卵巣チョコレート嚢胞(子宮内膜症)と子宮筋腫の手術をしたYO
6泊7日入院で手術してまいりました!卵巣チョコレート嚢胞と子宮筋腫(4センチ)の手術でございます。
手術しなきゃかも・・ってことを告げられたとき、悩みに悩みまして、たくさんの方のブログを参考にさせていただき、とても心強かったので、わたしも経験を書いておこう!!だれかが参考にしてくだされば嬉しい!ということで書きます。
手術にかかる時間
わたしの場合、筋腫4センチと比較的ちいさめだったので、手術にかかったのは2時間30分でした。3時間30分かかるかもといわれていましたが、癒着もなかったため縮んだようです。
麻酔のこと
全身麻酔後、気持ち悪くなるかたがいらっしゃいますが、わたしはそこまでひどくなかったです。看護師の知人によれば、煙草をやめてたおかげじゃあるまいか?とのこと。ぜひ煙草をやめてから手術されるのをオススメします。でもそうだ、わたしの知人女性は煙草もすわない健康体だったけど、麻酔手術後ずーっと頭が痛かったんだって><。
こればかりは人によるのかもしれないです。
入院生活について
それまでの生活があまりに不規則で不摂生だったわたくし。寝るのも2時3時、起きるの12時みたいな感じでした。それが入院すると以下のスケジュールに。
朝6時起床
7時30分にあさめし
午前診察
12時おひるごはん
午後 ガラス越しに太陽光を浴びる、本を読む、病棟内を歩いてみる
18時よるごはん
22時消灯 ねる
みたいな感じで、超健康生活です。しかも、ごはんうまし!!!最高のごはん!!(全国にたくさんある済生会系の病院でした)
看護師さん、お医者さんが優しい
あーほんとに優しかった。看護師さん、とくに助産師さんたち(病棟では帝王切開の出産者さんたちも入院中)の切れのよさと、たくましさと、ただならぬキラキラオーラ!人間っていいなぁ!!と久しぶりに体感するわたくしであった。お医者さんもかっこいい!素敵な仕事だなあ・・・と尊敬のまなざしです。本当にありがたいことです。ありがとう。泣
シャワーとドライヤー
ありました。シャワーの水圧が神!!! あと、ドライヤーあるか心配なかたは病院に問い合わせてみてね。たぶん貸出があるはず。わたしのところは簡単に借りれました。
たまに赤子が見れるぞい
帝王切開のかたが入院されているので(病院による)、運が良ければぴちぴちの赤ちゃんが見られます。ほんわ~かうふうふ。ただしあまりじろじろ見てはいけません。失礼ですよ。わたしは見ていましたが・・・
痛み
すんげー痛い! 夜中とか痛すぎて、「ううう」ってなって、ここは野戦病院かな?って感じ(笑)
でも、痛いからこそ、日に日に治癒していくのが自分でよくわかり、ホッとします。自分の身体ってだいじやわー!って実感します。あのさ、ワンピースのドクタークレハが治療した子供とかに「ハッピーかい?」って聞くやん? あの感じです。ハッピーです。
と、そんな感じのハッピー入院生活でした。不安に思っているかたがいらっしゃったら、大丈夫だよ!と言いたかった。
いや、人によって病状も違うので、そんな無責任なことはいえませんけれども、でも、心安らかに、できるだけ明るいほうに目を向けていれば、みんな優しいから。大丈夫!
現在はホルモン調整して治療中
現在わたしはディナゲストというホルモン調整の薬を毎日服用してます。内膜症予防のために、エストロゲン多量なところをプロゲステロン増量にて抑制しているかんじです。理論上、生理をとめてる状態といえます。でも、生理が毎日あるみたいな出血エブリデイ!!!!
で、以前のわたくしだったらこのディナゲストさんのことを血眼でググりにググって、きっとものすごいネガティブな情報を見つけて落ち込んだりしていたと思います。
わたし本当にネガティブっていうか、考えることが好きなんですよ。悲しいこととか
世の中の苦しみとかに、がっつり組みあって、頭働かせるのが好きなんです。でも、今回ばっかりはそうはいかねえ!! ハッピーなほうに頭を向けないと、わたしゃ、半年もつづくこの治療に耐えられるきがしねえんだっ。
だからね、さいきんはもう、仕事にうちこんで(在宅)、がっつりと、幸せな妄想とかして、おいしいもの食べて、夜早く寝て、っていう生活をしております。
たくさんの人に助けられました。
あなたもきっと助けてもらえます。だから、今回ばっかりは、みんな、あんまり病状をググりすぎずに、お医者さんにゆだねてみることも大事!!
あとね、わたしは知人女性がチョコレート嚢胞の手術経験者だったため、話を聞いておきました。その女性は手術後に妊娠されていましたので、なんだか安心でした。
女性系の病気は、周囲にけっこう経験者がいるものです。
子宮筋腫も、多くのかたが持っています。不正出血してらっしゃる女性も多いです。
だから話を聞いてみるのもいいかもしれませぬ!
お金について(手術費用と高額医療費制度)
あっそうだ!
費用費用! 費用は298,000円くらいでした!!!ディナゲスト1か月分いれてね。
そんで高額医療費制度を利用すれば8万円~10万円くらいで済むかんじです。病院の人も教えてくれるだろうとは思います。
この高度医療費制度を利用するにあたって、1か月ごとに締め切りがある感じなんです。だから、入院するなら月初からが安心!ってことになります。たとえば1月末に手術して2月1日も入院してるってなったら損しちゃうかもしれへん、って感じです。
このへんも、病院の相談窓口とかで教えてくれると思いますので、ぜひぜひ勇気をふりしぼって訊いてみてください。
それでは、何かしら参考になることがあれば嬉しいです。りょうごくらむだでした!
おまけ
持っていった本
魔の山(病院だもの!)
硝子戸のうち(夏目漱石大先生愛してる。ありがとう)
金閣寺(通院本だったので持っていったが、気が滅入りそうなので(笑)読んでない )
ほぼ魔の山と硝子戸のうちを読んでいた。おかげでさびしくなかった。
お見舞いにもらった本
お見舞いにもらった本はソッコーで読み終えました。ありがたい!
絶唱 湊かなえさん(2019女性に売れた新潮文庫1位!さすがの読みやすさ)
病院にあった本
窓際のトットちゃん(黒柳さーん! 号泣した! さすがの大傑作です)
ふくろうの図鑑
雪の結晶の本
本たちよありがとう。ILOVEYOU!!!!!
かっこいい車と迷いのない人生
こんにちは。ライターのりょうごくです。今日はリチャード・ドーキンス『利己的な遺伝子』から多大なる慰めを頂戴しましょう。ドーキンスによれば、人間は遺伝子を乗せた乗り物です。ぶーんぶーん。ぶーんぶーん(私のなかで物議をかもした小倉優子のCM)
- 作者: リチャード・ドーキンス,日高敏隆,岸由二,羽田節子,垂水雄二
- 出版社/メーカー: 紀伊國屋書店
- 発売日: 2006/05/01
- メディア: 単行本
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突然ですが私は不妊症です。不妊症っていうと言葉が強すぎるけれど、じっさい、現在の医学界での定義が「不妊症=1年以上、こどもができかねない行為をしているのに妊娠していない」なので結構、すぐ不妊症呼ばわりされる感じなのですよね。
もっと可愛い言い方がほしいよね。ルルベ・シンドロームとかどうだろう。ルルベはクラシック・バレエのポーズの一種です。似てないかい、子宮と卵管に。誰か共感してくれないかい?
私は結婚して10年。なので定義からすると超絶不妊症ということになります。
25歳のとき1度妊娠したのですが、流産してしまいました。なぜ妊娠できたのかは、まったくわかりません。謎。奇跡だったな~という感じです。
独身の親友と遊びまくったり、ばりばり仕事をして馬車馬になったりしている間に、時は過ぎていきました。
そんで、現在31歳です。原因不明の不妊症は引き続いています。
もうめんどくさいからさくっと体外受精しよっ☆って、決めまして、検査受けたりしていたのですが、
やはり私には体外受精は無理そうだな~と思いはじめました。そこに向かう熱量が足りない。
あと、「自然」へのあこがれが強すぎる。そんなもの、フィクションなんだから自然なんて、くそみたいなあこがれは棄てればいい。でも無理なんですよね。
夫のお母さん、お父さんに申し訳ないから頑張らなきゃ…無理なら離婚しなきゃ…と悩んでたのですが、でもね、たぶん、不妊症って、仕方ないことですよね。
遺伝子が先祖代々の身体を乗り物にして、ずーっと運ばれてきたわけですやん。その運搬途中でなんらかのミステイクがあったから、私と夫の代ではこどもができなかった。それだけのことなんちゃうかと。
私のせいじゃないじゃんと。言うたら親戚みんなで背負ってるんだよな。二百年以上前からずーっとずーっとつづいてる。
こどもを産むことは、そんなふうに、業を増やすことでもあるんですよね。
ま、頭をつかって考えても、こればかりはしゃあないよね。
ただ、このまま夫と人生を歩んでいく――こどもなしで――と思うと、なんだかいっきにこの結婚生活が、みょうちきりんなものに思えてきて。夫のことは面白い人だと思うし、ずっと友達だったし、よいパートナーだったけれど。でもなんだかんだ、こどもできない罪悪感は根深い。そうした重い考えから自由になって、別の生活を営んでいきたいとも思う。
ま、私がここであーだこーだ言ったところで、物事は何も変わらない。
何かを言われたり、言ったりすることで、真実が変わってしまう、と思い込んでしまうところに人間の不幸があるんだよ、とドーキンスは言ってたよ。(探したがその箇所みつからず)
四十億年前BAR
人間を作ろうと思ったら、宇宙の全時代が一瞬に思えるほど長い期間、生化学のカクテルシェーカーを振らねばなるまいが、それでも成功しないであろう。
生きる意味と科学について。
おそらく、宇宙の究極的な運命には目的など実際に存在しないだろうが、われわれのなかで誰であれ、人生の希望を宇宙の究極的な運命に託す人間など本当にいるだろうか。(中略)われわれの生活を支配しているのが、もっと身近で、温かく、人間的な、ありとあらゆる種類の野心や知覚である。人生を生きるに値するものにしている温かさを、科学が奪いとると言って非難するのは、途方もなく馬鹿げたまちがいであり、私自身や大部分の現役の科学者の感覚とまるで正反対なものである。(リチャード・ドーキンス『利己的な遺伝子〈増補新装版〉』より)
頭で考えすぎちゃうゾ☆
kemioの本『ウチら棺桶まで永遠のランウェイ』は、全ページにツキが宿る良書
こんにちは、ライターのりょうごくらむだです。今回はYouTubeで人気を博したアメリカ在住のアーティストkemioさんによる書籍『ウチら棺桶まで永遠のランウェイ』についての感想を述べますぞ。
なんでアーティスト。私にとって表現者はアーティだからだよ
kemioとは?(知らないひとのために)
1995年生まれのタレント/youtuber/モデル。動画配信アプリvineから火がつき中高生の人気者になった。フォロワーがいっぱいいてそのわりにアンチは少なめという稀有な存在。楽曲を出したり、今回のように本を出したりとマルチに活躍中である。2016年に単身渡米、現在はアメリカの事務所に所属している。2018年の中・高校生の流行語となった「あげみざわ」「泣いたー」の発信源。独創的な言葉遣い、意外な礼儀正しさ、「口から文化祭」なる早口オノマトペがYouTube視聴者を楽しませている。
全4章!kemioの半生と、生きるヒント
『ウチら棺桶まで永遠のランウェイ』は、全4章からなる回想録である。
第1章ではkemioの幼少期から渡米までを振り返る。悲しかったこと、嬉しかったこと、親友のナディヤちゃんのことなどをめぐり、考えてきたことや気づいたことを述懐している。「みんなをハピネスにしたい」という決して変わらなかった気持ちと、オーディションに落選しつづけるなかで見つけた、ひょんなきっかけ。また、いままで公表していなかった、ある事務所に参加していた件などが記される。軸ブレしない頑なさと、その真逆の柔軟さがすんなり同居している、kemioの人間性のバランスの良さが垣間見える。
第2章では、人間関係の光と影について書かれている。対人ストレスの対処法や、「嫌い」という感情の魔術的側面について語られる。ここからお悩み相談室的な向きもあるので、悩むことが多い人々の助けになりそう。kemioは綴る。
「気にしいの人が多い世の中、マウンティングだとかすぐ言われちゃう世の中、どう取られるか考えすぎたら何もできないんだよね。(p101)」
お金のない若い子が気軽に楽しめるブログ記事やウェブコラム。そうしたものには閲覧数を集めやすいものが書かれがちである。閲覧数を集めやすいものとはなにかというと、意外にも不安感を煽るものだったりする。みんな嫌われたくないし、傷つけたくないし、傷つきたくないのだ。そうした、いわば安い記事にとらわれると、身動きが取れなくなるのではないか。その場合どうすればいいのか。kemioの経験からいって、実際に自分がおかしな言動をしているときには、友達が注意してくれるという。だから信用できる友達の前では子供のように素直になって、自分をさらしてみることも大事なのではないか。なんとも等身大でやわらかな意見である。
「自分の人生は自分のもの。(中略)誰かの反応だけを求めて頑張ってるんだったら、それはもう人生じゃなくて演劇活動よ(p86)」
第3章は恋愛編。いままで公表していなかった自身のセクシュアリティについても書いている。書く決断をした理由に感動してしまった。kemioはほんとうにみんなをハピネスにしたいんだね、すごいよ、と頭が下がった。また、あまり経験がないとしながらも、性/恋愛対象とのフィジカル/メンタルな関係について語っている。「出会って1回目で実技試験しちゃった人とは恋愛ジャンルでの実験失敗(p139)」であり、いきなりやってしまうと「消えてしまうリスペクトもある」という。それな…。
第4章では、選挙やジェンダーについて触れながら、現実への対処方法や「病む」ことについて書いている。才能ないから・・・と悩んでる人へ向けて、「やる前ってやめどきじゃなくない? p158」と言うkemio。前に進めないけどもがいている人の背中を押してくれる、ハッピーなだけじゃない強いメッセージがある。
文芸書として評価は見送る、still、彼の日本語は面白い
本書は全編、オリジナリティたっぷりの口語で貫かれている。リズムがあり、響きが面白いその口調は、まさにyoutubeで視聴するkemioそのものといった感がある。だが不思議と、距離を感じてしまうのは、私がバス金ロビンス※1だからだろうか? いやべつにおばさんになったわーとかじゃなく、同時代性に欠ける読者という意味でである。町田康や初期の川上未映子、綿矢りさなど、独創的な口語体で書かれたものは多々あるが、エッセイにしてもフィクションにしても、それらは本来、読者と著者とのあいだの距離をぎゅっと縮めるものではなかろうか。kemioの場合そうはいかなかった。おそらくYouTubeのkemioと文章のkemioが一致しすぎているからだろう。ふつう文章を書くとき、ひとは構えてしまうものだ。kemioさんにはそれがない。逆に、ってことだろう。逆に、作家じゃないからこそ、構えがなく、だから呪術的効果も起こっていない。わるいことではない。しかし世の作家の文章って、どんだけビシッとよそゆき風でも、なぜかその行間に皮膚感がただよっているものなのだなぁと思う。肉薄、しちゃう、そこが純文の好さみである。よさみぃぃぃーーーーー!!
ともあれ、kemioの書いた文章は、彼のおしゃべりと同様に面白い。 「必要性にしびれたら、人ってやるものだもん(p163)」など、彼だからこそ出てくる表現がそこここに見られる。コアなファンにとってはもちろん必携の書であるし、私のようなライトだけど応援してますよー的な層にとってもまた良書である。なにより、この本、ハピネスオーラがやばい。占い本のように、えいやっと開いたところの文章が今日のワンポイントアドバイス!みたいな感じで活用することもできそうだ。
ちなstillってアメリカ英語だし口語でしか使わないらしい。さげみーーーーみーーーー(でっかい声で言ってみたいバス金ロビンス)
とにかくさらっと読めて、ばしっと元気になって、なんでもできちゃいそうな気がする。kemioパワーですね(洗脳)
※1 31アイスクリームの正式名。転じて、31歳であること
アマゾンアソシエイトプログラムに入っています。これをぽちっとして買うと、りょうごくらむだに微々たるポイントが入ります。それが積み重なってギフト券となる日もくるのでしょうか…。アフィリエイトってむずみざわ。。
cocoちゃんの東京
銀杏BOYZの「東京」が、youtuberのcocoちゃん(hotco co.a)のVlogタイトルになってたよ。出会えた喜びはいつも一瞬なのに、どうして別れの悲しみは永遠なの。ギターの弦を変えてすぐ歌いだしたcocoちゃんの東京、なんだか涙がでたよ。いろんなことを思い出した。アメリカのママが歌う東京。いつも彼女のは日本文学みたいなVlog。
好きなチャンネルなんだけど、さいきんコメント欄が閉じられていて、読めないのが残念。たしかGoogleのペド対策で、こどもさんが出ているものやそれに対するコメントがあるチャンネルはコメント欄閉鎖されるらしいね。申請しないと再開できないとか。
蹴っ飛ばされて転がって疲れた
♪
最近どうしようもなく、このせかいが怖い。わかりあいたい、裁きたくない、だけど、まもりたいもののために、闘わないといけない場面がある、だけどまもりたくない、そんなまもるなんてエゴは捨てたい、欺瞞はいやだ、でも欺瞞がなければ生きていけない
怒鳴って
お花でしきつめて
あーあ……、世の中がすこしでもよくなるように。みんなの心がやすらぎますように。
頑張ろうね。
わがしchannel♡祝1万人/1999年『スプートニクの恋人』
わがしchannelさんチャンネル登録者数1万人!おめでたい~!(><。)
このまますぐ3万、5万といわず10万人いくと思います。
そして彼女たちは日本を変えると、私、確信しております。
(Twitterのファンアート描いてるかたの絵がめちゃいいんよね~。きっと、わがしchannelのファンはみんないい人。わがしファンにわるいやつはおらんのや…!)
☆☆
きのう1999年に書かれた小説を調べていたさい村春さんの『スプートニクの恋人』が挙がったので本棚を開けてひさびさひもといてみた。
もうひっさびさの久々村春作品だったんやけど、こんなに1行開けあった!?ってくらい1行開けのオンパレード(っていう表現をするとまるで揶揄だがそんな邪鬼な気持ちじゃない)である。何年か前の「文藝」で山田詠美と星野智幸の対談があってね、山田詠美が「むやみに行開けすんな馬鹿」っていつものクールさ満点で言ってたのね。それでわれわれ素人文芸ガチ勢は「むやみだり1行開けはダメ!」って自分に言い聞かせるようになったよエンターボタン。が、村春さん、こんだけ行間あけまくりでも読者を集中させられるのって逆にすごない? てかガチ勢じゃない人にも明らかに読みやすいよね、行開けしてあると、区切りがあって気分もすっきり、ぷちぷちをつぶしたような気持ちになれそうだよね。
『スプートニクの恋人』は、22歳の小説家志望女子が39歳の既婚女性に恋するお話である。えもーしょーーーーーえもーしょなりずみぃぃーー
「レズビアンの女性は生まれつき、耳の中のある骨のかたちが普通の女性のそれとは決定的に違っているんだって。なんとかいうややこしい名前の小さな骨。つまりレズビアンというのは後天的な傾向ではなく、遺伝的な資質だということよね。アメリカの医者がそれを発見したの。彼がどんないきさつでそんなことを研究しようと思いたったのか見当もつかないけれど、いずれにせよそれ以来わたしは、その耳の奥のろくでもない骨のことが気になってしかたないのよ。わたしのその骨はいったいどんな形をしているんだろうかって」
(中略)
ぼくは言った、「ミュウにたいして君が感じているのが性欲であることは間違いないんだね?」
「100%間違いないと思う」とすみれは言った。「彼女の前に出ると、その耳の中の骨がからからと音を立てるの。薄い貝殻でできた風鈴みたいに。そしてわたしは強く彼女に抱きしめられたいと望む。すべてをまかせてしまいたいと思う。もしそれが性欲じゃないと言うのなら、わたしの血管を流れているのはトマト・ジュースよ」
(村上春樹『スプートニクの恋人』1999年4月20日刊行 講談社文庫より引用)
忘れたらいかんのが、これが1999年の春に出た作品だということ。まだユーロが導入されたてほやほやの年といったらだいぶ昔やなあという気がしてくるはず。ポリコレスティックで大々的に叩かれることもなかっただろう。主人公すみれがレズビアンである自分を「普通の女性ではない」と捉えているように見えかねない部分が少しいやなかんじなのだがね。ネット上でもよく異性愛者の人が、ゲイと自分を比べたときに自分を「ノーマル」と表現することがあって、あああと思うんや。人って自分を〈普通ー標準ー平均〉って思いたがるものなのだろうか? やはり自分を基準にして世界を見るのはあたりまえのことなのだなと思わされる。そしてそれは悪いことではないんだろうね、だってとても野性的な視点じゃんね、自分を基準とするのって。知性を総動員すれば、他者的視点を手に入れられるけど、それは人間至上主義的なやりかたにすぎないし、むしろ世界をぶっこわすためのツールでしかないのかもしれないよね。
ぐるぐるぐるぐるやね。
まあでもポリコレ的には「ノーマル」って、他者を「アブノーマル」にしてしまうものだから、なんだかなぁと思う。てか、自分からみた他者がアブノーマルだとしても、けっきょく他者がおのれをノーマルに据えたとき、その他者から見た自分のほうがアブノーマルになってしまうわけだから…ぐるぐるぐるぐるやろ?
めぐるねんから…。だめよ…やっぱり。わたしもあのこもふつうかつとくべつなのよ。
てかでもさ、「恋愛=性欲」って思ってるひとって多いのかな。
もしミュウに対して抱いている感情が性欲に関連していないのなら自分の血はトマトジュースだというのはどういう意味なんかね。
たぶん村春としては、耳の骨=海綿体みたいな捉え方してるよねこれ。男子女子ともに膨張する海綿体、だけど村春さんはたぶん女子に海綿体はないと思っているんちゃうかな。だからこの〈耳の骨=海綿体=男の充血器官〉みたいなかんじよね。それを裏付けるように、トマトジュースつまり野菜(果実だけどね)つまり植物つまり草食系という連想が成り立っちゃうわよね。アメリカ文学では草食系女子のことを植物にたとえることがあるしたぶんこの連想はまちがってないとおもふのよね。1999年には詩的だったこのシーンもいま読むとこのように野暮な指摘がはいるわよね。しかもミュウっていうバイのセクシー女優さんの実在を知ったきょうこのごろ、よけい気が散るそれは読者がわるい。
しかし私ね、さいきん白髪をいくつも発見しておちこんでたのよ。このつらみをLINEの一言ステータスメッセージにて伝えたいの。でも「私は白髪人間だ」だと直接的でイタいかなってことで代名詞を使おうとおもうんだけど、免色さんとミュウとどっちを採用すべきだと思いますかアンケートです。
きょうもがんばろー!
わがしchannelさん
きゃわいい……美人……癒し…しゃれおつ…笑い……すべての幸福の生みの親……
マジおすすめだから…。
森鴎外『普請中』ストーリーと解説と感想
りょうごくらむだです。
今日は森鴎外『普請中』について書きますです。初出は1910年6月(明治43年)「三田文学」ですね。日露戦争の5年後、韓国併合したころに書かれています。梶井基次郎がこのとき9歳かぁ~。ちなみに2年後にはドイツのトーマス・マンがサナトリウムにお見舞いにいって『魔の山』の着想を得ています。そんな感じの当時、日本じゃぱんで森鴎外はなにを考えていたのでしょうか。邪推しちゃいましょー!
森鴎外『普請中』
登場人物
ストーリー(鴎外さん、意訳させていただきます)
解説註釈☆読むとき参考になるといいな。
感想
わがしchannel と、自分語り(をいやがるひとの生き/息苦しみ)
YouTubeのはなしです。最近さ、「わがしchannel」というカップルチャンネルにすごくすごくブログのテーマにするくらいはまっているの。もうやばいの中毒なの。(なんか依存症という表現に置き換わって以来、「中毒」という言葉が可愛くみえてくるから不思議だよね。)
「わがしchannel」は2019年1月16日に開設され、たちまちチャンネル登録者5000人を突破したレズビアンカップルチャンネルだ。開設から1か月少し経った現在では8500人以上のチャンネル登録者がいて、おそらくすぐに1万人を突破し、半年以内に3万人くらいいくんちゃうかと思われるようなすごいチャンネルなのである。
ああああああああ可愛いいいいいいいい
向かって右のにゃんかわ美人さんがKanaさん、左のわんかわ美人さんがMikiさん、である。交際3年の彼女たちは現在同棲しており、4月からはハワイに移住されるそう。
現在、デート動画やバレンタイン企画動画、モーニングルーティンなど10点ほどの動画がアップされており、中毒者の私はそれらを朝昼晩の飯時または執筆につかれたときなどに見まくっているのだが、とにかく25歳~にしては尋常ならざる落着いた雰囲気のお2人で視聴者をふにゃふにゃになるまで癒してくれるのである。
今回は動画のみの少ない情報で「わがしchannel」の魅力を語るとともに自分語りを隙あらばというかほぼ自分語りをしたいだけだ(YouTubeとか漫画アプリとかのコメ欄で「自分語り乙」という紋切型批判をよく目にする。どんんんんだけ生き苦しくしたいの世の中を!? って慄いたけど、「場所わきまえろ」みたいな、TPOの問題をすごく気にする人もいるのだなと思い、そうしたコメントをする人たちのほうがよほど生き苦しいのかもしれない…、なんて想像します)。
まあというか私はYouTubeのコメントできる機能を持ってない(どうやってやるのか調べる気力がない)からここに書かせていただくんす、って感じっす。
あのさ…、もうさ…、kanaちゃんとmikiちゃんのラブラブっぷりをみているとさ、自分がどれだけ彼女にたいして駄目人間だったかがわかるよね。mikiちゃんみたいに包容力あるやわらか~ひ女を目指してたんだけど心のなかでは真っ黒っていうか。そこも好き
って言ってくれたのにそれすら信じられないという、まじでひどい幼稚な餓鬼そのものでぶかぶかの服だよ包容力キャラなんぞ。
いま同性婚の法整備を求めて訴訟がはじまっている。勝訴すれば世界はより平等になり、正しさを増すだろう。
私はこの件を100%支持してるし、署名もしたよ。
だけど私と彼女の関係は、法の抜け穴…つまり同性間は結婚できない、ということから、不倫関係ではなかった、といえる感じだったんだよね。私はポリアモリーになろうと思って、夫にも彼女のことを話していた。夫は私に、女となら性的行為をしても構わないと言っていた。だけど私はやはりポリアモリーではぜんぜんなく、彼女のことを想うだけで、悪いことをしている気持ちというのがいつもあって、性的行為をするところまで踏み切れなかったし、いつも最悪な気分で、自信が持てなかった。彼女はゲイじゃないんだよね。バイですらない。あなただから好きになったと言っていた。それすら嫌だったの。ゲイであってほしかったんだ。なぜなら彼女が完全にヘテロならいつかは離れていくのではないか、という気がしたから。
まあ腹を割って話せなかったことがいちばん大きいと思う。もっと私の思想を塗り込んで、私色に染めちゃえばよかったななんて思う。LGBTQについての考えも彼女と私じゃぜんぜん違うかってんもん。彼女にとってはLGBTQなんてなくて、その認識は江戸時代にザビをぶちぎれさせた「衆道」とか大正時代の「百合」とかの世界観といえばいいかな。
そうそう、よくLGBTの話になると日本は硬いうんぬんいうコメントを見かけるけど、ちがうでってはなしなんだよね。もともとLGBTQは欧米の同性愛排斥の反省・反動から生まれたものだよね。フェミニズムもそうだけど、もともとヤベエ差別があったからこそ反骨精神がにょきにょき生えてフェミニズム運動だのLGBT運動だのがはじまったんや。(合理主義もマジカルな暗黒時代があったからこそのものやし)
日本は男同士のいちゃらぶにも女同士の性愛にも寛容だった(1500-1880ごろ)。女の権利はなかったけど、1人で出かけることができるし、家の財布握れるし、離婚もできたから(庶民はね)反骨精神がかきたてられるほどの弾圧を受けてはいなかった、というかんじだとおもう。だっていくら国家に洗脳されていたとしても、やはりアナーキーな感じで立ち向かっていく人は出てくるものじゃん。そういうんが一個もないから、妥協できるレベルだったともいえるのかもしれない。もちろん辛苦は計り知れないし、当時の国家(いや、国家ってのは近代的すぎて語彙が違う気がするけど)のやりかたが正しいとも思わないけどね。
でも寛容だったんよ、ただそれが近代的な愛じゃなかっただけ。近代的な愛って、つまり「西洋的=キリスト教的」な愛、ってことやからにゃ…。いまでいうと「プロテスタント的な愛」って感じかなぁ。シンプル十字架のもとで誓う系の愛を、みんな、愛って呼ぶやろ。
西洋が持ち込むまでは、愛というより、情愛だったんよね。江戸っこ的な情愛。野暮はいうなしゃあなし一緒にいるでぃてきなラブ。π的にわりきれないラブ。ドビュッシーとピエール・ルイスの愛。適量でどうでもいい愛。ただ雪が降ったことを報告したい愛の情の愛の。
だから、日本は硬い、は間違い。日本はやらかいよ、ただ、現代の日本人の愛観念に合う制度はもうアメリカから持ってくるしかないってだけ。それはもう戦後からそうだったんちゃうかな。だからとっとと同性間で結婚できるようにして、あいまいな部分をなくして、同性不倫をぶったたきましょ~って感じすかね……泣。こわひ。まあ私はけっこうガチガチのアダム・スミス系モラリストだから、けっきょく、法があってもなくても似たようなもの。自分をルールに縛り付けて「彼女を大切にする」っていう一番大事なことができんかったんだから。ああ塞翁が馬。einmal ist keinmal。っていってわたっていくしかない鴨川。さいごはじぶん。訴訟を起こした人々は本当にすごいな。
あぎゃっ!そうだ。
このなかでフラ語について話してる部分があってねー! ちょとつっこみたかったの。フランス語のHは発音しないの!
kanaちゃんが言ってるのは、たぶんRの発音。
舌を口蓋奥上につけて、ふごーってかんじに発する音ね。
でも笑う=rireだから、あるいみ「RRR=(ふぎふぎふごふご!的発音)」なのかなー。知ってるフランス人でRRRって笑うひと一人もおらんけど(笑)
孤独やな。
(笑)←孤独感を倍増させる記号やな…。
YouTubeの動画についてブログでコメント…。
孤独や…。
がんばろ…。
さいきん仕事がもらえず喉が渇く日々……。がんばろ…。みんなもファイトですじゃ。とりあえずわがしchannelめっちゃオススメだから…。笑いとお洒落と愛とラブが詰まっているから見てね。