感想

くらげなす漂うアメリカンアパレル

ネタバレ『燃ゆる女の肖像』フェミニズムブッ込んでいない

燃ゆる女の肖像を見てきたよ。ぶんかむらル・シネマでみてきたよ。客席はまあまあ埋まってたけども、ご時世上かやはり空席が目立ちました。私は200円の水を買い、ル・シネマに貢献しました。これからも存続してほしい。好きですル・シネマ。

 

燃ゆる女の肖像は、18世紀フランスの上流階級×召使×庶民を描いた作品です。青い海がきれいなブルターニュに住んでる貴婦人エロイーズと、その肖像画を描くために海を越えてやってきた女流画家マリアンヌが恋に落ちます。貴婦人エロイーズはまだ若くて、もともと修道院にいた。でも貴族と結婚するはずだった姉貴が自殺してしまったので、代わりに結婚するはめに。姉貴は結婚がいやで自殺してしまったので、当然、エロイーズだって結婚やだなぁと思っている。肖像画は現代でいうお見合い写真的なものなので描かせたくない。まあ、現代と違ってそれを用意する段階ですでに結婚することは決まっているし。以前母親が雇った画家は、とうとうエロイーズの肖像画を仕上げることができなかったので、本作の主人公であるマリアンヌが呼ばれたわけです。画家であることがエロイーズにバレないように、マリアンヌは散歩相手のふりをしてエロイーズの顔や体を観察します。脳裏に焼き付けたものをキャンバスにぶつけます。これがなかなか難しく苦戦の末やっと描き上げます。良心の呵責から、マリアンヌはエロイーズに自分が画家であったことを打ち明け、完成した絵を見せました。しかしエロイーズはこんなの私じゃないと言いモデルを買って出ます。父の跡を継いで画家になったマリアンヌは、エロイーズと比べると自由な女性です。おしゃべりも上手だし、なんかかっこいい。エロイーズはすでにマリアンヌがお気に入りの大ファボリッテ。だからモデルも買って出たわけですな~。

 

 

で、ここから2人×1人の大フランス百合祭りが始まるので、ネタバレなしでお楽しみいただきたい。

 

すでに鑑賞されているかたは読んでください。

 

セリーヌ・シアマ監督ですね、「水の中のつぼみ」のね。あの映画で意地悪百合あるある女子を演じていたアデル・エネルが大人になって出てきます(エロイーズ役です)。シアマ監督とは公私ともにラブラブカップルだったものの、現在別居中らしいです。

 

今回の作品はアデルブルー&茨の城って感じでしたね。茨の城ファンは絶対好きだよ。

 

 

我々世代20代後半~50代くらい? にみんな言えることだが、かなり、この監督はアメリカの影響を受けてるきがします。フランス映画っぽくないので、人によっては非常に癖がなく、見やすいと思うかもしれない。

まあフランスのゲイがアメリカの影響を受けるのはあたりまえなんだと思います。男尊女卑ひどい国ですからね。だいいち男性名詞女性名詞あるからね。それに比べてアメリカではいまや「he、sheじゃなくtheyにするのが是!」ってなってる地域もあるレベルですから。

 

大衆向けというか、とにかくわかりやすく作ってある。登場人物も非常に少なく、これ、一部の日本文学好きが好きになるタイプの作品だと思いますね。この理解のしやすさといったら。

音楽も2つだけなので、とてもシンプルで効いている。

映像もおしゃれで整っていて、でも奇をてらっているわけではない。

好バランスです。

 

全体的に、良好バランスで気分よくなります。華やかです。女神の見えざる手のサンローランくらい華やかで洗練されています。

 

あたおかシーンは腋毛に薬物をぬりたくってトリップするというところくらいかな?

もっさりヘアーが満載で、全体的におケケへのリスペクトがすごいというのはデフォルトのままですね。私のようなおケケマニアにはたまりません。最高すぎる。

 

しかもフェミニズム宮沢賢治リスペクトまで盛り込んでます(それは思い込み)

 

いやほんと、フェミニズムぶっこんできた!? って心のなかで突っ込み入れましたね。あのお手伝いさん、麗しのソフィーちゃまの堕胎のシーンです。

あれなんなのですかね? 誰か一緒に考察してほしい。あれって、「時代と男尊女卑のせいで中絶するしかない(こういうの現代にもつづいてるっしょ?)」だと、フェミニズムぶっこみ王、ということになりますよね。

でも、なぜソフィーが中絶するに至ったかという部分は「観客の想像におまかせ」なのですよ。どこにもえがかれていない。それなので、このシーンは何を伝えたいの??って混乱します。

でも、目を背けようとしたマリアンヌを制してエロイーズが、「画家として見るのです!」とか言うじゃないですか。詩人として冥界の妻を振り返ったオルフェみたいに。

妹の死を見守った宮沢賢治みたいに。

 

つまりこのシーンが伝えたいのは、「芸術家は見るのです☆」ということになります。そして、この「見る」ということが、最後のエロイーズとの別れの辛さの伏線にもなっている感じなのかなぁ。

 

悲恋には死がつきもので、LGBT作品にも死がつきものだった時代があって、現代のLGBTっ子たちはその死に抗議してきたわけですよ。ゲイがアンハッピーになるって決めつけたらぶちのめすよ????みたいな話なんですけど。

でも死のイメージは鮮烈であり、真実であります。人は絶対生まれて死んで生まれて死んでってなってるので。

だいいちエロイーズの姉貴は結婚がいやで死んでるわけですよ、最初に死が置かれている。だから死を最後に持ってくるのがセオリー通りだった。

しかぁし、現代のLGBT作家が最後に当事者を殺したら終わる。抗議されるし、センスもねーし、真実じゃないしってぶちのめされる。自分的にもいやでしょう。

でも死は欲しい。だって死の悲しみは真実だし、別れは死みたいに辛みだし。。

そこでジレンマを解決したのが、オルフェの物語(日本でいうイザナギイザナミ神話)だった。オルフェのイメージを植え付けておくことで、エロイーズはある意味、死んだ。ある意味、もう幽霊。ダブル死のパンチ的なさよなら。…という鮮烈な悲劇を印象付けることに成功。

さらに、ラストシーンでの、あのおしゃれすぎる救い&それでも絶対観客泣かしたんねんオラオラオラ(でいみあん・ちゃぜる?)!!の2段階設定です。

 

はい、そんな感じでした。

あ、ブルターニュのあの召使いたちの集まりと歌ね。あの黒人のストリートラップバトルのブルターニュ版のシーン、よかったよね。

シアマ監督によると、あれは史実にはないらしいです。あったかもしれない歌、だそうです。上手い。でもなんか怖かった。「ウィッチ」思い出した。

 

あ、こんな感想を渇いた冷たい調子でしゃべっていますが、号泣はしています。マスクがびしょぬれになったので急遽マツキヨで洗えるマスクを買いました。ちょうど黒が欲しかったのでよかったです。

 

ちなみにさっきアデルエネルについて調べたら、13歳女児強姦罪有罪のロマン・ポランスキーが監督賞を受賞した際に、授賞式を退場して抗議したそうな。しかもWikipediaによると

エネルは退場する際、拳を突き上げ「恥を知れ!(La honte!)」と叫び、会場のロビーで皮肉を込め、拍手しながら「ペドフェリア万歳!(Bravo la pédophilie!)」と叫んだ

 らしいんだが・・・・

すごいな・・・・すごい想像つくわこの場面・・

 

てか。。

ウディ・アレンの件から立ち直れてない同志はいますか。。。。

 

(了)