感想

くらげなす漂うアメリカンアパレル

言葉無き言葉『ヘビトンボの季節に自殺した五人姉妹』ザ・ヴァージン・スーサイズ

ヘビトンボの季節に自殺した五人姉妹』ジェフリー・ユージェニデス

早川書房

 

ヘビトンボの季節に自殺した五人姉妹 (ハヤカワepi文庫)

ヘビトンボの季節に自殺した五人姉妹 (ハヤカワepi文庫)

 

 

今週のお題は今書きたいあの人へのラブレターっつうことで、ソフィア・コッポラの映画ヴァージン・スーサイズとしてあまりに有名なこちらの作品をご紹介します。自殺小説を探しているかたにもおすすめ。

 

あらすじ

アメリカ郊外に住む厳格な教師一家の5人姉妹の末娘、セシリア(13歳)が自殺した。残された4人、ラックス(14)ボニー(15)メアリイ(16)テレーズ(17)。

語り手は、そんな4姉妹を憧れとリビドーのもと見守る「ぼくら」。

厳しい両親のせいで自由を制限されている4人姉妹だったが、「ぼくら」は姉妹たちの父親を説得して、学校のパーティへ連れ出した。しかしその夜、ラックス(14)が門限に遅れてしまい、母親をブチギレさせてしまう。

この門限破り事件により、外出禁止となった4人姉妹。

最初は学校だけは行かせてもらえていたが、のちにそれすらなくなり、スーパーウルトラマックス引きこもり状態になる。

教師だった父親も、職を辞してしまう。

母親も家事をいっさいしなくなり、Amazonプライムさえ退会してしまう始末。

やがて、引きこもり一家の邸宅は物理的に荒廃し、近所中に得体の知れない臭いが漂い始める。

末娘セシリアの自殺から1年がたつ頃、残された姉妹たちも次々と自殺した。

「ぼくら」は何もできなかった。

姉妹の自殺から何十年経っても忘れることができず、いまだに、その記憶にまつわる事物・証言を収集している。

 

ひとこと感想

生きている時がイキイキだから、死もまたずっと記憶に残る。

ヘビトンボの季節=6月。しかし、見た目やべえ・・・

ソフィア・コッポラの映画、美しひよね。早川書房(ハヤカワepi文庫…♡しゅき!)の装丁も、ジャケ買い続出な美しさなのよ。(お花の写真はLaura Johansen/Botanica)

映画を観たのはもう何年も前なので、ヘビトンボのイメージって「ブゥーン…靄ぁ」みたいなふんわりとしたものだったのだ。

それが、Wikipediaで写真を調べてみたらどうだろう。どこまでも虫だった。

 

 

虫~虫~めっちゃ虫~害をなす虫~♪

 

ちなみに、ヘビトンボの季節=6月である。命は24時間と、蝉よりも短い。ゆえに、儚いものの喩えになりうるのである。

しかしさ、

車や外灯を覆い、公設桟橋を塗り込め、ヨットの帆や柱に取りつき、いつ、どこを見ても、同じ茶色の空飛ぶ泡が漂っているというありさ

って、あの見た目のグロテスクなヘビトンボが群れをなして大量……

つらい…………。

美醜をたっぷり味わえる小説なのです

 

「命儚い」って美を感じる事象だけど、「虫」キモイじゃん。

きもいきれいきもいきれい♡ 美があるから醜があるのだ。うん。

 

ラブレターは電話で音楽

童貞オブザ童貞(←童貞になれなかった女筆者の嫉妬からくる若干馬鹿にしたような響きを感じられたかたには謝罪します。)の「ぼくら」。

ぼくらは、4人姉妹に向けて、さまざまなメッセージを送る。

なかでも青春色の強いのが、電話越しにレコードをかける一連のシーンである。

D☆T☆祭りだワッショイわっしょい(←嫉妬してます)な「ぼくら」は、自分たちの姉妹に対する気持ちを歌に載せてお送りするのである。

ビートルズ「ディア・プルーデンス」、ジャニス・イアン「17歳の頃」、ローリングストーンズやキャロル・キングのレコードをかけて、お互いにやり取りをする。

言葉無き言葉のメッセージを伝えあう。

キュンキュンですなぁ。

 

童貞魂・処女魂

話が変わってしまうが、私は学生時代、銀杏BOYZを愛していた。あの童貞のかほりに憧れたのである。童貞とは、私が逆立ちしてもなれなかったものなのだ。しかもしかも、私はアラサーになった今でも、手を変え品を変え、自分にもあるはずの童貞っぽさを発見しようとしている。DTスピリットを自分の中に見つけ、味わおうとしている。

無理だと、わかっていてもだ。だから中学生男子的な下ネタがやめられないのである。

 

ヴァージンでしかなかった私が童貞に憧れたのと同様、童貞でしかなかった「ぼくら」も、ヴァージンに憧れたのではないだろうか?

彼らが大人になって、妻もいて、こどももいても、いまだに「ヘビトンボの季節に自殺した五人姉妹」を探し求めているのは、もしかしたら、自分の中のヴァージン・スピリットを探し求めているからかもしれない。

 

1960年、デトロイト郊外出身

著者ジェフリー・ユージェニデスは1960年生まれの男性で、アメリデトロイトの郊外に生まれ育っている。

デトロイトといえば、自動車工業地として栄え、モーターシティとまで呼ばれていた地域である。それがオイル・ショックの時代を経て、不況に追い込まれていった。

ヴァージン・スーサイズの舞台はこのデトロイト郊外である。

 

自殺したのは何故? という基本疑問

自殺の理由については、物語内でもさんざん議論されている。

医者はセロトニン受容体不足というし、ジャーナリストは魔術的儀式の一環だったというし、末娘セシリアの後追いだという意見もある。

 

いっぽうで、「予言だった」という意見もある。

デトロイト郊外的な、退廃の一途をたどった地域の運命を、五人姉妹宅が予感し、地域の運命の予言として死んでいったのだという意見である。

著者の少女趣味的な描き方からいって、このオカルト風な結論にもうなずけるものはある。

そしてこのブログの筆者りょうごくらむだの経験からいっても、この説にはうなずけるものがあるッ。

自殺には地域的な何かが関連している気がするのだ……。それも、差別だとか、貧とか富とかじゃないレベルでの話である。ワイは転校生だったからよう知っとるのだ…。まあそれは長くなるからいいや。

でもやっぱ、虐待だおね・・・

ソフィア・コッポラヴァージン・スーサイズを観たときは、私自身幼かったというのもあってか、「5人姉妹の自殺理由=とくになし。だって理由もなく死にたくなることってあるじゃん?」との感想だった。

だが、大人になって、原作小説を読んでみると、ふつうに虐待受けてて辛かったんじゃないのかしら、と感じてしまう。最初に死んだ末娘セシリアはともかく、あとの4人姉妹はメシも与えられずがりがりにやせ細って外にも出られず…、もう、監禁ですよ。

で、セシリア!

「でも、先生は13歳の女の子だったことないでしょ」

というセシリアの科白を読むと、やはり彼女が死んでしまったのって、絶望のせいだね。いかにも、30歳の絶望と13歳の絶望をくらべると、後者のほうがしんどいのではという気がする。

ママンも含めると、セシリアにはロールモデルとなるはずの女が身近に5人もいた。

人間は真似しないと生きられない種族だ。ロールモデルが全員不幸であると敏感に感じ取った彼女が、絶望して死を選んだというのも考えられる理由の一つではあるだろう。

 

最後にちょっと、ふざけておくか…。ヴァージンっていうけど、ラックス処女じゃなくね? うん、そういうこといってるんじゃないゾという怒りはわかる。私も、ともだちに突っ込まれたらムカつくよ。そういうんじゃない、この無粋野郎がって思う。でも、なんかラックスが肉体的にはもう破瓜の血を流し済みということと「処女の自殺」を関連付けるときの矛盾について一切言及なかったよね。行間を読んでみたけれど、女優のつぼみさん的なあれでしかなかったような気がするのだけれど…。無粋でごめんなさい。