まあしかし、お金のことでめちゃくそ喜怒哀楽を激しくするタイプの人、多いからなぁ……。差別問題、ヘイト問題、政治問題、すべてにお金事情が絡んでるよね。

「お金もってるくせに!」「ずるい!」ってなる人が多すぎるよ。「お金持ってるくせにずるい」となる人は、お金のことで苦労したのかな。現在裕福な人でも、お金で苦労した経験があるとそうなるのかな…、なんていろいろおもうけどわたしみたいなやつがそういうこと語っちゃいけない気がするから黙る。

 

私は、ふだん、お金のことをあまり考えてない(ご先祖様のおかげ、おじいちゃんおばあちゃんの、お父さんお母さんのおかげです)。税金とかはちゃんと払わなきゃ(めんどくさいけどせっかくそういう仕組みをつくってくれたんやから…)っていうレベルの社会不適合者だからね。

「そんな甘い考えだと、いつか野垂れ死にするよ」って、いろんな人に言われてきた。その人たちは、私に、「いつか野垂れ死にしてくれ頼む」って思ってるんだろうなぁ。野垂れはするけど死なないぞ!

 

しかし社会不適合者なんて、ごろごろいるんやから、社会の方を少しずつ、変えていかんといけないよね。てか、ほっといても社会なんて、変わるからね。むしろ変わらないようにする引き戻しパワーも、必要だからね。

 

 

 

ジャパニーズ庭園飛び石の勢いで、話がぶっとんで、ぜんぜん本題にたどり着かない……。

 

スマホのせいで海外旅行の興は削がれたか問題

 

あのね、2005年くらいにフィリピンにいったんよ。そんときはまだスマホはないし、お金持ってなかったから海外携帯も使えないしでね。なんかすごい原始的気分でフィリピンをもう体中に浴びて、こう、直に、冒険したぁーーーー!って感じのもうもう楽しかったわけよ。

 

で、2009年くらいのパリ、そのあとのイタリア…そのあたりもまだスマホなくて、携帯電話も持ってかなくて、迷子になったり、おかしな景色に出会ったり、新鮮味があって楽しかったわけよ。

 

それからたった10年しかたっていないのに、いまではもうWi-Fiヒャッホーすぎるじゃろ? GoogleマップなんかWi-FiなしでもOK牧場やろ? マップみまくりのすけやで?迷子になんかならへんで? 道なんかさ、現地の人に聞くよりGoogle itやで????現地の人にggrksって言われちゃうのはいややんな?

 

だからさーーーーーおもんないんちゃうか、これ、海外旅行の醍醐味がすりへってへんか。

 

それでなくても、グローバル化で、日本と他国の景色がどんどん似てきてるやん。スタバにマックにザラに…。

しかもYouTubeでほとんどの国の映像を見ることができて、VLOGで旅の追体験までできて、

っていうか旅番組を見ないと旅に行く気も起きないんやろおまえら。

何食べたいか、どこ行きたいか、ぜんぶテレビとYouTubeで決めてんだろ。

おまえらの身体感覚も知覚も理性ももうまともには働かないんだよ。Google様のサジェストなしではもう濡れねえんだよ!!!!

 

みたいな感じやん。

 

思うやん。

 

でもこれ、スマホ以前から、グローバリゼーション以前から、そうだったみたいなんよね。

 

現代の旅人は、彼が自覚しているよりももっと少ししか脅威を感じなくなっている。行き先とコースを決める時、まず到着の日をいつにするか、機械文明のどんなリズムのもので進入するかなどを、他のものと引き比べて選ぶ自由を人は享受するのである。
異国情緒の探求は、分かりきった一つの展開の、前の段階や後の段階の、あれこれの取り集めに過ぎないことになってしまう。
旅人は、作品が手に入らないので黒人芸術のギャラリーを止めた骨董屋のようなものだ。自分の国のがらくた市を廻っては値切って買い入れた、陳腐な土産物を商うことに鞍替えしたのである。

レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』中央公論新社 より抜粋)

 

1930年代のブラジル旅行について書かれた『悲しき熱帯』だが、原著の刊行自体も65年以上前のことである。だから、そのころからもう海外旅行=異国情緒の探求ははなくそみたいになってしまっていたわけだ。

 

では海外旅行がはなくそじゃなかった時代っていつよ?

白人的には1434年、ポルトガル☆ピーポーが船にのってボジャドール岬を越え、陸地で人とラクダの足跡を発見したときにスタートしたのだとおもふ。そっからどんどこ進んでいくからね、インド洋のほうまできて日本にまでやってきて…。まちがいなく、海外での冒険、て感じの雰囲気だったと思うわ。大航海時代のはじまり、ワンピースのモデルになった時代やと思うわ知らんけど。

 

日本人と中国人の話になってくるとまたわかんないね、だってもうあれよ、古事記とか魏志倭人伝とかのレベルになってくるから………。

 

だけど、そのころの海外への渡航っておもに貿易とかぶっころしとかのためだったんじゃん。つまりさ、「海外旅行」って言葉ができた時点ではもう海外旅行ははなくそだったのかもしれん。

 

嗚呼なんたることや~。

 

 

ちなみにタイトルにある先生はレヴィ=ストロース先生のことやで。

 

 

悲しき熱帯〈1〉 (中公クラシックス)

悲しき熱帯〈1〉 (中公クラシックス)

 

 

倫を抱きしめ、須賀たそにボラギノールを渡し、由美に抱かれたいー『女坂』円地文子著

こんにちは、三日坊主にならなかった奇跡のブログ更新りょうごくらむだです。

わがしchannelにコメントしたいあまり、ついにGoogleのアカウントを追加取得してうきうきわくわくしています。

今日は円地文子の『女坂』を紹介していきますです。たいていの近代文学作品ってそうなんですが、この作品、なにも知らんで読むと現代感覚ではいろいろ勘違いが発生しがちです。またアマゾンとか読書メーターでレビューを読むとさらに勘違いがすすむという恐ろしい循環もあるとかないとか。というわけで、私もいっちょ『女坂』未読読者の方々にいろいろ勘違いさせてしまいそうな読書時メモを最初にさらしておきますです。好きな漫画家は漫☆画太郎矢沢あい久保保久椎名うみです。ODAもTOGASHIも愛してるよ。ふみふみこ山本直樹も(←本棚にある漫画を確認しにいった結果おもいだしたなまえ)。れっつごー。

ひらがな多用に不思議チャン要素を感じて引いているそこのあなた…! いるかな?

 

 

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『女坂』本物のファンは見向きもしないであろうイメージ図

 

明治時代の初期(1884年頃)を舞台にしているので誤解されやすいが、『女坂』は昭和期に書かれた作品だ。1957年(昭和32年)、平成の天皇陛下がこのころ23歳なので、最近っちゃ最近の作品である。

 

キャラクター/登場人物

倫(とも)…本妻。夫に頼まれて妾を探しにいく地方住みの奥さん。すんげぇ我慢強い。15歳で長男・道雄を産んだ。

白川行友…倫の夫、福島の官吏(偉い役人)。すんげぇ女好き。

須賀…倫が最初に連れてきた、当初15歳の妾。めっちゃ美少女だけど、内面はすんげぇ暗い。何事もつきつめて考えたり、悩んだりしてしまうタイプ。

由美…2人目の妾。背が高くて中性的なさわやか美人。朗らかで明るく、嫌なことが会っても寝たら忘れるタイプ。

 

悦子…白川家の長女。父親似。

道雄…白川家の長男。こども時代を叔父夫婦に預けられて育つ。実母の倫をドン引きさせるほど捻くれていて可愛げのない人間(ひど)。油田がすき。

美夜…道雄の後妻。人たらし。やがて道雄or行友とのあいだに8人こどもを産んで死ぬ

巴(藤江)…道雄の3人目の妻。中

鷹夫…道雄の長男。みんなに可愛がられている。

璃子鷹夫の妹(美夜と道雄or行友の娘)

せき(や)…白川家のガチ小間使い。牧にとっては白川家の最古参

牧…鷹夫の乳母。離婚経験あり

 

きん…離婚して娘とふたりで浅草に住んでいる

とし…きんの娘。占い師の才能がある魔女っ娘(いよいよアンサイクロペディアの様相を呈してきた私のブログ…)

 

※行友が「妾というといやに表立つが、お前にも小間使だ」と言っているように、須賀ちゃん由美ちゃんは倫のお手伝いさんでもある。

 

ストーリー/あらすじ

地方官吏(金持ち公務員)の白川行友に大金を渡され「東京にいって、妾を探してきてくれ」と頼まれた妻の倫さん。美少女の須賀ちゃん(15歳)を家に連れて帰ることにする。須賀ちゃんの家は金銭的ピンチだったので、娘を売ることにしたわけであるが、芸者よりマシだし向いてるだろうということで妾に出すことにしたのであった。だがもちろん娘が大事な須賀ママ。「行友さんって次々と妾作ったりせえへんよな!? いずれ新しい妾ができて娘が捨てられるってことはないよな!? 倫さん、うちの娘のことまじ頼みます…><。」と涙ながらに懇願する。倫だってオカン。娘を持つ母の気持ちはわかる。だが、倫自身も「行友のやつ、妾に入れ込むあまり本妻の私を見捨てるんちゃうか!?」と不安だったのだ。そんなこんなで家にきた須賀ちゃんだったが、見た目は美人だけども中身は陰気ということもあり、行友にとってはたんなる性的処理相手にしかならなかったようだ。そしてある日、妾NO,2がやってくる。超絶性格美人のお由美さんである。身長170cmのスレンダー体系(推定)で、同性にもむちゃくちゃモテそうなお由美さん。行友(おっさん)と嫌々セックスしたという共通点もでき、須賀ちゃんともすっかり仲良しになった。

10~20年後、長男の道雄が結婚したが、妻はこどもを生んだあとすぐ産褥熱で死んでしまう。そのあとまたすぐ2番目のお嫁さんを迎えた。その相手が美夜だった。美夜はけして美女ではないが、人好きするタイプの女で、愛嬌たっぷり。倫までもキュンキュンさせるほどの愛想のよさ……。だが美夜はとてつもなくエロい女だった(褒めてる)ので、義父にあたる行友のハートを打ち抜いてしまう。

行友と美夜の不倫関係に気づいた倫は内心ぶちぎれる。須賀ちゃん由美ちゃんはといえば、「美夜さんは天性の花魁だからねー。しゃあなし」と諦めムードだ。

そんななか、妾NO2だった由美がお嫁にいくことになり、お妾ツインズは涙の解散をする。お嫁入した先で由美はすぐ身ごもり、かわいいこどもを産んでさながらハッピーエンドであった。

さらに10数年後、8人も子供を産んだ末に美夜は亡くなる。倫は道雄の3人目の嫁に色気のないまじめな中年女性の巴を選ぶ。夫と美夜の不倫関係がトラウマレベルで気持ち悪いものだったため、倫は鷹夫と瑠璃子の近親相姦めいた関係にもいちはやく気づくなど常にモヤついている。陰気な須賀ちゃんも年を取り、病気になってしまった。

死の間際、須賀ちゃんを探しにいくときに夫からもらったお金を、夫に返す。これまでずっと、何かあったときのためにとお金をとっておいたのだぞというのを明かすのである。さらにある手段をつかって行友に呪いをかける。さて行友はどうなるのだろうか…?(とうとつなネタバレ忌避)

 

『女坂』感想

倫をはじめとする女たちの苦悩を描いた作品なのだと思うんだけど、第三章で倫がもう白川家の支配人みたいになっているのね。そこでもう私の心の声、「支配人になれたんだし、人生の50%くらいは成功してない!?」なのだよね。うーん。なんか大奥とかと同じで、立場争いのようなものが主眼に置かれているような面もあってね、そうした「覇権モノ」なのだとすれば、倫はある意味で社長サンみたいなものだから、その面で成功者といえる気がするの。だけどこの小説、さまざまな他作品(お岩さん、イダイケ婦人、エディプス神話など)が差し挟まれていて、ほうぼうから物語の核心について囁き教えてくれるタイプの作品かもしれなくてね。そう考えると、倫はお岩さんみたいに夫に対して呪詛呪詛していたのかもしれないの…。

これ100%個人的主観的感想なんだけど、これだけの登場人物がいて実家とも便りのやりとりがあって女の子もこどももいっぱいいっぱいいて食うに困らなくて、そんで夫を恨むのはなんだか欲張りというか、ちょと、もっと他に楽しみを見出せなかったのかなって思うの。倫はどうなっていたら幸せだったのかしら? と思うの。

解説には封建制度の犠牲になった女たち云々って書いてあったんだけど、むしろ現代側からみると、さびしくなくてええやんって思っちゃう面もあってね。親の都合で芸者やら妾やらに身売りしなきゃいけないのは最悪だよ、もつろん。だけど倫にかぎっていえば、引退時までイイ感じに地方官吏をやっていた金持ち夫の妻だったのだから、もっとおもろいことを見つければよかったのに…! って、ついつい思ってしまうの。

 

倫は鼠色の肩掛に衿首をぴったり蔽い、氷のように冷え果てた手に重い雨傘をかざして雪の降る往来に立ち悩んでいる只一人の自分に意味のない絶望を感じた。何十年の間行友という手に負えぬ夫に生活の鍵を預けたまま、その制限の範囲一ぱいに自分の力で苦しみ、努め、かち得て来たあらゆるもの……それは一言に言えば、家という名で統一される非情な固い取りつき端のない壁に囲まれた世界であった。その世界を自分は確かに足を踏みこたえてはっきり生きて来た。そのことに自分の生きた力のすべてを籠められたようなものだったけれど、それほどにあらゆる精力と知恵を費やしつくして来た言わば人工的な生き方の空しさを倫はふと淋しい片側町の家の灯の中に見たのだった。(『女坂』円地文子新潮文庫より)

 

いやいやっ! 空しくないよ! 倫! がんばったよ! すごいよ! うううう(;;)

なんかさ、倫がうちのおばあちゃんと重なるねん…。おばあちゃん、強くて矜持のある女なんだけど、おじいちゃんのことめたくそ恨んでるから……。

……(笑)まじでおじいちゃんのこと睨む顔が鬼なの。。

 

 

女坂 (新潮文庫)

女坂 (新潮文庫)

 

 (けっきょくAmazonでぽちったんやけど、最初は古本屋にいったんよ。うろおぼえ馬鹿の私、「あの、女なんとかありますか? まる…丸山円…なんとかさんの。てへっ(ブリッコ)」ときいたんよ。したら古本屋の店主、「円地文子の女坂ですね」とすぐ了承して2階の書庫へ駆けあがっていってめっちゃかっこよかった。小太りのふわふわ薄い髪だけど、惚れたわ)

わがしchannel♡祝1万人/1999年『スプートニクの恋人』

わがしchannelさんチャンネル登録者数1万人!おめでたい~!(><。)

このまますぐ3万、5万といわず10万人いくと思います。

そして彼女たちは日本を変えると、私、確信しております。

Twitterのファンアート描いてるかたの絵がめちゃいいんよね~。きっと、わがしchannelのファンはみんないい人。わがしファンにわるいやつはおらんのや…!)

 

☆☆

 

 

きのう1999年に書かれた小説を調べていたさい村春さんの『スプートニクの恋人』が挙がったので本棚を開けてひさびさひもといてみた。

 

もうひっさびさの久々村春作品だったんやけど、こんなに1行開けあった!?ってくらい1行開けのオンパレード(っていう表現をするとまるで揶揄だがそんな邪鬼な気持ちじゃない)である。何年か前の「文藝」で山田詠美星野智幸の対談があってね、山田詠美が「むやみに行開けすんな馬鹿」っていつものクールさ満点で言ってたのね。それでわれわれ素人文芸ガチ勢は「むやみだり1行開けはダメ!」って自分に言い聞かせるようになったよエンターボタン。が、村春さん、こんだけ行間あけまくりでも読者を集中させられるのって逆にすごない? てかガチ勢じゃない人にも明らかに読みやすいよね、行開けしてあると、区切りがあって気分もすっきり、ぷちぷちをつぶしたような気持ちになれそうだよね。

 

スプートニクの恋人』は、22歳の小説家志望女子が39歳の既婚女性に恋するお話である。えもーしょーーーーーえもーしょなりずみぃぃーー

レズビアンの女性は生まれつき、耳の中のある骨のかたちが普通の女性のそれとは決定的に違っているんだって。なんとかいうややこしい名前の小さな骨。つまりレズビアンというのは後天的な傾向ではなく、遺伝的な資質だということよね。アメリカの医者がそれを発見したの。彼がどんないきさつでそんなことを研究しようと思いたったのか見当もつかないけれど、いずれにせよそれ以来わたしは、その耳の奥のろくでもない骨のことが気になってしかたないのよ。わたしのその骨はいったいどんな形をしているんだろうかって」

(中略)

 ぼくは言った、「ミュウにたいして君が感じているのが性欲であることは間違いないんだね?」

「100%間違いないと思う」とすみれは言った。「彼女の前に出ると、その耳の中の骨がからからと音を立てるの。薄い貝殻でできた風鈴みたいに。そしてわたしは強く彼女に抱きしめられたいと望む。すべてをまかせてしまいたいと思う。もしそれが性欲じゃないと言うのなら、わたしの血管を流れているのはトマト・ジュースよ」

 (村上春樹スプートニクの恋人』1999年4月20日刊行 講談社文庫より引用)

 

忘れたらいかんのが、これが1999年の春に出た作品だということ。まだユーロが導入されたてほやほやの年といったらだいぶ昔やなあという気がしてくるはず。ポリコレスティックで大々的に叩かれることもなかっただろう。主人公すみれがレズビアンである自分を「普通の女性ではない」と捉えているように見えかねない部分が少しいやなかんじなのだがね。ネット上でもよく異性愛者の人が、ゲイと自分を比べたときに自分を「ノーマル」と表現することがあって、あああと思うんや。人って自分を普通ー標準ー平均〉って思いたがるものなのだろうか? やはり自分を基準にして世界を見るのはあたりまえのことなのだなと思わされる。そしてそれは悪いことではないんだろうね、だってとても野性的な視点じゃんね、自分を基準とするのって。知性を総動員すれば、他者的視点を手に入れられるけど、それは人間至上主義的なやりかたにすぎないし、むしろ世界をぶっこわすためのツールでしかないのかもしれないよね。

 

ぐるぐるぐるぐるやね。

 

まあでもポリコレ的には「ノーマル」って、他者を「アブノーマル」にしてしまうものだから、なんだかなぁと思う。てか、自分からみた他者がアブノーマルだとしても、けっきょく他者がおのれをノーマルに据えたとき、その他者から見た自分のほうがアブノーマルになってしまうわけだから…ぐるぐるぐるぐるやろ?

めぐるねんから…。だめよ…やっぱり。わたしもあのこもふつうかつとくべつなのよ。

 

 

てかでもさ、「恋愛=性欲」って思ってるひとって多いのかな。

もしミュウに対して抱いている感情が性欲に関連していないのなら自分の血はトマトジュースだというのはどういう意味なんかね。

たぶん村春としては、耳の骨=海綿体みたいな捉え方してるよねこれ。男子女子ともに膨張する海綿体、だけど村春さんはたぶん女子に海綿体はないと思っているんちゃうかな。だからこの〈耳の骨=海綿体=男の充血器官みたいなかんじよね。それを裏付けるように、トマトジュースつまり野菜(果実だけどね)つまり植物つまり草食系という連想が成り立っちゃうわよね。アメリカ文学では草食系女子のことを植物にたとえることがあるしたぶんこの連想はまちがってないとおもふのよね。1999年には詩的だったこのシーンもいま読むとこのように野暮な指摘がはいるわよね。しかもミュウっていうバイのセクシー女優さんの実在を知ったきょうこのごろ、よけい気が散るそれは読者がわるい。

 

しかし私ね、さいきん白髪をいくつも発見しておちこんでたのよ。このつらみをLINEの一言ステータスメッセージにて伝えたいの。でも「私は白髪人間だ」だと直接的でイタいかなってことで代名詞を使おうとおもうんだけど、免色さんとミュウとどっちを採用すべきだと思いますかアンケートです。

 

きょうもがんばろー!

 

わがしchannelさん

youtu.be

 

きゃわいい……美人……癒し…しゃれおつ…笑い……すべての幸福の生みの親……

マジおすすめだから…。

彼女には「好き」と言えなかった話

こんにちは、ライターのりょうごくらむだです。 

さいきん彼女のことばかり考えてもやもやしてしまうので、自分の気持ちを整理するためにもいろいろと書き残しておこうかなとおもふのです。ただ、自意識過剰大洪水な私は、じぶんの書いた文章を読んで、あああああこんなこと書いちゃだめえええええとか、この書き方は誰かを傷つけているううううとか、反省にも行きつかないような、なんというか脊髄反射的自虐思考に陥ってしまうのです。それでいて、妙にファニーに見せようとして、おちゃらけてしまうので、ゆがみやひずみがはんぱなきことなりです。

どんなに善人であろうとしても、人は誰かを傷つけてしまうものであると、仏教が育つ過程でもうそれは人類、わかりきっていたことのようで、それで「他力本願」という考え方があるわけで、柏手を打ちつ打ちつ、なむあみなむあみして、かみさま、私がそれとしらず傷つけたすべてのひとを癒して救ってお願いね。

 

 

彼女には「好き」と言えなかった話

 

私には嫌いな友だちなどいない。嫌いな人をそばにおいて憎みつづけられるほどの強靭な精神はまだ持ち合わせていないからだ。

友だちのことはみんな全力で大好きだ。だからみんなに「好き」と、いつも言語で表現していた。

「大好き」「好き」「愛してるよ♡」なんて、手紙やメールにかならず入れてた。(これは男友だちにも適用された。でも魔性の女とか陰口たたかれてたのでやめたった。)

だけど、恋愛的な意味で好きになったひとに対しては、何も表現できないことのほうが多かった。好きだなんて言ったら誤解(誤解じゃない)される…。そんなふうに意識しすぎるため、なかなかまともにコミュニケーションが取れないのだった。

あるとき、私は彼女に出会い、すぐに仲良くなった。

彼女は私のことを好きだと言った。「大好き!」「愛してる!」メールの文末を飾る、友だち同士だからこそ気軽にいえる「好き」に、私はばかみたいに傷ついてしまった。思えば、そのときから私の気持ちは非常に重く、重く、重かったのかもわからない。

そしてその重さが、私をどんどんコミュニケーション下手にした。

かわいい、大好き、愛してる、なんて、友情を育むなかではあたりまえに口に出されることだ。ハグとかチューも、ふつうにすることだ。私は女の子と温泉にも長期海外旅行にも行くし、いっしょに住んだこともあった。みんなのこと、友だちとして真剣に愛していた。でも一度も、彼女に対して抱くような感情を味わったためしはなかった。

劣情、という言葉を古典文学の翻訳などで目にする機会がままある。現代日本で性愛の情を劣っているとみることはないだろう。だが私はこの劣情、という言葉こそ、彼女を想う私の気持ちにぴったりあっていると思った。その語感や、漢字のかたちを含め、私の心情を言い当てている気がした。彼女とセクシーなことをなにかするまでは、「好き」ということもできない気がした。ただの友情じゃないということをわかってほしかった。この時点で、私たちの結んだ関係は上手くいくはずがなかったのかもしれない。とにかく私には力がなく、くそ弱く、ぶつかったら割れて潰れて粉々の再起不能になることはわかりきっていた。それで、ちょっとずつ摩耗していくほうの道を選んだのだった。

私たちは支えあい、夜のなかを渡って会った。

数年がたつと、もう「好き」と言葉にすることも怖くないほど、距離が0にまで近づいていた。

だが、彼女と会った後はいつもさみしくて、改札や、店の前や、夜寝るふとんのなかで、涙がこらえられなくなるのだった。

なぜなのだろう。

なぜ。

わからない。私は眠れなくなり、よけいな、もやもやとした、いやなことばかり考えるようになっていった。彼女は結婚した。また彼女の仕事は人生を変えるほどのたてこみようだった。私は引っ越した。お酒と煙草をやめた。いくつかの旅行の計画が破たんした。いろいろなことが重なったと思う。

いま思えば信じられないことだが、私は彼女と撮った何千枚もの写真を削除したし、引っ越し先の住所を教えてほしいといわれたのに教えなかった。

私はそんなふうな、悪鬼でもやらないような非情な手を使うことでしか、彼女と向き合えなかったのだ。私は彼女をぶちぎれさせたかった。そしてそれは、自分自身がぶちぎれたかったのと同義である。夫がいること。法の抜け穴をほふく前進しながら会っていること。お互いの夫が大嫌いでいなくなってほしいと思っていて、でもなにもできないことなど、ぶちぎれ要因はやまほどある。

だが私たちにはまた仕事もあった。家事に仕事にほかのささいな人間関係に没頭していれば、ほんとうにやらなくてはならないことを忘れていられる。ぶちぎれることなど忘れる。社会や共同体に対して影響力を持っていることが、彼女との関係をくそみじんこゴミに変えてしまった。

彼女は私から離れていった。

半年以上がたった。

私はこのまえ、衝動的に電車に乗って、彼女のいる町へ出かけていった。ふたりでいった喫茶店や、ならんであるいた川沿いの道をうろうろしながら、そんなことがあったなんてすべてが、嘘のようだとおもった。

LINEの友だち一覧には彼女の顏がある。髪を切って、可愛くなっていた。

もしかしたらブロックされてるかもなぁと思う。彼女はいままで、友だちをブロックしたという話をよくしていたし、すぐにそういうことをやる潔癖なところがあるからだ。そうしたエピソードも、また、私を恐れさせた。彼女は決して性格のいい優しい子ではなかった。いつも闘っていた。自分の気持ちを優先させるタイプの人間で、ほかの人の身になって考えるということが苦手だった。だからこそ彼女の世界は魔術に似て美しく、独創的だった。私はそういう彼女を、ずっと、支えていくつもりだった。

もう一度「好き」といったら、彼女は信じてくれるだろうか。あるいはそれは友だちとしての「好き」になりうるだろうか。

ふつうの友だちに戻れるものだろうか。

私たちに「ふつうの友だち」だった時期などあったろうか?

 

私はこうした話を、きょうだい1人と友人1人にしか話したことがない。だがこの2人の生き証人にすらさいきんでは会いたくない。会えば彼女のことを話してしまうだろうし、その瞬間に、私の気持ちも、いままでの出来事も、すべてが人工物になってしまうだろうから。

まあいまもフィクションがすごいことになっている気がするけど、でも、だいたい真実。とにかく誰かに奇妙な異常な恥さらし的なLINEを送ってしまうなどということがないように、暗い秘密は小出しにしなきゃね。

 おわり