cocoちゃんの東京
銀杏BOYZの「東京」が、youtuberのcocoちゃん(hotco co.a)のVlogタイトルになってたよ。出会えた喜びはいつも一瞬なのに、どうして別れの悲しみは永遠なの。ギターの弦を変えてすぐ歌いだしたcocoちゃんの東京、なんだか涙がでたよ。いろんなことを思い出した。アメリカのママが歌う東京。いつも彼女のは日本文学みたいなVlog。
好きなチャンネルなんだけど、さいきんコメント欄が閉じられていて、読めないのが残念。たしかGoogleのペド対策で、こどもさんが出ているものやそれに対するコメントがあるチャンネルはコメント欄閉鎖されるらしいね。申請しないと再開できないとか。
蹴っ飛ばされて転がって疲れた
♪
最近どうしようもなく、このせかいが怖い。わかりあいたい、裁きたくない、だけど、まもりたいもののために、闘わないといけない場面がある、だけどまもりたくない、そんなまもるなんてエゴは捨てたい、欺瞞はいやだ、でも欺瞞がなければ生きていけない
怒鳴って
お花でしきつめて
あーあ……、世の中がすこしでもよくなるように。みんなの心がやすらぎますように。
頑張ろうね。
わがしchannel♡祝1万人/1999年『スプートニクの恋人』
わがしchannelさんチャンネル登録者数1万人!おめでたい~!(><。)
このまますぐ3万、5万といわず10万人いくと思います。
そして彼女たちは日本を変えると、私、確信しております。
(Twitterのファンアート描いてるかたの絵がめちゃいいんよね~。きっと、わがしchannelのファンはみんないい人。わがしファンにわるいやつはおらんのや…!)
☆☆
きのう1999年に書かれた小説を調べていたさい村春さんの『スプートニクの恋人』が挙がったので本棚を開けてひさびさひもといてみた。
もうひっさびさの久々村春作品だったんやけど、こんなに1行開けあった!?ってくらい1行開けのオンパレード(っていう表現をするとまるで揶揄だがそんな邪鬼な気持ちじゃない)である。何年か前の「文藝」で山田詠美と星野智幸の対談があってね、山田詠美が「むやみに行開けすんな馬鹿」っていつものクールさ満点で言ってたのね。それでわれわれ素人文芸ガチ勢は「むやみだり1行開けはダメ!」って自分に言い聞かせるようになったよエンターボタン。が、村春さん、こんだけ行間あけまくりでも読者を集中させられるのって逆にすごない? てかガチ勢じゃない人にも明らかに読みやすいよね、行開けしてあると、区切りがあって気分もすっきり、ぷちぷちをつぶしたような気持ちになれそうだよね。
『スプートニクの恋人』は、22歳の小説家志望女子が39歳の既婚女性に恋するお話である。えもーしょーーーーーえもーしょなりずみぃぃーー
「レズビアンの女性は生まれつき、耳の中のある骨のかたちが普通の女性のそれとは決定的に違っているんだって。なんとかいうややこしい名前の小さな骨。つまりレズビアンというのは後天的な傾向ではなく、遺伝的な資質だということよね。アメリカの医者がそれを発見したの。彼がどんないきさつでそんなことを研究しようと思いたったのか見当もつかないけれど、いずれにせよそれ以来わたしは、その耳の奥のろくでもない骨のことが気になってしかたないのよ。わたしのその骨はいったいどんな形をしているんだろうかって」
(中略)
ぼくは言った、「ミュウにたいして君が感じているのが性欲であることは間違いないんだね?」
「100%間違いないと思う」とすみれは言った。「彼女の前に出ると、その耳の中の骨がからからと音を立てるの。薄い貝殻でできた風鈴みたいに。そしてわたしは強く彼女に抱きしめられたいと望む。すべてをまかせてしまいたいと思う。もしそれが性欲じゃないと言うのなら、わたしの血管を流れているのはトマト・ジュースよ」
(村上春樹『スプートニクの恋人』1999年4月20日刊行 講談社文庫より引用)
忘れたらいかんのが、これが1999年の春に出た作品だということ。まだユーロが導入されたてほやほやの年といったらだいぶ昔やなあという気がしてくるはず。ポリコレスティックで大々的に叩かれることもなかっただろう。主人公すみれがレズビアンである自分を「普通の女性ではない」と捉えているように見えかねない部分が少しいやなかんじなのだがね。ネット上でもよく異性愛者の人が、ゲイと自分を比べたときに自分を「ノーマル」と表現することがあって、あああと思うんや。人って自分を〈普通ー標準ー平均〉って思いたがるものなのだろうか? やはり自分を基準にして世界を見るのはあたりまえのことなのだなと思わされる。そしてそれは悪いことではないんだろうね、だってとても野性的な視点じゃんね、自分を基準とするのって。知性を総動員すれば、他者的視点を手に入れられるけど、それは人間至上主義的なやりかたにすぎないし、むしろ世界をぶっこわすためのツールでしかないのかもしれないよね。
ぐるぐるぐるぐるやね。
まあでもポリコレ的には「ノーマル」って、他者を「アブノーマル」にしてしまうものだから、なんだかなぁと思う。てか、自分からみた他者がアブノーマルだとしても、けっきょく他者がおのれをノーマルに据えたとき、その他者から見た自分のほうがアブノーマルになってしまうわけだから…ぐるぐるぐるぐるやろ?
めぐるねんから…。だめよ…やっぱり。わたしもあのこもふつうかつとくべつなのよ。
てかでもさ、「恋愛=性欲」って思ってるひとって多いのかな。
もしミュウに対して抱いている感情が性欲に関連していないのなら自分の血はトマトジュースだというのはどういう意味なんかね。
たぶん村春としては、耳の骨=海綿体みたいな捉え方してるよねこれ。男子女子ともに膨張する海綿体、だけど村春さんはたぶん女子に海綿体はないと思っているんちゃうかな。だからこの〈耳の骨=海綿体=男の充血器官〉みたいなかんじよね。それを裏付けるように、トマトジュースつまり野菜(果実だけどね)つまり植物つまり草食系という連想が成り立っちゃうわよね。アメリカ文学では草食系女子のことを植物にたとえることがあるしたぶんこの連想はまちがってないとおもふのよね。1999年には詩的だったこのシーンもいま読むとこのように野暮な指摘がはいるわよね。しかもミュウっていうバイのセクシー女優さんの実在を知ったきょうこのごろ、よけい気が散るそれは読者がわるい。
しかし私ね、さいきん白髪をいくつも発見しておちこんでたのよ。このつらみをLINEの一言ステータスメッセージにて伝えたいの。でも「私は白髪人間だ」だと直接的でイタいかなってことで代名詞を使おうとおもうんだけど、免色さんとミュウとどっちを採用すべきだと思いますかアンケートです。
きょうもがんばろー!
わがしchannelさん
きゃわいい……美人……癒し…しゃれおつ…笑い……すべての幸福の生みの親……
マジおすすめだから…。
森鴎外『普請中』ストーリーと解説と感想
りょうごくらむだです。
今日は森鴎外『普請中』について書きますです。初出は1910年6月(明治43年)「三田文学」ですね。日露戦争の5年後、韓国併合したころに書かれています。梶井基次郎がこのとき9歳かぁ~。ちなみに2年後にはドイツのトーマス・マンがサナトリウムにお見舞いにいって『魔の山』の着想を得ています。そんな感じの当時、日本じゃぱんで森鴎外はなにを考えていたのでしょうか。邪推しちゃいましょー!
森鴎外『普請中』
登場人物
ストーリー(鴎外さん、意訳させていただきます)
解説註釈☆読むとき参考になるといいな。
感想
わがしchannel と、自分語り(をいやがるひとの生き/息苦しみ)
YouTubeのはなしです。最近さ、「わがしchannel」というカップルチャンネルにすごくすごくブログのテーマにするくらいはまっているの。もうやばいの中毒なの。(なんか依存症という表現に置き換わって以来、「中毒」という言葉が可愛くみえてくるから不思議だよね。)
「わがしchannel」は2019年1月16日に開設され、たちまちチャンネル登録者5000人を突破したレズビアンカップルチャンネルだ。開設から1か月少し経った現在では8500人以上のチャンネル登録者がいて、おそらくすぐに1万人を突破し、半年以内に3万人くらいいくんちゃうかと思われるようなすごいチャンネルなのである。
ああああああああ可愛いいいいいいいい
向かって右のにゃんかわ美人さんがKanaさん、左のわんかわ美人さんがMikiさん、である。交際3年の彼女たちは現在同棲しており、4月からはハワイに移住されるそう。
現在、デート動画やバレンタイン企画動画、モーニングルーティンなど10点ほどの動画がアップされており、中毒者の私はそれらを朝昼晩の飯時または執筆につかれたときなどに見まくっているのだが、とにかく25歳~にしては尋常ならざる落着いた雰囲気のお2人で視聴者をふにゃふにゃになるまで癒してくれるのである。
今回は動画のみの少ない情報で「わがしchannel」の魅力を語るとともに自分語りを隙あらばというかほぼ自分語りをしたいだけだ(YouTubeとか漫画アプリとかのコメ欄で「自分語り乙」という紋切型批判をよく目にする。どんんんんだけ生き苦しくしたいの世の中を!? って慄いたけど、「場所わきまえろ」みたいな、TPOの問題をすごく気にする人もいるのだなと思い、そうしたコメントをする人たちのほうがよほど生き苦しいのかもしれない…、なんて想像します)。
まあというか私はYouTubeのコメントできる機能を持ってない(どうやってやるのか調べる気力がない)からここに書かせていただくんす、って感じっす。
あのさ…、もうさ…、kanaちゃんとmikiちゃんのラブラブっぷりをみているとさ、自分がどれだけ彼女にたいして駄目人間だったかがわかるよね。mikiちゃんみたいに包容力あるやわらか~ひ女を目指してたんだけど心のなかでは真っ黒っていうか。そこも好き
って言ってくれたのにそれすら信じられないという、まじでひどい幼稚な餓鬼そのものでぶかぶかの服だよ包容力キャラなんぞ。
いま同性婚の法整備を求めて訴訟がはじまっている。勝訴すれば世界はより平等になり、正しさを増すだろう。
私はこの件を100%支持してるし、署名もしたよ。
だけど私と彼女の関係は、法の抜け穴…つまり同性間は結婚できない、ということから、不倫関係ではなかった、といえる感じだったんだよね。私はポリアモリーになろうと思って、夫にも彼女のことを話していた。夫は私に、女となら性的行為をしても構わないと言っていた。だけど私はやはりポリアモリーではぜんぜんなく、彼女のことを想うだけで、悪いことをしている気持ちというのがいつもあって、性的行為をするところまで踏み切れなかったし、いつも最悪な気分で、自信が持てなかった。彼女はゲイじゃないんだよね。バイですらない。あなただから好きになったと言っていた。それすら嫌だったの。ゲイであってほしかったんだ。なぜなら彼女が完全にヘテロならいつかは離れていくのではないか、という気がしたから。
まあ腹を割って話せなかったことがいちばん大きいと思う。もっと私の思想を塗り込んで、私色に染めちゃえばよかったななんて思う。LGBTQについての考えも彼女と私じゃぜんぜん違うかってんもん。彼女にとってはLGBTQなんてなくて、その認識は江戸時代にザビをぶちぎれさせた「衆道」とか大正時代の「百合」とかの世界観といえばいいかな。
そうそう、よくLGBTの話になると日本は硬いうんぬんいうコメントを見かけるけど、ちがうでってはなしなんだよね。もともとLGBTQは欧米の同性愛排斥の反省・反動から生まれたものだよね。フェミニズムもそうだけど、もともとヤベエ差別があったからこそ反骨精神がにょきにょき生えてフェミニズム運動だのLGBT運動だのがはじまったんや。(合理主義もマジカルな暗黒時代があったからこそのものやし)
日本は男同士のいちゃらぶにも女同士の性愛にも寛容だった(1500-1880ごろ)。女の権利はなかったけど、1人で出かけることができるし、家の財布握れるし、離婚もできたから(庶民はね)反骨精神がかきたてられるほどの弾圧を受けてはいなかった、というかんじだとおもう。だっていくら国家に洗脳されていたとしても、やはりアナーキーな感じで立ち向かっていく人は出てくるものじゃん。そういうんが一個もないから、妥協できるレベルだったともいえるのかもしれない。もちろん辛苦は計り知れないし、当時の国家(いや、国家ってのは近代的すぎて語彙が違う気がするけど)のやりかたが正しいとも思わないけどね。
でも寛容だったんよ、ただそれが近代的な愛じゃなかっただけ。近代的な愛って、つまり「西洋的=キリスト教的」な愛、ってことやからにゃ…。いまでいうと「プロテスタント的な愛」って感じかなぁ。シンプル十字架のもとで誓う系の愛を、みんな、愛って呼ぶやろ。
西洋が持ち込むまでは、愛というより、情愛だったんよね。江戸っこ的な情愛。野暮はいうなしゃあなし一緒にいるでぃてきなラブ。π的にわりきれないラブ。ドビュッシーとピエール・ルイスの愛。適量でどうでもいい愛。ただ雪が降ったことを報告したい愛の情の愛の。
だから、日本は硬い、は間違い。日本はやらかいよ、ただ、現代の日本人の愛観念に合う制度はもうアメリカから持ってくるしかないってだけ。それはもう戦後からそうだったんちゃうかな。だからとっとと同性間で結婚できるようにして、あいまいな部分をなくして、同性不倫をぶったたきましょ~って感じすかね……泣。こわひ。まあ私はけっこうガチガチのアダム・スミス系モラリストだから、けっきょく、法があってもなくても似たようなもの。自分をルールに縛り付けて「彼女を大切にする」っていう一番大事なことができんかったんだから。ああ塞翁が馬。einmal ist keinmal。っていってわたっていくしかない鴨川。さいごはじぶん。訴訟を起こした人々は本当にすごいな。
あぎゃっ!そうだ。
このなかでフラ語について話してる部分があってねー! ちょとつっこみたかったの。フランス語のHは発音しないの!
kanaちゃんが言ってるのは、たぶんRの発音。
舌を口蓋奥上につけて、ふごーってかんじに発する音ね。
でも笑う=rireだから、あるいみ「RRR=(ふぎふぎふごふご!的発音)」なのかなー。知ってるフランス人でRRRって笑うひと一人もおらんけど(笑)
孤独やな。
(笑)←孤独感を倍増させる記号やな…。
YouTubeの動画についてブログでコメント…。
孤独や…。
がんばろ…。
さいきん仕事がもらえず喉が渇く日々……。がんばろ…。みんなもファイトですじゃ。とりあえずわがしchannelめっちゃオススメだから…。笑いとお洒落と愛とラブが詰まっているから見てね。
青のフラッグ41話と同性愛嫌悪と簡単LGBTQ用語
さっき青のフラッグ41話を読み終えた。トーマの笑顔がかなしくて星空がきれいでいろいろな思い出がよみがえってきて号泣してた。
作者さんの表現力すごいわ。
いままで物語内でほのめかしは多々あったものの明言はされていなかったトーマの恋心であるが、青のフラッグ41話では、ついにその思いがはっきりと口に出される。
また、トーマのカミングアウトはマミ、ケンスケ、シンゴを巻き込んで学内事件の様相を帯びてしまった。男子3人は停学し、マミは学校を休んでいる(クラスメイトにねほりはほり聞かれることを見越して休んだのだろう)。
トーマのセクシャリティをめぐるひそひそ話が学校中にひろがっており、渦中の太一は幼馴染で親友のトーマの本当の気持ちを測りかねている。告白と謝罪を受け、太一は何を思うのだろうか。
いつものようにコメント欄を熟読してみた。すると感想のタイプを大きく4つに分けることができた(むりやり分けた)。
(1)「つらい、泣いた」など感情移入する素直意見
(2)モブの同性愛に対する発言「襲われたら勝てない」についての反発意見
(3)ケンスケむかつく意見(orケンスケむかつくは違うんじゃないか意見)
(4)「俺にはゲイを受け入れるのは無理」という男子意見
このうち、(2)と(4)のテーマはどちらもホモフォビアに関するものだと思うので、今回はそのことについて少し書いてみようとおもう。
青のフラッグのコメント欄はおおむね好意的であるが、たまにものすごい拒否反応をそのまま書いている読者もいるので驚かされる。と同時に、これがホモフォビアというものかと妙に納得するのである。
ホモフォビアとは「同性愛嫌悪」である。同性愛が悪しきものとされるキリスト教、イスラム教の宗教的背景から、どうしても受け付けられない=嫌悪するというひともいる。中東やアフリカでは同性愛が極刑となる可能性もあるし、中華人民共和国では同性愛が精神疾患としてあつかわれる(現在も世論にその名残がある)など弾圧の対象である。
同性間の性愛行為は、アフリカ大陸の38か国(54か国中)、イラン、サウジアラビア、アラブ首長国連邦、イエメン、アフガニスタン、パキスタン、北朝鮮、マレーシアなどで違法。極刑の場合も。またややこしいがキリスト教・イスラム教は最高神が同じである。
ここ日本でも、イスラム教、キリスト教の影響がうっすらしみわたっているという可能性もなくはないだろう。ザビエルが1549年に来日してから、キリスト教は長いこと信者を集めてきた。約400年の後の第二次世界大戦後、日本はアメリカのものになった。憲法もアメリカ人が作った。だから民間にキリスト教的価値観がひたひたひたっとしみわたっている可能性はある。
とはいっても、やっぱし、日本では感覚的なホモフォビアが多いんではないかというのが私の意見である。
感覚的に無理、なホモフォビアの場合、そこには「自分もホモかもしれない」などの恐怖心が関係しているとされている。自分のなかにあるものを恐れているという説である。
私はガクトが嫌いで、しゃべくり007に出てるのをみておえーー見たくねえわと思ったのだが、よくよく内省してみると、私はガクトに(性的に)興味があるからこそ嫌悪感を抱いたのではないかと思った。だってわざわざ夫に、「私このひと嫌いなんだよね」というくらいだからである。以前、斎藤工が大人気だったころ、「斎藤工まじきもい」と言っていた女の子がいたが、彼女は「斎藤工に関心を抱いてしまう自分自身」をきもいと感じていたにすぎないのかもしれない。
そういえばジャンププラスには『モネさんのマジメすぎるつき合い方』というエロ漫画があり、新連載当初から尋常でない非難コメントを浴びつづけている。これは、『モネさんのマジメすぎるつき合い方』があまりにもストレートにエロ漫画であるために、「エロ漫画で興奮する自分自身」を嫌悪する読者が多いためだろう。かれらは「モネさん」には拒否反応をみせるが『早乙女姉妹は漫画のためなら!?』には好意的である。後者もエロ漫画ではあるがギャグ要素がふんだんにちりばめられており、それが読者の罪悪感を拭い去るワイパー的な役割を果たしている。「モネさん」にもギャグ要素はあるが作者のギャグセンスが低いため罪悪感を払拭できず、結果、読者の自己嫌悪だけが残ってしまう。ジャンププラスを読む層は幅広いだろうが、たとえ60代のおばさん(孫持ち)だとて、少年の魂がまだ健在だからジャンププラスを読むのである。ちょっと長くなり過ぎたが、少年の魂を内奥に宿していれば、たとい60代の孫持ちおばさんでもドエロイ漫画にギャグ要素を求めるのである。
ながすぎる。。。。
すみません。。
とにかく、ホモフォビアには同性愛者への高い関心とそれに対する自己嫌悪がつきものなのだ。同性愛にかんしてべつにどうでもいいと思っている人は、わざわざ「俺は無理」などとコメントを残すなんて愚行しないはずだ。なぜか「自分が被害をこうむるかもしれない」と悩んでしまうのがホモフォビアな人々なのである。だから青のフラッグ41話の冒頭~数ページでモブ男子たちは「襲われたら勝てない」などと発言したのである。
ちなみにこれは男子だけに限らず、ノンケのひどい行動あるあるかもしれない。私も中学時代、友人に「りょうごくがレズ(ビアン)だったら友だちやめるわ」と言われたことがある。10年ほど経って同窓会でカムアウトした際、当時の発言について訊くと、彼女はすっかりそのひどい言葉を忘れていた。しかも私以外のビアンさんの友だちもいるらしく偏見はまったくなくなっていて、「彼女できたら教えてね♡」などと言ってくるレベルだった。人は人との関りでどんどん変わっていくものなのだと思う。
LGBTQの用語について
コメ欄で間違ってる使い方をしてるひとが多くみられたので超簡単にまとめる。
ジェンダー=社会的な性(自分の性別は?)
セクシャリティ=生物的な性(だれが好き?/好きな人がいない?)
セクシャリティ→もともと女が好きだったり、男しか好きになれなかったり、男か女かに限定できなかったり。自分で決めようとしても、どうしようもないことも多い。
〈ジェンダー〉
シス…生まれつきの肉体的性別と、自分が決める性別が、ほぼ一致している
トランス…生まれつきの肉体的性別と、自分がこうだと思う性別が違う(生まれつきの肉体は女だが、自分が思うに自分は男である、など)
X…男女どちらでもない/男女どちらでもある
ゲイ…同性が好き、男性として男性が好き
レズビアン(ゲイ)…女性として女性が好き
バイ…男性も女性も好き
パン…同性も異性もトランスもXも好き
Aセクシャル、アセクシャル…性愛の情を抱かない
クエスチョニング…まだ自分が男女またはXのうちどれであるか決めていない。また、どの性が好きか決めていない、迷っている
以上!まちがってたら教えてね。
あしたはバレンタインデイ!!!いえーい。
青のフラッグ39話、40話の感想を述べ、コメ欄のほんの一部をあたかも全体であるかのように扱い文句をいうエントリ
コメント欄熟読おばさん(再度)
青のフラッグ41話が更新されるのは2月13日ギャレンタインデーの日だった今日じゃないそれはまちがいない。
というわけで朝からホットケーキ(パンケーキたべたいパンケーキたべたいパンケーキたべた芸人はKUSAI♡)焼きつ食べ焼きつたべ、朝から雨で私は青のフラッグ40話をよみかえしコメント熟読、39話を読みかえしコメント熟読。そう私はジャンププラスとYouTubeのコメント欄熟読おばさんとして活躍中のバスティンロビンス(サーティワン)なのだ…。
青フラ39話おさらいと感想
自分と同じ女性にしか性的感情を抱けないことで悩みつづけるキャラクター真澄ちゃんが、ついにアキコ(トーマの姉)に悩みを打ち明ける。すると(私的には)驚きのお悩み相談アドバイザーとしてのアキコの顏が明らかとなる。
「好きになる人が普通の人と違う?」アキコはしょっぱなからぶっ放す。「それってどっちの問題かしら? 性的指向/セクシャル・オリエンテーション? 性的嗜好/セクシャル・プレファレンス?」〝好きになる人が普通の人と違う〟という情報だけで指向・嗜好を持ち出すアキコの日本人離れした知識には驚かされるが、「あっあっ ちょっと待って……ごめん……それはいいわ。ごめんね。どっちだったらどうって話じゃないし」というアキコ氏。つまり、「指向でも嗜好でも悩んでることに変わりないんだものね」というアキコの態度におったまぶったま目ん玉とびでるんだ。指向と嗜好。その2点の違いを強調すれば、たとえば同性間における恋愛結婚の正当性を証明するのも簡単なのだが、そこに逃げず、真澄ちゃんの悩みに真摯に向き合ってる。簡単に人を裁こうとしない、アキコの深さ寛容さやさしさがにじみ出ている一コマ(じっさいは11コマくらい)である。
ちなみに真澄ちゃんは性的指向のことで悩んでいる。少し前に杉田水脈という議員が、 性的嗜好と指向をごちゃまぜにして話し、間違った知識をおしげもなく披露してくれたことがある。そのとき一部インテリ層がその点を指摘した。差別的という流れはもちろんあるもののさ、私のなかでは、水脈はん、ふつうに知識が間違ってるだけやん、となった。つまり複合的に杉田水脈さんは勉強不足だということになった。だがしかし、青フラのアキコがいうように、また『泣くまでボコられてはじめて恋に落ちました』の作者ペス山ポピー氏のように、性的嗜好のことで悩んでいる人もいるのが事実である。安易に指向と嗜好は違う(指向の勝ち!)とせず、「他者と共感しあえない」「人にいえないことを抱え、抱えていることに罪の意識を抱き、自分を罰してしまう」など、等身大の気持ちに寄り添った描写ができる青フラ作者KAITO氏、やるな。
しかしそんななか、コメント欄に発見して息が止まりそうになるのが「アキコの谷間問題」である。以下抜粋。
「やっぱり妊婦が胸の谷間見せてるの気になる
この姉さん頭悪いかユルいんだろなと思ってしまう」
この偏見払拭漫画で、まさかのド偏見コメンツである。
そう、アキコは基本的に谷間をあらわにしているキャラクターだ。妊婦で、お腹もかなり大きくなっており、さぞかし胸も張って痛かろうと思う。大きくなりすぎた胸のその谷間がかなりの確率でむきだしてある。妊婦のデコルテが美しいというのは常識だと思うが、一部読者はそのお胸をどうにか隠してほしいらしい。
アキコの胸元に関するコメントは、なにもいまに始まったことではなく、前々からあった。「旦那さんいるのに露出しすぎ」「妊婦なのに」だのなんだのと胸×妊婦×既婚を関連づけているコメントを見ると、こりゃ日本の負の部分だわなと感じる。まみの件もそうだが、女が媚びてるだのぱいおつだのぱいおつは男子をむらむらさせるためだけにあると信じている男子&女子&おばさま&おじさま連中は自らを恥じるべし。(が、じつはきもちはわからんでもない。自らの腹の底に眠っている男尊女卑的感情!!!! これをわたしは嫌悪する)
青フラ40話おさらいと感想
というわけでというわけで、青のフラッグ41話が待ち遠しいことこの上なき一週間をきもちよくスタートさせるべく40話のおさらいをいたしましょう!
文化祭の終盤、まみとトーマは教室でふたりきり。まみはトーマに再度好きだといい、しかし友人として付き合いたいのだという。以下、せりふを要約する。
「アタシが男だったら、トーマへの異性愛的な〝好き〟は同性間の友情としての〝好き〟になり、周りにも文句など言われず、1番の親友になれていたはずだ」
また、たびたび愛の告白をしてくるケンスケに関しても言及する。
「好いてもらえるのはうれしい。でもアタシがケンスケを好きになれないのは仕方のないことだから、それを責められるのは不快である」
さらに、「アタシに触られるのは気持ちが悪い?」とトーマに訊く。ここでの「気持ち悪い」はおそらく、性的感情が込められているように感じられるかどうかという話だろう。まみ的には、〝男同士の友情〟を模したような感覚で触っているのだが、トーマに気持ち悪いと思われていたら本末が転倒してしまうので確認したいのだろう。
ところでこの教室の一件の前に、トーマは太一に告白しかけており、触りかけている。壁ドンならぬ手すりドンをしながら、おれがほんとに欲しいものを教えてやろうかととてもイケメンに許された発言をしている。しかし太一の表情などから嫌悪(じっさいは恐怖)を感じ取ったトーマは、思いを告げずに退散する。トーマが〝好きな人に気持ち悪いと思われたくない〟という感情を神経むきだしの生の状態で抱いていたふたりきりの教室で、まみに共感を覚えていたのは明らかだろう。共感というかシンパシーというか瞬間、心、重ねてというかシンクロに近いモノがあったろう。トーマはついにまみに「好きな人がいる」といった。またせりふで言及されたわけではないが、暗に一ノ瀬太一の名前を出したのではないかと思われるような描写も見られる。それなので、「おれが好きなのは」のあとに本音を話したのであろうことは間違いなさそうだ。
廊下ですべてを立ち聞きしていたケンスケがぶちぎれて飛び込んできて胸ぐらつかんでわっちゃーってなる。その隣にいたしんご(人気投票1位確実カチューシャ男子)の痛ましい表情ときたらこれはもう……。しんごの表情が物語る、まみもケンスケもトーマもみんなの辛苦と愛がおいたわしや!!!!!というような。しんご……っ!
同じとき、文化祭学園祭のリアの充的なメインイベントを講堂体育館で見ていた太一とふたばだったが、隣にいた野球部2人組のところにメールおよび一本の電話が入る。野球部員いわく「一ノ瀬!!!」「トーマが!!!!!」(本編には「!」多用するようなお下品さはいちみりもございません)
最後の〝見えていた世界が変わる。〟という煽り文句からして、次週はトーマの性的指向が周囲(すくなくとも太一)に明かされるのだろう。
設定を更新したよ!あとテニスン
かわいいぷるぷる海のブログになった。コメントも書けるようにしたのだっ。そして…書評ブログではなくただの日記になったようだ。2018年11月23日。
ホームランドという、テロリストとCIAが不倫するドラマあるやん。アメリカ軍人むきむき男性が、戦地で監禁&洗脳のすえテロリスト側に寝返るの。監禁は十年くらいだったと思う。むきむき男性には妻と二人の子供がいたんだけど、監禁されているあいだに、地元の親友に妻を寝取られちゃうんだよね。
ウォーキングデッドという、ゾンビもののドラマあるやん。アメリカ保安官男性が、昏睡状態で入院しているあいだにゾンビだらけの町で妻を寝取られちゃうんだよね。
こうした三角関係(NTRかどうかは別として)パターンは、テニスンの物語詩『イーノック・アーデン』(1864)が一番最初っぽいのですよね。英米で発展して書き継がれている牧歌的(エレイジャック)ロマンスなるものも思えばテニスン発祥なのかしら。夏目漱石もテニスンを読んでいたしですね。われわれの血脈。肌の色より骨盤のつよさよりずっと濃ゆいわよ。