かっこいい車と迷いのない人生
こんにちは。ライターのりょうごくです。今日はリチャード・ドーキンス『利己的な遺伝子』から多大なる慰めを頂戴しましょう。ドーキンスによれば、人間は遺伝子を乗せた乗り物です。ぶーんぶーん。ぶーんぶーん(私のなかで物議をかもした小倉優子のCM)
- 作者: リチャード・ドーキンス,日高敏隆,岸由二,羽田節子,垂水雄二
- 出版社/メーカー: 紀伊國屋書店
- 発売日: 2006/05/01
- メディア: 単行本
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突然ですが私は不妊症です。不妊症っていうと言葉が強すぎるけれど、じっさい、現在の医学界での定義が「不妊症=1年以上、こどもができかねない行為をしているのに妊娠していない」なので結構、すぐ不妊症呼ばわりされる感じなのですよね。
もっと可愛い言い方がほしいよね。ルルベ・シンドロームとかどうだろう。ルルベはクラシック・バレエのポーズの一種です。似てないかい、子宮と卵管に。誰か共感してくれないかい?
私は結婚して10年。なので定義からすると超絶不妊症ということになります。
25歳のとき1度妊娠したのですが、流産してしまいました。なぜ妊娠できたのかは、まったくわかりません。謎。奇跡だったな~という感じです。
独身の親友と遊びまくったり、ばりばり仕事をして馬車馬になったりしている間に、時は過ぎていきました。
そんで、現在31歳です。原因不明の不妊症は引き続いています。
もうめんどくさいからさくっと体外受精しよっ☆って、決めまして、検査受けたりしていたのですが、
やはり私には体外受精は無理そうだな~と思いはじめました。そこに向かう熱量が足りない。
あと、「自然」へのあこがれが強すぎる。そんなもの、フィクションなんだから自然なんて、くそみたいなあこがれは棄てればいい。でも無理なんですよね。
夫のお母さん、お父さんに申し訳ないから頑張らなきゃ…無理なら離婚しなきゃ…と悩んでたのですが、でもね、たぶん、不妊症って、仕方ないことですよね。
遺伝子が先祖代々の身体を乗り物にして、ずーっと運ばれてきたわけですやん。その運搬途中でなんらかのミステイクがあったから、私と夫の代ではこどもができなかった。それだけのことなんちゃうかと。
私のせいじゃないじゃんと。言うたら親戚みんなで背負ってるんだよな。二百年以上前からずーっとずーっとつづいてる。
こどもを産むことは、そんなふうに、業を増やすことでもあるんですよね。
ま、頭をつかって考えても、こればかりはしゃあないよね。
ただ、このまま夫と人生を歩んでいく――こどもなしで――と思うと、なんだかいっきにこの結婚生活が、みょうちきりんなものに思えてきて。夫のことは面白い人だと思うし、ずっと友達だったし、よいパートナーだったけれど。でもなんだかんだ、こどもできない罪悪感は根深い。そうした重い考えから自由になって、別の生活を営んでいきたいとも思う。
ま、私がここであーだこーだ言ったところで、物事は何も変わらない。
何かを言われたり、言ったりすることで、真実が変わってしまう、と思い込んでしまうところに人間の不幸があるんだよ、とドーキンスは言ってたよ。(探したがその箇所みつからず)
四十億年前BAR
人間を作ろうと思ったら、宇宙の全時代が一瞬に思えるほど長い期間、生化学のカクテルシェーカーを振らねばなるまいが、それでも成功しないであろう。
生きる意味と科学について。
おそらく、宇宙の究極的な運命には目的など実際に存在しないだろうが、われわれのなかで誰であれ、人生の希望を宇宙の究極的な運命に託す人間など本当にいるだろうか。(中略)われわれの生活を支配しているのが、もっと身近で、温かく、人間的な、ありとあらゆる種類の野心や知覚である。人生を生きるに値するものにしている温かさを、科学が奪いとると言って非難するのは、途方もなく馬鹿げたまちがいであり、私自身や大部分の現役の科学者の感覚とまるで正反対なものである。(リチャード・ドーキンス『利己的な遺伝子〈増補新装版〉』より)
頭で考えすぎちゃうゾ☆