感想

くらげなす漂うアメリカンアパレル

ネタバレ『燃ゆる女の肖像』フェミニズムブッ込んでいない

燃ゆる女の肖像を見てきたよ。ぶんかむらル・シネマでみてきたよ。客席はまあまあ埋まってたけども、ご時世上かやはり空席が目立ちました。私は200円の水を買い、ル・シネマに貢献しました。これからも存続してほしい。好きですル・シネマ。

 

燃ゆる女の肖像は、18世紀フランスの上流階級×召使×庶民を描いた作品です。青い海がきれいなブルターニュに住んでる貴婦人エロイーズと、その肖像画を描くために海を越えてやってきた女流画家マリアンヌが恋に落ちます。貴婦人エロイーズはまだ若くて、もともと修道院にいた。でも貴族と結婚するはずだった姉貴が自殺してしまったので、代わりに結婚するはめに。姉貴は結婚がいやで自殺してしまったので、当然、エロイーズだって結婚やだなぁと思っている。肖像画は現代でいうお見合い写真的なものなので描かせたくない。まあ、現代と違ってそれを用意する段階ですでに結婚することは決まっているし。以前母親が雇った画家は、とうとうエロイーズの肖像画を仕上げることができなかったので、本作の主人公であるマリアンヌが呼ばれたわけです。画家であることがエロイーズにバレないように、マリアンヌは散歩相手のふりをしてエロイーズの顔や体を観察します。脳裏に焼き付けたものをキャンバスにぶつけます。これがなかなか難しく苦戦の末やっと描き上げます。良心の呵責から、マリアンヌはエロイーズに自分が画家であったことを打ち明け、完成した絵を見せました。しかしエロイーズはこんなの私じゃないと言いモデルを買って出ます。父の跡を継いで画家になったマリアンヌは、エロイーズと比べると自由な女性です。おしゃべりも上手だし、なんかかっこいい。エロイーズはすでにマリアンヌがお気に入りの大ファボリッテ。だからモデルも買って出たわけですな~。

 

 

で、ここから2人×1人の大フランス百合祭りが始まるので、ネタバレなしでお楽しみいただきたい。

 

すでに鑑賞されているかたは読んでください。

 

セリーヌ・シアマ監督ですね、「水の中のつぼみ」のね。あの映画で意地悪百合あるある女子を演じていたアデル・エネルが大人になって出てきます(エロイーズ役です)。シアマ監督とは公私ともにラブラブカップルだったものの、現在別居中らしいです。

 

今回の作品はアデルブルー&茨の城って感じでしたね。茨の城ファンは絶対好きだよ。

 

 

我々世代20代後半~50代くらい? にみんな言えることだが、かなり、この監督はアメリカの影響を受けてるきがします。フランス映画っぽくないので、人によっては非常に癖がなく、見やすいと思うかもしれない。

まあフランスのゲイがアメリカの影響を受けるのはあたりまえなんだと思います。男尊女卑ひどい国ですからね。だいいち男性名詞女性名詞あるからね。それに比べてアメリカではいまや「he、sheじゃなくtheyにするのが是!」ってなってる地域もあるレベルですから。

 

大衆向けというか、とにかくわかりやすく作ってある。登場人物も非常に少なく、これ、一部の日本文学好きが好きになるタイプの作品だと思いますね。この理解のしやすさといったら。

音楽も2つだけなので、とてもシンプルで効いている。

映像もおしゃれで整っていて、でも奇をてらっているわけではない。

好バランスです。

 

全体的に、良好バランスで気分よくなります。華やかです。女神の見えざる手のサンローランくらい華やかで洗練されています。

 

あたおかシーンは腋毛に薬物をぬりたくってトリップするというところくらいかな?

もっさりヘアーが満載で、全体的におケケへのリスペクトがすごいというのはデフォルトのままですね。私のようなおケケマニアにはたまりません。最高すぎる。

 

しかもフェミニズム宮沢賢治リスペクトまで盛り込んでます(それは思い込み)

 

いやほんと、フェミニズムぶっこんできた!? って心のなかで突っ込み入れましたね。あのお手伝いさん、麗しのソフィーちゃまの堕胎のシーンです。

あれなんなのですかね? 誰か一緒に考察してほしい。あれって、「時代と男尊女卑のせいで中絶するしかない(こういうの現代にもつづいてるっしょ?)」だと、フェミニズムぶっこみ王、ということになりますよね。

でも、なぜソフィーが中絶するに至ったかという部分は「観客の想像におまかせ」なのですよ。どこにもえがかれていない。それなので、このシーンは何を伝えたいの??って混乱します。

でも、目を背けようとしたマリアンヌを制してエロイーズが、「画家として見るのです!」とか言うじゃないですか。詩人として冥界の妻を振り返ったオルフェみたいに。

妹の死を見守った宮沢賢治みたいに。

 

つまりこのシーンが伝えたいのは、「芸術家は見るのです☆」ということになります。そして、この「見る」ということが、最後のエロイーズとの別れの辛さの伏線にもなっている感じなのかなぁ。

 

悲恋には死がつきもので、LGBT作品にも死がつきものだった時代があって、現代のLGBTっ子たちはその死に抗議してきたわけですよ。ゲイがアンハッピーになるって決めつけたらぶちのめすよ????みたいな話なんですけど。

でも死のイメージは鮮烈であり、真実であります。人は絶対生まれて死んで生まれて死んでってなってるので。

だいいちエロイーズの姉貴は結婚がいやで死んでるわけですよ、最初に死が置かれている。だから死を最後に持ってくるのがセオリー通りだった。

しかぁし、現代のLGBT作家が最後に当事者を殺したら終わる。抗議されるし、センスもねーし、真実じゃないしってぶちのめされる。自分的にもいやでしょう。

でも死は欲しい。だって死の悲しみは真実だし、別れは死みたいに辛みだし。。

そこでジレンマを解決したのが、オルフェの物語(日本でいうイザナギイザナミ神話)だった。オルフェのイメージを植え付けておくことで、エロイーズはある意味、死んだ。ある意味、もう幽霊。ダブル死のパンチ的なさよなら。…という鮮烈な悲劇を印象付けることに成功。

さらに、ラストシーンでの、あのおしゃれすぎる救い&それでも絶対観客泣かしたんねんオラオラオラ(でいみあん・ちゃぜる?)!!の2段階設定です。

 

はい、そんな感じでした。

あ、ブルターニュのあの召使いたちの集まりと歌ね。あの黒人のストリートラップバトルのブルターニュ版のシーン、よかったよね。

シアマ監督によると、あれは史実にはないらしいです。あったかもしれない歌、だそうです。上手い。でもなんか怖かった。「ウィッチ」思い出した。

 

あ、こんな感想を渇いた冷たい調子でしゃべっていますが、号泣はしています。マスクがびしょぬれになったので急遽マツキヨで洗えるマスクを買いました。ちょうど黒が欲しかったのでよかったです。

 

ちなみにさっきアデルエネルについて調べたら、13歳女児強姦罪有罪のロマン・ポランスキーが監督賞を受賞した際に、授賞式を退場して抗議したそうな。しかもWikipediaによると

エネルは退場する際、拳を突き上げ「恥を知れ!(La honte!)」と叫び、会場のロビーで皮肉を込め、拍手しながら「ペドフェリア万歳!(Bravo la pédophilie!)」と叫んだ

 らしいんだが・・・・

すごいな・・・・すごい想像つくわこの場面・・

 

てか。。

ウディ・アレンの件から立ち直れてない同志はいますか。。。。

 

(了)

『緋文字』ナサニエル・ホーソーン著

こんにちは、りょうごくらむだです。今日はね、ナサニエル・ホーソーンの「緋文字」いっちゃいます。アメリカ文学の古典で教科書にも載ってるような作品です。いまとてもプリンが食べたい。

あらすじ

姦淫し私生児を産んだかどで捕えられたへスター・プリンは姦淫罪を象徴する「A」の緋文字を一生胸に付けるように義務付けられ、社会から片脚をはみ出したような状態で静かに生活をするようになる。

7年後、私生児は可愛くてやんちゃな真珠ちゃんになり、へスター・プリン自身も長年の隠者的生活のため心が研ぎ澄まされていた。へスター・プリンの器用な手先による刺繍仕事は周りからも評判で、「あいつそんなわるいやつでもなくね?」的な雰囲気になり迫害の空気すらうすれているのだった。

そんななか、いまだ独り苦しみつづけている男がいた。へスター・プリンの姦淫相手Dである。この姦淫相手Dは、罪の重さと、隠し事をしていることによる自責の念に苦しんでいた。さらに自分の専属医者が、じつは邪悪なサタン野郎だった。じつはヘスター・プリンの元夫であるこの邪悪サタン老医者は、ひっそりと嫌がらせをするように、Dの心の闇を暴こうとしていじめていた。

 

登場人物

ヘスター・プリン……姦淫の罪により、さらし台に立たされ、緋文字の布を一生身に着けるという罰を与えられる。

医師ロジャー・チリングワース……ヘスターの夫であるが、周囲には隠している。老人で、世間から隠れて研究をしていた。

牧師ディムズデイル……へスターと愛を交したが、それを隠していることの罪の意識にとらわれている。みんなに慕われている。

ベリンガム総督…正しく、賢い善人。高齢で、威厳としわがある。共同社会の代表者としてふさわしい人で、なしとげたことの多い人物。

牧師ジョン・ウィルソン…白髪頭の、最年長の牧師。

パールちゃん…我らがキュートな真珠ちゃん。ヘスターの私生児

 

 

感想 

ところで最近「水曜日のダウンタウン」の「霊感が強いと自称する女タレントやりにいってる説」を見ましてね。まだ売れていない女性タレントたち5名ほどが、夜の学校などを舞台にそれぞれ霊能者を演じていたんですよ。演じていないふりをして演じているんですね。自分はガチの霊能者であるということで演じているわけです。まるで自分がガチで感じているということで演じるAVです。まるで在りし日のS1のTSUBAKIを見ているかのような既視感です。それはともかくとして、思った以上にみなさん、真に迫っていて、怖かったです。

で、これがもし17世紀中葉のニューイングランドだったら魔女狩り決行ですなぁ…。

なんてことを思いました。魔女ってこういうことだよね☆って。

 

―――

 

 

「まあ、ほんとうに!」慈悲深い老ウィルソン師が叫び声を上げた。「何という鳥なんだろう、この緋色の羽の小鳥は? どうもこういう姿をしたものは見たように思うがな、お陽様が目のさめるような色の窓からさしこんで、床の上に金色や真赤な形を描きだすときにな。だがそんなのはイギリスでのことでした。あのね、お嬢ちゃん、名は何ていうの、それな何だってお母さんはわざわざこんな妙な風に飾り立てたの? あんたはキリスト教徒なの、え? 教義問答(キャテキズム)を知ってる? それとも腕白な小さい妖精か仙女なの? そういうものは、カトリックの制度の遺物といっしょに楽しいもとのイギリスにおいてきたつもりなんだがねえ」 

 

当時ニューイングランドはその名の通り新しいイギリス。イギリス植民地でした。いまだ魔術のにおいの残るカトリック的なものイギリスに置いてきて、さっぱり無臭のピューリタンな世界を築こうとしていたわけです。しかし、もともとそこはアメリカですから動物と植物とインディアンたちの場所だったわけです。「森の散歩」から「ニューイングランドの祝日」までのあいだに出てくる森はイギリスの森ではなく、アメリカの森。精霊的なものたちとインディアンの森なわけです。

ベリンガムの館や、あちこちの鏡に映る悪鬼っぽい私生児パールちゃんはピューリタンっぽさがありません。カトリシズムの遺産でありながらアメリカの森の申し子って感じがします。ホーソーンがウィルソンの言葉にもそのことを表しているように思います。

 

 

ところで昨今、SNSで「正義の爆叩き」するのが流行病のようになっていますが、この作品を読んで落着きましょうと言いたいです。 

1650年頃のボストンはクエーカー教徒などの異教徒、よっぱらいインディアン、魔女っぽいひと……などなどの異端はみんな鞭で追い払われるか絞首刑になるかっていうところでした。激厳しい初期ピューリタンの町であったわけです。獄舎前広場では、姦淫の罪を犯したという女への誹謗中傷が飛び交っていました。処刑台を前に、罪人を待つ人々が騒いでいる。それはまるでヤフコメのごとき有様でした。たとえば…

「専業主婦をしている50歳のものです。姦淫したくせに、ずいぶん罰が軽いと思います。熱心なキリスト教徒である私たち自身が裁いてやりたいです。あのアバズレが…、もっと罪を重くしてやりたいですね」

「完全同意です。私もキリスト教徒で主婦です。罰が軽すぎると思います。姦淫罪の印をつけるらしいですけど、布に刺繍したやつじゃなく、額に鉄の焼きゴテを押してほしいですね。姦淫するなんて、どうせ面の皮の厚いアバズレに決まってるんだから。胸に緋文字の布を付けるくらいじゃ、いくらだって隠してまた堂々と表通りを歩けるわけでしょ。ゆるせない」

「20代主婦です。ここのコメント、厳しい意見が多くて驚いています。私は布でじゅうぶんだと思う。印は隠せても、胸の苦しみは隠せないものですから」

「死刑一択! 異論は認めない! 聖書にも法律書にも、姦淫は極刑にしていいって書いてあるはずよ!」

「女こわっ。自分は男性ですが、改めて、女こわ…って思うコメ欄ですね」

こんなふうに。

人間というイモータルなもの(三島)

ですね。人間には何度ぶちのめしても変わらない愚かしさがありますね。

はい。

で、へスター・プリンは、午前中いっぱいを赤ちゃんとともに処刑台に立って、みんなの前でその胸の緋文字をさらします。その緋文字は、ふしぎに優雅なたたずまいです。

上等の赤い布に、金糸で手の込んだ刺繍と風変わりな飾りをまわりにつけ、その上にAの文字が現れていた。とても芸術的にできており、又豊かな目のさめるように華麗な幻想にあふれていたので、身につけている衣服に一番よく似合う装飾品として全く効果的だった。

 

美しいんですよねこの緋文字が。のちにヘスターは灰色の服を着てじみ~な暮らしを営むわけですが、この緋文字(&パールちゃん)だけがきらきらしております。

 

ホーソーンは最後らへんでこう語っています。 

憎しみと愛とは本当は同じものであるかないか、興味深く観察し研究すべき問題である。どちらも、極度に発展すれば、高度に親しく心のふれあいを必要とするもので、どちらも人に愛情と精神生活の糧を与えあうようにさせるものである。そしてどちらも、その問題がなくなると情熱的な恋人やそれに劣らぬ激しい憎しみをいだく人をわびしく孤独にしてしまうものだ。それ故、哲学的に考えれば、この二つの情熱は本質的には同じもので、ただ一方はたまたま天上の光に照らされて美恵、他方はほの暗い不気味な赤熱の光の中に見えるだけのちがいだ。霊界では、老医師も牧師も――互いに犠牲者であったけれど――地上からもってきた憎悪と反感とが知らぬ間に黄金の愛情に変っているのに気づくであろう。

 

老医師と牧師は天上で出会って愛のきらきらに包まれたのでしょうか?

それはわかりません。

でもかれらがきらきらに包まれて再び地上に戻ったときには、Kと先生という形でよみがえっています。地上に戻したのは夏目漱石でした。そして彼らはまた天上で出会って愛のきらきらに包まれなくてはならず、どちらも早死にしました。

さあ、誰か彼らの輪廻を止めてください。地上で愛のきらきらをぶちまけてください。わたしがやるしかないか……。がんばろう

(了)

 

緋文字 (新潮文庫)

緋文字 (新潮文庫)

 

 ↑引用はこちらからしました

 

完訳 緋文字 (岩波文庫)

完訳 緋文字 (岩波文庫)

 

 ↑まえおき文「税関」がついています

 

緋文字 (光文社古典新訳文庫)

緋文字 (光文社古典新訳文庫)

 

 読みやすいです↑

 

プリンが食べたい。

TENETみたよ

はろー日記さん!

TENETみてきたので感想を書きつける。

 

なんかメディアの宣伝の「一回みただけではワカラナイ…」という論調がダルい。。

いやいや一回みただけで最高にぶっ飛べて楽しくて幸せな劇場時間過ごせて

しかも二回目みたらも少し発見もあって超絶楽しいんだけどなにこれ

 

って感じだからTENET。エヴァまごころを君にとは違うから(おい)

 

まじで監督の力量なめんなだよね。

一回でわかるからすごいんじゃん。

 

たしかに頭のなかは「は?」「…は?」「はぁぁっ!?(歓喜)」てなるよ。

時間逆行銃弾のシーンとか、<言葉による説明+映像による説明>で頭のなかが気持ちよくかき回されるよ。

音楽もいきなり縛りつけられて横面ぶん殴られてぺろぺろされてる感じの快さだよ。

キュンキュンが止まらなくて苦しかった。

イケメン美女揃いだからとかじゃなくて、ノーラン節にキュンだったんだと思う。

いいなぁぁぁ。たんのしいなぁ。

 

終わり。

 

え、わからないってこういうことなのかな。わからないから好きになるのかな。

ドーナッツの穴。なのかな。

しかしぜったい不快なシーン描かないよね、って思った。麗しき王道エンタメは。不快な気持ちにさせへんよね。

散文でごめんね。

『パルチザン伝説』ー桐山襲

みなさま、こんにちは。いつもブログをご覧いただき、ありがとうございます。

ライターのりょうごくらむだです。

パルチザン伝説

パルチザン伝説

  • 作者:桐山 襲
  • 発売日: 2017/08/18
  • メディア: 単行本
 

 

テロ小説を一本紹介しようかなと思いつきました。

パルチザン伝説』という、まごうかたなきテロルな小説です。

紹介していきますぞえ。
 
パルチザン伝説』桐山襲著 ※時代が時代なんで差別的な表現があります
 

構成

<僕から兄へ1通目の手紙>→<Sさんの手記>→<僕から兄へ2通目の手紙>
大まかに分けてこんな感じ。
1通目の手紙から2通目の手紙までの空いた期間は2か月ほど。
 

登場人物

テログループの一員として公安警察に追われ、八重山列島らしき場所に逃亡中。爆発事故で片目と片手を損傷した。
兄さん
党員として逮捕された。出所すると一言も口をきかない「唖者」となっていた
大井聖(父)
僕が2歳のときに失踪あるいは死亡した
穂積一作(父)
こっちが本名らしい。新聞記者。第二次世界大戦終戦のときの「反乱因子」だった
 
昼のバイトのほか売春ぽいことをしてお金を貯め、兄と僕と妹を育てた。兄とただならぬ関係にあったらしい。
15歳で家出。娼婦になった
Sさん
下半身に麻痺があり、徴兵されなかった大学生。趣味は油絵
M大尉
穂積の知りあいの近衛師団の大尉
あの男
 
 

年表

1944年 S19歳 穂積一作が油絵を見て訪ねてくる
1951年 秋 僕2歳 兄4歳 父、大井聖が失踪する
(1960年代後半、学生たちの社会的反乱がスタート、70年代初頭に敗北決定する。僕らのグループはそのころに地下に潜った)
母30代前半「金箔荘」の四畳半で三人暮らしがスタートする
1954年 異父妹が生まれる
1960年 6月、「土地付きの小さなアパート」へ引越す。
1967年 母が再婚する
1969年 11月中旬までごろ、兄さん逮捕される
     (11月16日―17日 佐藤栄作訪米阻止闘争)
     12月 母が亡くなる
     妹、15歳で家出
1972年 1月~2月 銃撃戦の山岳基地で党員14人が処刑される(兄さんの恋人がいた可能性)
    兄さん、一言も口をきかない者として出所する
1973年 秋。男女7人グループは「あのこと」を計画
1974年 8月12日、14日の計画を実行するため準備する
    8月13日、公安らしき「敵」に包囲され、計画を断念する
 M企業爆破事件で100人の死傷者を出し、意見が割れ、僕だけ離脱する
1975年 僕以外のグループのメンバーが逮捕され、監獄へ入る
1977年 O市のアパートで誤爆、僕は片目と片手を失う
1982年 4月 僕は兄に手紙を書く
 
 

あらすじ

主人公は企業や天皇を狙う爆弾テログループから離脱したのち、自宅で爆弾を誤爆させ、片目と片手を失って命からがら逃亡をつづけ亜熱帯の孤島にたどり着いた。
その孤島から兄に手紙を書いている。子どものころ失踪したお父さんについての手紙である。お父さん「大井聖」は、<異形な者>だった。片目・片手を失い、口をきかなかった。これは主人公が爆弾事故で片目と片手を失ったことに通じている。 
しかも、兄もまた「闘争」で逮捕され、出所後には一言も口をきかなくなっていて、お父さんと一緒なわけである。
そんなお父さんの謎を解いてくれるのが、Sさんの手記である。お父さんとSさんは第二次世界大戦が終わる直前に出会い、日本国本土決戦をさせるために爆弾を作っていたのだった。
 

豆知識

佐藤栄作訪米阻止闘争…日米安保条約が期限切れとなる1970年を前に、佐藤栄作が訪米し、条約継続の話し合いをする予定だった。
それを、新左翼が阻止しようとして、2,500人以上逮捕された。1967年から続いた学生運動のピークアウト的な事件だった
※作中の詩歌は、ブレヒトの『赤軍兵士の歌』1919年1月 バイエルン革命の戦士を歌っているとされている    
 
 
 
 

好きじゃないところ、感想

苦しいな。主人公の、天皇を狙うことの理由がさ、「戦争責任を持ちながら、その負債を返さず復興の歩調に合わせる欺瞞だらけの我らがお父さん軍団、その父のボスである「あの男(昭和天皇)」を倒すのが自分らの義務、ってかむしろ存在意義だと思った。」っていうようなものなんだけども。
なんか苦しいよな。わたしからすると、わかるような気がする一方、へりくつだよな、って思っちゃうんだ。
あと、「僕には天才的語学能力があるので、やんばるの方言をそっこーで体得し、現地人並みに喋れるようになっていた。だからシャーマンのお手伝いをして生き延びた」っていうところも、天皇ってシャーマンやん? って思うと、やはり欺瞞を抱えているのは主人公自分自身なんでは???と思ってしまうし。
まぁ、わたしには重すぎるのかもしれない、っていうか、ベクトルが違うのかもしれない、って逃げたくなっちゃうような本。
 
なんていうか、徹底的に、可愛くないんだわ。登場人物全員、かわいげゼロなのよ。
あまりにも、あまりにもね。
一人くらい、可愛い人がいたっていいじゃない! 
と思ふ。
そうかんがえると、自分が好きな小説って、たいてい、登場人物が可愛いんだよな。
こころも、響きと怒りも。オルハン・パムクの「雪」なんか可愛さの塊やん?(オルハン・パムクの小説そこまで好きとはいえないけど、いま本棚をみて思った)なんかね、やっていることはファイト・クラブなのに、重々しいというか、女々しいというか、いやらしいというか、粘着質というか、事をものすごく重々しく脂っこく書いていて、なんかそれが、むしろ軽さを引き出してしまっている、という感じがしたな。
 

好きなところ、感想

よいなぁと思ったのは、Sさんの手記のクライマックスですね。穂積が最後の潜入をしたあたりで、植物みたいな(白いアスパラ・・・?)宮廷の人が出てくるの。あのシーン、なんかすごいエロティックで好き。一生、心に残ると思う。
あ! あと「影男」はゆいいつ、この作品中で可愛げある人物かも。いるかどうかもわからないんだけどね…。わたしのなかでは、ソニックをもっと毛だらけにしたイメージです。もこもこ影男です。

三木三奈『アキちゃん』

ご無沙汰しております、りょうごくらむだです。

本日は三木三奈さんのデビュー作『アキちゃん』を読んでいきませう。

こちら、デビュー一発目でいきなり!芥川賞にノミネートされております。

それくらい面白い作品ちゅうことです。

 

文學界 (2020年5月号)

文學界 (2020年5月号)

  • 発売日: 2020/04/07
  • メディア: 雑誌
 

 新人賞受賞時の選評も読めるよ↑

 

ちなみに今回2020年7月15日発表の芥川賞にノミネートされているのは

・三木三奈『アキちゃん』→デビュー作!

・石原燃『赤い砂を蹴る』→劇作家出身、太宰治さんと関係あり

岡本学『アウア・エイジ』→架空列車の人!うわぁぁ!すごい

高山羽根子首里の馬』→カムギャザー!

・遠野遥『破局』→改良の人!宇佐見りんさんと同時受賞してらっしゃった。

の、五作です。

 

では『アキちゃん』を見てみよー。

 

あらすじ

小学生のころ、主人公には「アキちゃん」と呼ばれる大嫌いな友達がいた。主人公は「アキちゃん」からひどい扱いを受けていた。呪ってやりたかったし、じっさい、呪いまがいのことをしようとした。だがそんな「アキちゃん」が自分を好きなんじゃないかという期待と不安が頭をもたげる。主人公はある取引をもちかけ、「アキちゃん」から好きな人の名前を訊き出そうとする。

やがて主人公は転校することになり、「アキちゃん」との悪縁は切れた。

およそ十年後、大学生になってから「アキちゃん」のその後のてんまつを少しだけ知ることになる主人公は、なんともふくざつな思いを抱くのだった。

 

『アキちゃん』のめっちゃ素晴らしきポイント

1、読者の見たことのない感情、だけれど、覚えのある感情を書くのがうまい

→既視感あるけどまだ言葉になってなかったような情景があり、キュンキュン。

2、ポップンだけど軽すぎない。外はぷるぷる、中はもっちりな文章

→めちゃくちゃ読みやすい。最初のころの綿矢りさとか、野ブタをプロデュースとか、けちゃっぷ、とかを思い出した。いっきに読める。楽しい! こういう本が増えれば若いひとや子供たち(13歳~18歳)も本好きになっていくし、小説家志望も増えると思う。よき!!

3、ワードセンスがもう凄いとしかいえない

ペンネームであろう「三木三奈」という名前しかり、タイトルしかり…、みなさんお気づきと思うが、ワードセンスがすごい。とにかくキャッチーで、でも薄っぺらくないキャッチーさ。プロやで~。

 

『アキちゃん』の個人的にちょっと好きじゃないポイント

1、プロが書いた、ちょっとした作品、みたいな感じになってしまってるところがある。内容すばらしいんだけど、う~ん、もう少し書いてほしかった。面白過ぎて、先が読みたいから、そう思ったのかも。

2、途中でセクシャリティを明かす的な方法がちょっと好きじゃなかった。

『ここは退屈迎えにきて』とかでもそういう手法を使ってたことがあったような気がする(セクシャリティが意図的に隠されており、後で判明的なこと)。あのときの「んぎっ!?白目」ってなった気持ちを思い出した。同じくデビュー作で芥川賞にノミネート(受賞)された『影裏』も登場人物(主人公)セクマイだったことがだんだん判然としていくのだったと思うけど、あの隠し方(隠してない)とは違う感じがした。

3、アキちゃんは、のちに適合手術を受けたのかどうかも作中では明かされておらず、「男性的な本名を呼ばせなかったこと」「好きな人が男性だったこと」のみで、主人公はアキちゃんがトランスだと決めてかかっている。

さらに、選評者たちもそう決めてかかっている。

そこがなんだか好きくなかった。

おそらく、主人公がそう決めてかかっていることを、「主人公は思い込みにて決めてかかっております!」と表現したほうがより良い作品になっていたとはおもう。。。

(が、、まあそれはわたしの趣味嗜好なのか。脱線する。上田岳弘さんが以前、チェシルさんの新作『play human』において、主観的描写が過ぎるというようなことを言っていた。一つの個人的立場から見た主観的現実は、ときに暴力的になりすぎる。だが、上田岳弘さんはこうもおっしゃってた。自分にはそうした作品は書けないので(上田さんの作品は多声性が強い)、主観過ぎる声をかけるのがチェシルさんの強みというか魅力でもある、というようなことを。

そ~だよね。

たしかに。

でもわたしは思うのだが、カミュの異邦人とか中村文則さんの銃みたいに、「一般的に見て悪者(犯罪者)」である人の主観を書くのと、「一般的に見てまあ善者(犯罪者ではない)」の主観を書くのとはぜんぜんちゃうよね。

「一般的に見てまあ善者」である主人公の主観的世界を書くとき、やはり、気配りがなんばいも必要なんやと思うわ。まあ性格上の問題もあるけどね。やっぱ正しさを追求したくなっちゃうところがあるから。正しさなんかないのに、でもなんか、アリストテレスのいう中庸、みたいなものをずっと追い求めちゃう。人間だからさ。。。。。)

 

ここから先は読まなくてよし

 

あと、個人的にすごく思ったこと

これはいちばん思っていたことであり、強く、強く、みんなに言いたい、、誰かに言いたいと思っていたことなんだけど、言いたくなくて…その…

絶対誰にも言わないでくれ。

 

 

 

『アキちゃん』……?

え?

うわああああああああ><!!!!!

 

ってなったことのある人、わたし以外にもいるかな。

 

最近さあ…、ここだけの話、わたしア〇ちゃんに恋してる…。女王蜂の…。

ああ…言ってしまった…。もう、こんなに人を好きになったことなくて、キュートのマイミーが好きだったときも、これほどではなかって。恋…。

で、〇で隠せば同じア〇ちゃんってもう…

小鹿さんみたいな肢体って描写もう…。

 

アキちゃん、ア〇ちゃんですかね?

三木三奈さん、どうなんでしょうか……。三木三奈さん……

ネットで批判するときはまず「自分は間違っているかもしれない」と思うべし…

こんにちはりょうごくらむだです・・・

昨日からの恐ろしいニュースに涙が止まらない。22歳。猫ちゃんもいて。あぁああああ!!!!

 

テラハは見たことない。(クロちゃんのモンスターハウスでなんとなく雰囲気は知ってるつもりでいるくらい。)

見たことないけど、テラハ的なものの視聴者が批判・誹謗中傷してる感じはものすごい想像がつく。なぜならわたしはコメント欄熟読班長だから。

 

論点1、コメント欄熟読班のわてくし

YouTubeのコメント欄・Yahoo!ニュースのコメント欄が、情弱なわたしの主なコメント欄熟読処である。

コメント欄の何がおもしろいって、「世の中にはどんな人間でもいるんや」ってことが分かるところだ。

たとえば、捕鯨再開のYahoo!ニュースがあったとする。

コメント欄には、賛成する人or反対する人or中立の人がいる。

そして、賛成する人の賛成する理由にもAやBやCといったパターンがある。

反対する人の反対する理由にもDやEやFといったさまざまなパターンがあり、「みんな同じ意見」では決してない。

だからおもろいのだ。

さらに、(ここからわたしの性格のどす黒さがでてくるのだが)

コメント欄に書き込む人を、「あほやなぁ」と少し上の斜めのビルから見下ろす自分が心地よいというのもある。

なんで「あほやなぁ」なのかというと、

コメント欄激論連中は大抵の場合、反対意見を持つ者を「間違っている」と思っているからだ。

「自分は正しい。相手は間違っている」

そう思うのであれば、相手だってそう思っている。「自分は正しい。相手は間違っている」と相手はそう思っている。

さらにガチ身が加速しだすと、「自分は正しい相手は間違っている、だから相手は存在してはならない」という思考回路に陥る。

プロの批判ライター武田砂鉄さんとか、小林秀雄とか(急に時代が)と違うところはそこだ。

 

論点2、強い弱い

わたしは先日、炎上していたバイリンガールちかさんについての記事を書いた。

テラハの22歳の子のニュースを見て号泣しながら、そのことを思い出した。

長い間ブログをおさぼりしていたので、自分の書いた文章がどんなもんだったかも忘れていた。「まさかワイ………ちかさんのこと誹謗中傷するようなブログ書いてへんやろな……? もしそんなん書いてたら自己批判どころの騒ぎと違うで、、、、顔面にうんPぬりたくりレベルの自己嫌悪や!」

そんなふうに思い、自分のブログを再読。そこまでひどいことは書いてなかったように思う。自分ではそう思う。でも……どうだろうか。他者から見て絶対に「そこまでひどくない」とは限らない。

 

あのバイリンガールちかさんも、テラハの子と同様、すごく強そうに見えた。そのことがコメント欄炎上を加速させたであろうことは明らかだった。

わたしはあのコメント欄を美しいと最初思った。リスナーの人々の心のきれいさ、教養アリアリな感じがコメント欄を美麗にしていると思った。それは本心から、そう思った。

でも、それは、わたしもまた、ちかさんを激強(げきつよ)だと思っていたから…、だからそんなふうに思えるような、余裕を持てたのだと思う。

でも、心の弱さ・強さって、本当に表に出るんやろか。

わたしも、長年(32)生きてきて、相手の表情やしゃべりかた、ファッション、化粧、においなどで、相手の人となりを「だいたいわかったわ^^」と思えるようにまでなっているわけだが……、

しかしあの伊集院光さんでさえ、キンコメの件では「相手を見誤っていた」と言っていたわけだし……、

弱者には優しくしろと教えられてきたが、

「こいつはぜってー強いから叩く!」「こいつは弱いから優しくする!」

それもまた、違うんだよな。

くるりの、上海蟹食べたい♪あなたと食べたいよ♪っていう歌の中で、そういう歌詞があったよね。「見た目の強さに騙されるな、お前とおなじでみんな弱っている」みたいな歌詞がね(うろおぼえ)

 

論点3、自殺

いまはこんなハッピーなわてくしだが、何回も自殺未遂した。おもに薬と刃物。とくに18歳~22歳まではひどかった。なぜあれほどまで死を解決法と考えていたのか分からない。あまりに繊細すぎたといえば聞こえはいいのかな…。いま思えば、自律神経失調症だったこと、喫煙飲酒していたこと、幼いころから大人向け(いまでいうR15)の映画を観すぎて、死ぬしかないと思い込む系の登場人物に感情移入してきたこと……などが、原因の一環になっていたとは思う。

しかしやはり、「言葉」だったと思う。とくに交際相手からの「言葉」に傷つけられ、「こんだけ傷つけられてんのになんであたし元気に息してんだろ?」って思いで自分のからだを痛めつけてた。誰にも愛されてないと思っていた。生きる意味がないと思っていた。

 

それでも、わたしは生き残った。死ななかったのは、幸運だったことと、ご先祖様が守ってくれたというのもあると思う。でもいくらご先祖様だって、守りきれない時もあるかもしれない。(じっさいわたしのご先祖様のひとり(おじいちゃんのきょうだい)は18歳のときに自殺で亡くなっている。)

わたしは、死をたんなる物理現象とは思わない。死んで終わりという考え方はドライで涼し気だ。そのほうが楽になるという考えもあると思う。わたしも以前はそう考えていた。でもじっさいにちかしい人の死を経験し、まわりの反応や自分の心の動きなどをよく見ていくと、そうじゃないのだ、とわかる。

「あの人は死んだけど天国で楽しくやっているはずだ」とか、そんなふうに想像することには、欺瞞や偽善では片付けられない何かがあると思う。

一部にはそれは希望、

その想像力自体が、希望なのではないか。

テラハの子が、天国で最上級ハッピーに生きていることを想像したい。

いつか全人類は消滅して…

猫ちゃんとか、樹木とか、お花も、クジラも消滅して…

いつか、どこかまったくべつの素晴らしいところで最上級ハッピーな再会を果たす。

 

そんなふうに想像する、

そんで想像力をばりばり鍛えて、わるぐちいわれる相手の気持ちを悟れるようになる、

 

ああああ

うまくいえないけれど、

やっぱ、想像力だと思うんだ。

 

「自分は間違っているかもしれない」と、想像する能力が必要だ……。

そして……

 

自分と相容れない者も存在していいに決まってんだろ。おまえが存在してるのと同様さあ。もう存在してるんだからさあ!!

 

てことだ。

つまりプルーストでありカミュなのだ…

その流れを中村文則さんとかがくんでいる……

読むのだ…本を……

だがあまり刺激の強いのは…自殺未遂とかばんばんするやつは影響うけたら困るから…

なるべく18歳になってから、、、な!!

 

あと言葉は人を傷つけるってことを学ぶにもよい。

いつも、水で口を清めたみたいにきもちいい言葉でお話していたいものだ。 

バイリンガールちかさんの炎上でキットチャンネル炎上を思い出した

おはようございます、ライターのりょうごくらむだです。

 

さっそくですがユーチューバーのバイリンガールちかさんが炎上中です。

 

2020年4月4日にアップされた「色々とお知らせ!(♯887)」という動画において炎上が発生。

流れ:

1:動画の内容

マレーシア、クアルランプールにプチ移住中のちかさん一家。日本からクアルランプールに飛んだ最後は2月24日のことで、すでにコロナ心配時期だった。ちかさんのファン「ちか友」たちのあいだでは、「え?いま?」という違和感がわいたものの、静観。そんななか、マレーシアもロックダウン状態になる。観光ビザで滞在中のちかさん家族は、4月3日に日本へ帰国することを決める。が、欠航となり、4月8日に延期された。ちかさんはそのことを動画内で「お知らせ」する。また、アメリカ、シアトルにいる親御さんを日本に戻したことにも言及。そのあと、もう一つのお知らせであるオンラインオフ会などの宣伝を行う。

 

2:視聴者の反応

これを見た視聴者、とくに長年ファンだった「ちか友」と呼ばれる方々が反応。

さまざまな言葉で「STAY HOME」が叫ばれる。

「ちか友」たちは優しい感じというか、親友に助言する感じで諭していた。「心配だし、どうしてもいま帰らないといけませんか?」的な発言が多くみられた。だがここに初見さんも来て、動画内の旦那の被りものや、ちかさんの笑顔(へらへらしてるふうに見えたらしい)に関しても批判的な意見が噴き出した。

そのことにより、「ちか友」の丁寧な助言は埋もれがちになる。ファンの多少ウエットすぎるともいえる「失望しました」の声、不安感から感情的になっての「登録解除します」の声も上がる。「帰ってくるな」という激しい反応もみられた。(そんな言い方すんなよ・・・・)

 

3:バイリンガールちかさんたちの反応

4月7日、「先日の発表について自分たちの考えをお伝えします。(♯888)」をアップ。当該動画のコメント欄に傷つけられたこと、感情的になってしまったこと、温かいコメントに救われたことなどを話す。そして、自分たちが説明不足だったことを踏まえ、「なぜいま日本に帰国するか」について説明した。観光ビザで入国しているという点、そして、現地でまっとうな医療が受けられるのか分からないということ(とくに小さなお子さんがいらっしゃるので)などから、自分たち家族にベストな選択をした、ということだった。さらに帰国後は検査を受け、二週間の隔離生活を送ることにも再度言及。

「YouTube辞めようかと思った」「もう帰国することは決定」「不快に思うならチャンネル登録解除していただいたほうがいい」などと、多くの「ちか友」のぴえんを誘いそうな発言をしてしまう。(旦那さんストップかけたれよ・・・・)

 

4:再度・視聴者の反応

「ちかさん泣かないで。尊重します」「帰国の何がわるいねん!日本人なんやから帰りたいやろ!」という人情派のコメントもあるが、「否定的な意見する人はチャンネル登録解除しろって・・・・涙が出たよ!!」というコメントも多い。4月8日午後四時現在、いいねは1・5万、アカンねは1万件。1万人ほどがチャンネル登録を解除している。

 

――――りょうごくらむだはこう考えた!

 

私は平和主義者です。日和見主義者です。喧嘩を見ると泣きます。しかし「コメント欄の炎上」だけは、ものによっては大好物です。こう、調整したい気持ちになるからだと思います。

バイリンガールちかさんはアメリカからの帰国子女であり、親御さんはシアトルに住んでいるということでした。正式名称「バイリンガール英会話:Bilingirl Chika」は英語ネイティブなちかさんが英会話を教えてくれるほか、ご家族での旅行Ⅴlogなどを配信されていました。ちかさんのファンは「ちか友」と呼ばれ、企画で留学したり、顔出ししたり、いろいろコアな感じで支持していらっしゃったようです。

 

「ちか友」は、純粋に英語勉強したいっていう人が多い。基本的に、英語勉強したいってことは、各国の人とわかりあいたい、ってことだよね。

極論、「戦争なくしたい」ってことだよね。

 

 

そういう人が「ちか友」であるという性質上、このバイリンガールちかさんの動画の炎上は!!!!!!美しい!!

そうなのだ。コメントするファン人々の教養の深さ、民度の高さ、エンパシー能力の高さ……パネェのです。

炎上の炎がとてつもなく美しいので、コメント欄熟読が止まらないッ! のです。(闇落ちしてヤンキーみたいになってるファンもいるよ♪)

 

だからって、私は、コメント欄でのちかさんへの批判をゴーゴーもっとやれ!と思っているわけでは毛頭ないです。むしろ止まれ、止まれ、止まれと思っています。(じゃないと私のコメント欄熟読も止まらない。旦那のご飯が作れない)

 

グレード・ギャッツビーの冒頭にもあるように。「誰かを批判したくなったら、その人が自分ほど恵まれているわけではないことを思い出せ」です。

 

炎上の渦中にあるコメント欄の「ちか友」さん、またはライトなファンは、ちかさんがクッソ恵まれていると思っているんじゃないでしょうか。

 

あるコメントには、「やまほど金稼いで、旦那と子供もいて、子供はデイケアに預けて、あちこち遊びいって・・・・全部持っててむきぃー!」

っていう、悶えちゃうくらいの嫉妬コメントもありました。

まあ、私が思うに、子供を預けて遊びいくのはね、世界中のお母さんがそうなれば虐待とかなくなるし最高だと思うに。うにうに。

 

で、ギャッツビーなんです。

「ちかさんの苦しい気持ちもわかりますが…」というコメントはあるんだけど、

「コメントされる方の苦しい気持ちもわかりますが…」とは、ちかさんは言わないんだよね。そこがポイントだと思った。

 

今回、ウエッティーな「ちか友」さんは、他者の痛みに敏感なかたが多かった。医療従事者のかた、スーパーの店員さんなど、この時期に最上級に大変なひとたちをおもんぱかるコメントも多かった。お年寄りや赤ちゃんなど、自分の家族でなくても、身体的弱者たちをおもんぱかるコメントが多かった。慮る。慮りパワー。それが、コメント欄の人たちのアドバンテージなんやと思った。

 

いうなればちかさんは、エンパシー能力がすこし欠如しているように思った。

「他者の痛みに寄り添う」というところがなかった。

それはいま、コロナ禍で海外で子供を持つちかさんが相当に参っているということを表してもいると思う。

だってそうとう辛いよな。コロナ。グローバル時代の終焉かよって思っちゃうよな。

ちかさんの性質上、移動できなくなることへの不安も大きいだろう。辛いよなぁ。

→ってな具合に共感するやん?

でもたぶん、ちかさんはいまこれができない。「みんな辛いよな」と思えない。「自分が保ウイルス者で、誰かに感染させたら…どうしよう!」「加害者になりたくない!」

とは思えない。

「自分が被害者」なのだから、思えない。

だからウエッティーで心優しい「ちか友」に、チャンネル登録解除をすすめるという、心無い発言ができちまう。

 

タイーホ(笑いごとじゃないです)されたキットチャンネル炎上を想起

 

思えばキットチャンネル炎上の時も、こんな感じだった。「動画に有益なコメントする視聴者以外はファンじゃない、アンチ」と捉えられかねない発言をしたエイトさんに、ファンは失望した。その後のフォロー動画も、むしろファンの失望を煽るものだった。登録者たちはどんどん離れていった。チャンネル登録者数がいっぱい減った。でもその後、増えたんだよね。増えて増えて増えて……そして、エイトさんの相方であるカナタさんへの暴力・虐待が明るみに出て、終了。

 

今回、バイリンガールちかさんの炎上を見ていて、キットチャンネルの炎上動画がなつかしく思い出された。

似ているところは、共感能力の欠如を感じさせる雰囲気。

そして、配信者がペアであり、その一方の人間が、ほとんど自分の意見を持っていないらしいこと。

 

キットチャンネルの炎上動画では、エイトさんと共にカナタさんも一緒に出ていた。そして、エイトさんの言うことに、カナタさんがうなずく、という図式だった。

カナタさんはエイトさんに異見を唱えることはなかった。イエスマンだった。背中を押していた。支えていた。間違っている人間に対して、「あなたは間違っていない」と言いつづけた。

現在、「元女子」という言葉で自分を縛らず、かなたいむ。というゆるゆるだが高クオリティな動画を配信するようになったカナタさん。

キットチャンネルとして活動中は、じつはエイトさんに監禁され、動画編集能力を馬鹿にされ、「おまえは一人じゃなにもできない」と暴言を吐かれつづけ、洗脳されていたという。収益のほとんどを渡されないという経済的DVのほか、エイトさんの許可なしには外にも出られなかったという壮絶な虐待のすえ、全治2週間のけがを負った。逃げることができたカナタさんは勇気あるすばらしい人だと思う。

(まじで思うのだが、DV被害者や、セクハラ被害者は、逃げる姿を見せることが、他の多くのプレ泣き寝入り被害者を助けることになるのだ。)

 

仕事でも恋愛でも、パートナーが間違った道を選択しそうになったとき、「他者代表」として異見を唱えることはとても大事だ。

それをせずに、むしろパートナーの暴走を助長してしまう……、

それが、カナタさんやバイリンガールちかさんの旦那さんなどの「優しい人」の欠点であると思う。

 

もちろん、DV被害者は悪くない。モラハラされて、「あなたが100%悪いにきまってる」「世界中の人があなたをポンコツだと思っている」と言われて洗脳されてる被害者たちには、「あなたは悪くない」「あなたはポンコツじゃない」と言いたい。100%、加害者がわりぃんだ。

 

でも、優しすぎて、遠慮深すぎて、相手を助長させる可能性もあるのだ、ということを分かっていれば、自分自身も楽になるのではないか。

 

自分と異なる意見を持つ「他者」を失ってはならない。

 

成長が止まる。

 

大好きな相手にとって、いつでも「他者」であることを恐れない。

 

で、私がバイリンガールちかさんの動画のコメント欄に張り付いてる人や、むかむかして悲しくてたまらん。。大好きだったちかさんが虚像だったと分かってショックで、どこにも心の置き場がない…、という人に言いたいのは!!!

 

明るいほうに目を向けようぜっ!

本を読もうぜ!

最近会ってなかった友達にラインしようぜ!

 

本を読もうぜ!

 

 

グランド・フィナーレ (講談社文庫)

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  • 作者:阿部 和重
  • 発売日: 2007/07/14
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 小児性愛者という驚きの他者

あべあべあべ~

 

手洗い、うがい、しっかりな!

手洗いは30秒ちゃんとやるように!

ハンドクリームぬって!

早寝早起きするんだぞ!