キットチャンネルがガチ炎上の様相を呈してきたので愛を込めて
文庫 平気でうそをつく人たち 虚偽と邪悪の心理学 (草思社文庫)
- 作者: M・スコット・ペック,森英明
- 出版社/メーカー: 草思社
- 発売日: 2011/08/05
- メディア: 文庫
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追記です。ことの経緯を簡単に記しておきます。
アンチコメントに物申す動画の後半に、一部視聴者にとってショックな内容があったため批判対象となる→直後発信した水を飲みながらのLIVE動画にて、批判対象となった前回動画の発言についての弁明をしたところ、よけいに批判が増える→コメント欄が騒がしくなる→ブログにて文面で意思表示する→騒動収束(たぶん)
最近、Twitterにおいて広く求めた意見を自著に取り入れる著名人などが増えているらしい。一般ユーザーは自分の意見を取り入れてもらうと傍観者ではいられなくなり、その著名人の書籍が出れば必ず買う。この大SNS時代、そうした「つながり消費」はもはや当たり前のことになりつつある。
キットチャンネルの2人がやろうとしているのはまさにそれっぽい。
「この前のキットチャンネルの動画の企画案、私が出したやつなんだよ!」
「この前の動画のコントの構成、私が作ったの」
「この前の動画のタイトル俺が考えたんだ」
なんて会話があってもいいと思うんです。
日頃より応援してくださる皆さまへ - 元女子、キットチャンネルブログ より引用
しかし、なんとも釈然としない。なんだかおかしくないか。違和感がすごくないか。
先日、かめのつのさんが私のブログエントリを引用してこちらの記事を書いてくださった。(かめのつのさん、め、merci!(;;)まさか人に読んでいただけているとは思わなかったのでそりゃもううれしい(しかも好きなタイプの文章だああ。)のだが、
キットチャンネルの炎上から見る「性を切り売りする」こと、発信すること │ カメのつの
彼らは対等でありたいって言っているから言うけど、「もっと面白い動画が作れるように頑張れよ」っていうことね。色々残念だなって思ったけど、そう思う。
とくに、この部分を拝読し膝を打った。
そう、おもしろく、ないのだ…。
で、視聴者に意見や企画案を求めずとも、YouTubeの動画のなかにはお手本となる編集、企画、トークが山ほどあるはずだ。世界中の人が発信している場なのだからお手本だらけのはずだ。(てかUUUMのスタッフの方と軽ーく打ち合わせとかないのかしらね…。ブレストに付き合ってもらうとかさ…。)
でも、いままでそういう努力をやってみたけどやっぱダメだ、もう、動画の作り方を忘れてしまったみたい。インプットも限界みたい。視聴者の元気玉(企画案とか)が必要みたい…そのほうが特異性のあるチャンネルになると思うの……ってことで、それであの「アンチコメントに物申す」動画を出した…、迷ったんだけど出した…、というのが今回のブログでの彼らの主張である。
どんな動画を作っていいのかわからなくなっていました。
面白いことがしたい!その為にもまずは自分たちが楽しもう!
そう思っていたのにその自分たちですら楽しめなくなってました。
2人で今後どうしていきたいか?と話し合った時に
「頑張ってる人の何かのキッカケになりたい」
「一緒にワクワクするようなことをみんなでやりたい」
これが答えでした。
その為にも僕たちが嫌われることを恐れたり
好かれる為だけの当たり障りない動画を出してもきっと響かない。
まだまだ日は浅いけどYouTubeを今までやってきて思ったこと
本心を動画にして伝えよう。そう思ってあの動画を出しました。
嫌われることを恐れずに、本心(=根底に「頑張ってる人のキッカケになりたい」「視聴者みんなとワクワクすることをやりたい」がある)をさらけ出した動画があの「アンチコメントに物申す」動画だったということを主張している。
頑張ってる人の一助になりたい、視聴者と共にワクワクすることをやりたいと願うクリエイターが、ファンのコメントに文句をつけるという方法でしか本心をさらけ出せなかったということである。
首を傾げるポイントではあるけれど、まあそこまではまだ分かる。しかし、もし、「コメントに文句をつけるという方法でしか本心をさらけ出せなかった」ならば、このセンテンスは「そのせいで失敗してしまった」または「本心の出し方を間違えて、視聴者を傷つけてしまった」という意味の言葉で結ばれるべきではないだろうか。謝らなくてもいいんだよ、ぜんぜん。ただ認めるくらいのことは、あってもいいとおもふ。
だが英翔氏はさらにこう綴る。
自分たちでも痛いほどわかってますが、本当素直すぎる性格だなと
思ったことを胸にしまっておくことも出来るのですが
なんか凄く寂しいと思ってしまうというか、
大人とか子どもとか関係なしに言いたいことを言えたらいいのに
もっと思ったことを発信出来る世の中でいいじゃん!
そんな風に思ってしまうんです。
そんな人がいてもいいじゃん。って思ってしまうんです。
「(相手の気分を害する種類の)本音を話せないのは寂しい」……相手を傷つけても本音をぶつけたいというのは甘えの一種で、「ダメな自分も受け入れて欲しい」というような、なんか深キョン感あふれる愛い感情である。だが、この「ダメな自分も受け入れて欲しい」という切実な願いに彼自身が向き合っていない。かたく蓋をしてしまっている。それでいて「素直すぎる性格」と自らを評価してしまっているため、えげつないほどの矛盾が生じている。
英翔氏の主張を「真摯さに欠ける、虚偽的な主張」というふうに受け取る視聴者がいるのは、この矛盾のためだろう。
また、彼がさんざん繰り返している「正解はない」「どちらも正しい」というような紀元前レベルの相対主義的論法も、安いペテン感に拍車をかけている。「相手を傷つけても自分が傷つくつもりはない」という武装がバレバレ増し増しで、もはや一周まわって愛おしくなってくる。弟か。国民の弟かきみは。このこの。
※でも傷ついてるのはわかってるヨ。この武装は役に立たないタイプの武装だからね
もっとも、素直というのは他者の意見を聞き入れる柔軟さ、構えのない様子を評するのが一般的である。それなので、「素直すぎる」は誤りであり、正しくは「頑固さモロ出し過ぎる」と言い換えたい。
さらに「僕たちは素直すぎる」の「僕たち」にかなしゃすも入っているというのがもうNOWAY…私のドスケベ人間観察分析クソ根性をくすぐりまくってやまない。もう、えいとはんという遺伝子のヴィークルになっているかなしゃす、まじ東洋形而上学的っす。もう恋はしてないけど、やっぱり好きです。おもんなさがおもろい。愛らぶ。
そしてキットチャンネルのはてなブログのコメント欄にも女神様たちが降臨されており、あああー私もコメント欄解放したあい!!!女神たちのコメントほしい!!んきゃーーー!!
でも無理…。だって私こそ素直すぎて、コメントで何か指摘されたら素直(ドM)丸出しで付き随うこと山の如しだもの。はふー
寝るり。破綻あるエントリですまぬ。かめのつのさんみたいにカッケー締め方したいんやけどな。
ぷひー
キットチャンネルよ、ふぁいとです。
(追記)
・引用したとおり、これからは視聴者に意見を仰ぎつつ(仰ぐというのも厳密には違うが)動画制作するつもりの2人である。それに関してYouTubeとブログのどちらのコメント欄にも、「ネタ提供をした視聴者への見返りはあるか? ないならそれはボランティアでは」といった視聴者からの意見が目立っていた。だがこの場合の視聴者への見返りは金銭やモノではなく、「企画案、構成、タイトルを自分が作った」ということ自体である。対象メディアに自分が関わったということそのものが価値。クラウドファンディングにも似た精神がある(同じではない)が、そういう商売である。おそらく、見返りを用意したとしてもサインとか肩たたき券に留まるだろう。
キットチャンネルは「体験を売る」ことを本格化するつもりなのではないかと私は思う。しかし、ここ数日でチャンネル登録者数は減りつづけている。おそらく、キットチャンネルの提供する新しい体験に価値を見出さなかった視聴者が離れていくのだろう。
・このブログを読んでくださっているかた(merci beaucoup(;人;))の中には、キットチャンネルの行動にモヤモヤを感じているかたが少なからずいらっしゃるのではと思う。YouTubeのコメント欄に謝罪動画!と書いているかたもいるかもしれない。ここからは、仮にそういうかたがいたとして・そういうかたに向けて、の私の気持ちになってしまうが、気持ちはわかるけど、YouTubeのコメント欄に謝罪求む系の言葉を書き入れるのはもうやめたほうがいいかと・・・思う。いっこならいいけど、何個もそういう系の言葉がならぶと、ほかのひとに、荒れた場所のような印象を与えてしまう。荒れた場所には「よくないもの」が引き寄せられる。場が荒れているというだけで、無関係な乱暴者がやってくる。そして暴言を吐く。トランスであることそのものについての暴言があるのをみて、私は胸がしめつけられるおもいだった。もし、もし自分の書いたエントリが、そんな暴力的発言を出現させた遠因の一端を担っていたとしたらマジつれぇと思った。私は顔も本名も出してないし、責任も取れない。せいぜい、マジつれぇという気持ちになる程度の、ちっぽけな責任の取り方しかできない。
事態は収束しつつあり、キットチャンネルの方針に同調できる視聴者がたのしくコメントをしている感じもある。コメント欄がそうした雰囲気なら、荒れくれ者もやってこないだろう。
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第159回芥川賞受賞『送り火』高橋弘希
文學界2018年5月号初出の高橋弘希著『送り火』が、第159回芥川龍之介賞を受賞したそうです。おめれ~と~!
『送り火』あらすじ
東京都内から津軽地方へ引越し、廃校直前の中学校に転入した中学3年生の歩(あゆむ)。新しい中学校は3学年合わせて生徒12人のみ。1クラス40人だった都立中学とはだいぶ勝手が違いそうだ。だが歩は繰り返し転校してきたため、新しい集団に馴染むのなんて余裕だと思っていた。
「東京って、どった街なんず?」―(略)―「別にここと変わらないよ。」
そんな歩は、中2の時に暴行事件を起こしたという同級生の“晃”や、その暴力のターゲットである“稔”、他数名とつるみ、この地域特有の花札である“燕雀(えんじゃく)”に興じるようになる。
燕雀は金銭(お菓子レベル)を賭けて行われることもあったが、そのほかに窃盗や、硫酸を皮膚にたらす人を決める“回転盤”、縄跳びで首をしめる“彼岸様”などの罰ゲームが課せられることもあった。そして燕雀に負けるのは毎回、晃のターゲットである稔だった。
歩はいじめられている稔を不憫に思い、コーラを分けてあげたりなどしながらも、自分には関係ない、と、とりあえず空気に合わせて平穏に過ごそうとしていた。(正直、晃の独善と狂気に魅惑されている部分もあったのだ。)
しかし灯籠流しの日、騙されて呼び出された歩は、“回転盤”や“彼岸様”で晃をいじめていたという先輩ヤンキーたちにボコられる。“サーカス”・“脱穀ごっこ”・“八反ずり”・“田打車”…やべえ残酷ゲームの名前がばんばん出てくる。この…いかれクリエイティビティヤンキーが…。
彼らは人殺しをするつもりはない。しかし人殺しをしてしまうかもしれない。殺意なく人を嬲り殺してしまうかもしれない。
歩、コンナハズジャナカッタ。そんなお話である。
『送り火』感想
遊びと暴力の境目があいまいになる環境や時期というのがあるのかもしれません。たぶんクリエイティビティヤンキーたちは、悪感情などなく、純粋に人間の反応をおもしろがっているんですよね。お腹が空いてないのに狩りをするライオンみたいなものでしょうか。レクリエーションですね。これが虐待の真実かもしれません。クズがよぉ……(怒)←と単純にキレるのは簡単で無責任ですね。
でもね、ネタバレになりますが、じつはこの話、読者のタイプによってはスカッとポイントがあるんですよね。いじめられてた稔が赤黒い鬼になって大暴れするので。もしかしたら、そこが気持ちいい!と感じる読者はんもおられるかもしれません。というかたぶん稔が主役なんだろうなぁ。でもなぁー。なんかイロイロとステレオタイプの色を、漂白しきれなかった感が、なんだかなぁぁぁ。正直、これよりも第155回芥川賞候補だった『短冊流し』のほうが…でもあの時はタイミングがな…ぽよぽよ
とはいえ本作『送り火』は、印象的な場面やすばらしい文章の宝庫です。
とくに、七年間地中で過ごした蝉の幼虫が成虫へと羽化する瞬間を目撃しようとしている場面はたまらんかったです。蝉が羽化(脱皮)の途中で死んでしまう。それを見て晃は暗い怒りを燃やす。すさまじい文章で、読んでいると同じ場所に立ち会っているかのような気持ちになり、おもわず鼻息が荒くなってしまうふがふがでした。
また、舞台となった地方の灯籠流しの習わしの起源について、
「数百年前、黒森山の向こうからバッタに似た大量の蟲が飛来し、集落の作物・食糧・人間を襲った。船の帆柱に火をつけることで禍言(まがごと。その蟲の名は不吉とされ禁句になった)を焼いて村の外へ流す習わしができた。」という農民の説と、
「六百年以上前、親王と豪族一族が共に津軽へと落ち延び、黒森山の向こうからやってきて、土地に棲みつき、集落をつくった。葦舟の帆柱に火をつけて河に流す習わしはそのころできた。」という晃の説があり、民俗学的な、普遍的なおもしろさがあるのかしら~と思いました。最後も、みっつの巨大な藁人形(三隻の葦船)に火をつけ流すわけなので、もしかしたら黒森山の向こうからやってきて災いをもたらした何ものかを呪うための儀式なのかも。
※ちなみに、私は小学校、中学校と転校生だったため、どうしても歩に感情移入してしまうのでした。チート転校生時代の、自分の傲慢と無関心が露呈したような感覚(はずい!)。その剥き出しの部分を攻撃されたみたいな…、ありていにいえば「耳が痛い」状態に陥りました。『短冊流し』のほうがおもしろかったし!ぷん。というのはだから空威張りでもあるのです。
↓これに初出。この時さ、新人賞受賞者なしで審査員ぶちぎれてるんだけど、とくに川上未映子はん批評⇔悪口の境目をゆらゆらしてゆ(号泣)、エイミーの毒舌を継ぐかんじなのかな。綿矢りさは安定の女神(キモオタスマイル)。
↓私のいちおし『短冊流し』併録です。ちょー×2プールサイド本(水辺で読みたい本)です!
♡了♡
オトメの帝国
ジャンプ+で連載中の岸虎次郎『オトメの帝国』(隔週水曜日更新)を紹介するよ。
『オトメの帝国』は百合コメディで青春群像劇
『オトメの帝国』は、2010年夏からビジネスジャンプ(のちグランドジャンプ)で連載開始し、2017年秋に少年ジャンプ+に移籍した漫画作品。制服を着た女子高校生たちが主役である。ジャンルは「百合コメディ」。群像劇で、「恋愛、エロ、シリアス、ヒューマンドラマ」なんでもこいのストーリーを魅力的なキャラクター陣が自在に動かしていく神作品なのである。
このブログではキャラクター紹介とともに、カップル別ベストエピソードを独断と偏見でランキングにしてみました。
オトメの帝国キャラクター紹介
美好と綾乃
美好(みよし)
向かって右の、髪色の明るい子です。ちゃらちゃらしてるけど優しくてピュアです。中学or高校受験以降は勉強してないようで、言動にアホさがにじみ出ています。でもフェリス女学院とか行きそう。みよしの美を三と間違えるのはあるあるです。
綾乃(あやの)
左の黒髪ロングです。知的で所作も美しいです。美好にガチの恋愛感情を抱いているらしき描写が多々あります。
1位 第53話『綾乃はご機嫌ななめ』
綾乃が痴漢された話です。美好の心のやわらかさ、寄り添ってあげる優しい気持ち、それに、守ってあげたいというカッコイイ気概。涙なしには読めません。(4巻収録)
2位 第100話『2人で壁ドン』
綾乃が美好に壁ドン+αします。この回を読むまで(私にとって)美好はネタキャラだったのですが、この回でにゃーしてる美好を見て惚れました。(8巻収録)
3位 第29回『みんなのハロウィン!』
美好がキュートなスカートめくり魔に変身し、綾乃のスカートもめくります。しかし一歩も二歩も先んじていた綾乃はプチ仕返し。ガチでへこむ美好さんと、包容力の綾乃さん。2人のキャラクター性が浮き彫りになった回です。大好きこの回。(2巻収録)
ちえとあーちゃん
ちえ
おだんご2つの子です。オトメ唯一の関西弁キャラ。周りをよく見ていて、気遣い(気遣いと気づかれないハイレベルな気遣い)のできる優しい子です。胸にコンプレックスを抱えていましたが、あーちゃんのおかげで乗り越えました。お腹のお肉がぽよよんとして、ふとももも一時期のリアル女子高生の感じがこってり乗っかっています。
あーちゃん
ボーイッシュガールです。ピュアで男前なキャラクターで、陸上部の花形選手です。そのため後輩に大人気。ちえの前で見せる、ちょっと子どもっぽい可愛らしさと、後輩たちの前のカッコイイ姿とのギャップが魅力的です。
1位 (第114話~)第115話『ふたりの観覧車』
陸上の全国大会で思うような結果が出せなかったあーちゃん。いつものコメディ色を排したリアルな描写にハラハラします。ちえはあーちゃんをどんなふうに慰めるのでしょうか。多くの読者がボロボロ泣いてしまった神エピソードです。(9巻収録)
2位 第4話『“プールの授業話”は、夏のお約束』
絵面的にものすごくエロい回です。でもそれだけではなく、泣けます。女泣きです。胸もお尻も涙もポロリ。ちなみに単行本ではちくびが見られるので、ちえと似たようなお胸をお持ちの女性諸君はよりいっそう泣けちゃうはず。(1巻収録)
3位 第48回、第49回『あたしの大事なあなた』前後編
あーちゃんの鞄にぶら下がってたマスコットが気になるちえ。自分からはなかなか訊くことができないちえを見て、美好と綾乃が助け舟を出します。ちえの涙が可愛すぎます。岸虎次郎氏の描く女の子の涙は、読んでいてコッチまで泣けてくるのです。「今日限りをもってウソップ海賊団を!!!解散する!!!!」レベルで泣けてきます。
(4巻収録)
※12巻収録の第149回『秘密のおまじない』とオマケ漫画は必見です。結婚おめでとう。
ミチルとありぃ
ミチル
左のベリーショートちゃん。カメラを用いて女子高生をテーマに作品づくりをしています。
ありぃ
右の黒髪ロングです。ぷにぷにボディの不思議ちゃんで「ブルマ・盲腸の手術痕・スクール水着」などにフェティッシュな魅力を感じているらしい。ミチルの写真のモデルでもあります。
1位 第6話『写真の鬼!』
初登場回。ありぃを脱がせて教室で写真撮影をします。これめっちゃうらやましいんだよね。私も彼女を脱がせて写真撮影したいもん。(1巻収録)
2位 第168話『甘くて苦いありぃ』
バレンタインの日、首筋にバニラエッセンスをつけて、髪をりぼん形に結ったありぃが登場。 ミチルはそんなありぃにムラムラ☆どきどきなのでした。(13巻収録)
3位 第141回『おしりとほっぺ』
おしりに頬をすりすりする回。「うふふっ♪」です。「げへへっ♪」じゃないんです。(11巻収録)
美緒と静香先輩
美緒(みお)
右の子ふわふわボブ子です。文芸部で詩を書いているだけあって、心の奥に深い湖があるかのような子です。ガチレズもといビアンまたはバイ(パン)だと思います。高校生徒は思えないくらい、しっかりしています。
静香先輩(しずかせんぱい)
なんだか女教師もののAVに出てきそうなお方です。においたつようなエロスを感じます。その魅力と手練手管で美緒を翻弄しますが、じつは過去の恋愛で痛手を負っていて、その経験からくるコンプレックスに先輩自身が翻弄されていたのではないか……と思われます。この人が異性を好きになることはなさそうな気がする私です。
1位 第178話『どきどきトレイン』
神回。エロティックな回なのですが、「なぜか泣いた」という読者コメントが散見されます。私もポロリしました。なにこれ?まじで。神やん??ふああ??(14巻収録)
2位 第153話、第154話『いつかきっと 前後編』
スリル回ですね。かおるへの浮気心で美緒を傷つけてしまった静香先輩。どう落とし前をつけるつもりなのでしょうか。(12巻収録)
3位 第30話『耳ーそれは限りない神秘』
村上春樹の風を感じます。それはさておき、美緒の恋心や実直さが伝わってくる回ですね。「好きな人に触られるからこそ気持ちいい」と言う美緒の、心の芯が強くて自然なさまに惚れます。(3巻収録)
ほのかとエリーシャ
ほのか
左の黒髪の子です。おそらく1、2を争う人気キャラ。漫画愛の強い人、絵が描ける人、BL好きな人は、ほのかの気持ちにぴたーり寄り添って読めるはずです。ジャンプ+のコメント欄をみてみると、「ほのかのオタ具合がリアルすぎる」という旨のコメントであふれています。いつもいつでも作品(BL)のことを考えている姿が可愛いですし、ひねくれている感じも可愛いです。
エリーシャ
右の金髪の子です。アメリカ・アラバマ州からの留学生で、臍とベロにピアスをつけています。「どうみてもリア充」で、絵がバカうまです。エリーシャの底抜けの明るさ、日本語が母語でないからこそのカラッとしたコミュニケーションとその能力がほのかを救います。あーとうとい。
1位 第93話、第95話『みんなでお祭り 前後編』
ほのかとエリーシャ、エドとイアン(エリーシャのホームスティ先のゲイカップル)が夏祭りに行く回です。お祭りや花火の楽しさ儚さをもっとも正しい形にまとめたような、お手本のようなエピソード。私はお祭り・花火といった安易な思い出づくりが苦手なのですが、だからこそほのかに感情移入できて、泣いてしまいます。(泣きすぎ)(7巻収録)
2位 第22話『ほのか 殻を破られる』
エリーシャの絵がうますぎるのを目の当たりにして傷つくほのか。自分よりすごい人に対して、まっすぐに「すごい!」って言えないんだよね。わかるよ。(2巻収録)
3位 第45話『ともだちになって!』
BL漫画『秀吉☆利休の肉食系ティータイム』を制作ちゅうのほのエリ。ばい菌あつかいされたり、オタクと呼ばれて慳貪なあつかいを受けていたほのかが、エリーシャとのかかわりによってまた一皮むける瞬間を描いています。よかったね、ほのか!(号泣)(4巻収録)
茉莉と優
茉莉
左の子です。小麦肌です。単行本の紹介欄には「勝気な言動の誘い受けドM」と専門用語っぽいかんじで紹介されていますが、そんなに勝気ではない気がします。どっちかといえば、優し~い子です。陸上部で、あーちゃんの後輩でもあります。
優
わがままなドSです。私が思うに、茉莉は計算ドMなんだけど、優は天然ドSなんです。おそらくこの2人は、かなり幼少の頃から友だち同士だったのではないかと思われます。そして優ちゃん、とにかく、かわゆい。美人。ぷりちぃ。
1位 第44話『ファミレスSM後編』
ファミレスでエロいSMをします。全エピソードの中で1番くらいエロいい話。これがわたしの1位だよ。(3巻収録)
2位 第103話『聖SMバレンタイン』
手作りお菓子の得意な優ちゃそ。バレンタインデー当日、茉莉のために頑張りました。しかも保健室でのSMサービス付きです。(8巻収録)
3位 第148回『10回分の愛を!』
「ピザって10回言って!」……いわゆるピザ10のもじりで、「 好きって10回言って!♡」を恥ずかしげもなくやりあうまひまひ。その光景に粟肌立たせる優ですが、ある方法で茉莉に好き10をします。その奥ゆかしい好き10に全オトメ帝国民がスタンディングオベーション。(12巻収録)
まひるとまひろ
ぷに肉が少しだけあります。垂れ目です。まひろを愛しています。
まひろ
まひるに比べて少しだけスレンダーです。釣り目です。まひるを愛しています。
1位 第19話 まひるとまひろの雲なき空
平和を願う人全員に読んでもらいたい。もうほんと、一点の曇りもないです。この世界には戦争も貧困もありません。行きたい。 (2巻収録)
2位 第159話 まひるとまひろのナイトプール
自宅のバスタブでナイトプールに挑戦するまひまひ。2人の顔つき、体つきの区別をしたくなったら見るべき回です。(13巻収録)
のののん先輩とゆみみ
のののん先輩
オトメメンバーの中でもっとも胸とお尻がおおきく、肉感的です。豊満です。高校生にしてかたせ梨乃のような包容力があります。結婚するなら絶対のののんです。お母さんになってほしいです。家にいてほしいです。えーん
ディベート部のはずなんですが、体育が得意そうな体つきをしています。バリタチという噂があります。
1位 第146話『ウエストの攻防』
お正月太りに悩むのののん先輩ですが、ゆみみに「ウエスト見せて!」と言われて拒みきれません(かわいい)。ぼよんぼよんのウエストを、嫌いになるどころか性的な目で見ているらしきゆみみ、全国のウエスト太りに悩む女の子をホッとさせるエピソードです。のののん先輩のお尻も見られて一石二鳥です。
2位 第96話『ドキドキ2shot!』
ゆみみと部室で2人きりになった先輩(かわいい)。ゆみみにせがまれてHカップの胸を披露します。ゆみみの攻め方がたいへんえろいです。隠された共通点も発覚し、2人の距離がぐぐぐと縮まった回でした。ゆみみみたいな人には気をつけないとね。
3位 第109話『じゃあね 先輩!』
年下から馬鹿にされるのが好きな私です。きゅいんきゅいんしました。 ゆみみみたいな人にはまじで気をつけないと…。
奈々沢さんと小野田ちゃん
小野田ちゃん
みつあみの委員長。生徒会、吹奏楽部などさまざまな活動をかけもちしてやっています。さらに受験勉強にも燃えている、熱いキャラです。
奈々沢さん
ふわふわの髪の毛とかわゆい着こなし。それでいてお勉強ができる女の子。成績は学年1位です。天は二物を与えまくりのすけです。
1位 第24話~28話『皆で海へ!』
海の回は、個人的に小野田ちゃん回だと思っています。他のオトメメンバーの良さもわかるし、最強ですね。奈々沢さんは未登場でした。(2巻収録)
2位 第55話『小野田さん荒れ始める』(4巻収録)→ 第127話『三脚のアレと夕陽』(10巻収録)
テスト結果が学年35位に落ちてしまった小野田ちゃん。ゆるふわ美人の奈々沢さんが学年1位を取ったと知ってしまい、般若になります。しかし、その奈々沢さんが性格まで美人だということを知って、自己嫌悪でよけいに落ち込みます。そこまでが第55話。そのあと、2人はドーナツをきっかけに話すようになり、第127話ではお互いに尊敬しあえるベストフレンド同士になって……ぐ…涙でてきた…。
3位 第59話『走れ走れ小野田さん』
成績が芳しくなく落ち込んでいる小野田さんを美好たちがそっと支える回。泣けます。(私の涙の価値が大暴落している…)
かおる先輩とマスク先輩
かおる先輩
ほのかのお姉ちゃん。プレイガールで、でも極端に繊細なところもある。けっこう、ステレオタイプの感じがします。スカートを折らずに切っているところ、ガーターベルトをつけているところ(第42話)、水着のデザイン(第68話)など、美意識が高いです。
マスク先輩
大仏×阿修羅BLを絶賛制作中の漫画研究部員です。歯列矯正を隠すためなのか、マスクをしています。かおる先輩からモーションをかけられてもなびかなかった、ほとんど唯一無二の女の子です。裕福な家庭の子なのか、高級なデスクチェアを使用しています。
こちらは時系列順に並べたほうがわかりやすいかと思います。
第113話『漫研のBL合宿』(9巻収録)
ほのかの家でBL風呂(?)をたしなむ漫画研究部員のマスク先輩、鬼火先輩、みどりり。そこへ、ほのかの姉であるかおる先輩が帰宅します。マスク先輩の素顔があらわになる初シーンです。かおるのプレイガールスイッチをオンにしたマスク先輩の美しさにどきどき。神回である第127回を楽しむために読んでおきたい回です。
第122話『図書室の戦い!』(9巻収録)
図書室で、いつものように女を口説いて回っている、かおる先輩。マスク先輩を見かけてキスを仕掛けますが、拒絶されてしまう…というエピソード。衝撃を受けた読者が多かったようです。
第132話『かおるリベンジ』(10巻収録)
かおるのマスク先輩への気持ちが、遊びから恋に変わる、その瞬間を描いています。
みどりりと響木
みどりり
メガネをかけてるコロボックルです。Dカップでノーブラ。漫画研究部の1年生で、先輩たちにいつも心配されています。かわいいだけでなく、周囲に迎合せず好きなものを貫き通す姿がかっこいい、そんなキャラでもあります
響木(ひびき)
オトメで唯一、彼氏がいたキャラクターです。バイセクシャル(または、ちやほやされるのが好きなヘテロ)で恋愛脳。みどりりとは対照的なキャラクターです。
1位 第119話『モデルと絵師』
絵師を名乗るわりに絵が下手すぎるみどりり。漫研の先輩たちは褒めてくれるけれど、響木は甘くありません。アドバイスを受けて絵に取り組む、みどりりの真剣な目にドキッとさせられます。2人それぞれの未来を思ってジーンとしてしまう回です。(9巻)
2位 第145話『生徒会in the snow』
中庭に積もった雪を見て、無邪気に雪遊びするみどりりを連想した響木。いつもは積もった雪なんてスルーだけど、架空のみどりりを見習って飛び込みます。生徒会メンバーである奈緒ちゃんや小野田さんを巻き込んだこのエピソードは、ゆるやかに、でも烈しく変化成長する青春時代を見事に切り取っています。(11巻収録)
3位 第172話『あっ!吸い込まれた!』
異世界で男性性器を探すという狂ったBL本『欲しがれ!欲望戦士ナオト!』から、かわいい女の子2人のお話への激烈な転調…。このエピソードでみどりりを好きになったというコメントも散見されました。なんかいろいろとすごいです。(13巻収録)
(第108話の喧嘩回もええでー!)
奈緒ちゃんと鬼火先輩
奈緒ちゃん
性的行為でストレス発散するタイプの真面目ガールです。野外露出にチャレンジするなど、このままでは孤高のエロを極めてしまいそうです。
第35話『奈緒の素敵な元旦』
エロ番組をワンセグで見るため電波集めにまい進する奈緒ちゃん。わかるよ。わいも子供のころ頑張ってイカ天みてたよ。イカ天であってるよね?
第123回『恐怖の聖なる時間帯』
12月24日は一年で最も性的な時間だそうで、怯える奈緒ちゃん。なんでやねんねんねん!
鬼火先輩
第147回(12巻収録)で、ついにその美しすぎる素顔を見せた漫画研究部の部長、鬼火先輩。別名、擬人化の鬼。まだ絡みはじめたばかりのこの2人。
第150話では、ついに奈緒ちゃんの変態行為が鬼火先輩にバレてしまいます。これからが楽しみで仕方がないですな。
キットチャンネルのコメント欄に女神たちが降臨している
昨夜はyoutubeのキットチャンネルのコメント欄が面白すぎて眠れなかった。以前のエントリで、キットチャンネルのファンにはシスジェンダー女性が多い、その大部分は彼らをクリエイターとしてではなく男性アイドルとして消費しているのではないか、などと書いた。だがコメント欄を熟読してみると、ファンの中にはFtM当事者、Xジェンダー、ゲイ、バイなど、さまざまな視聴者(リスナー)がいることが分かった。
「コメント欄を熟読って、どんだけ暇人やねん」という突っ込みが聞こえてきそうだけれど、ぜんぜん暇じゃないんさ。仕事も家事も仕事以外のたのまれごとも返してないメールも山積みである。もういやになるんである。そんな私の現実逃避に、youtubeのコメント欄はうってつけなのであった。という必死の言い訳なのであった。ほんとは性格わるいだけである…。やんなるぱんちゃー!!!!
私のセク
自分のセクシュアリティくらい書いておかないと安全圏からの、あまりにも安全圏からのブログちゃんだよね。
私のセクシュアリティはパンです。誰かを「男として」「女として」好きになるというよりも、「その人として」好きになる感じなので、バイではなくパンセクシャルな気がしてまふ…。説明がめんどくさいのでバイだと言っちゃうことが多いのですがそこは反省してまふ。ジェンダーは女です。
炎上じゃないってはっきりわかんだね
いままで、炎上の渦中にいる群衆にも、それぞれ役割というものがあるのだなと感じてきた。「(対象物を)批判する者・擁護する者」そして、「(批判者擁護者の言い争いを)仲裁する者」。たいていこの3つに分けられるように思う。
批判者、擁護者、仲裁者がいて初めて、炎上の炎はぼうぼうとめらめらとぱちぱちと燃え上がるのだ。そういう意味では、キットチャンネルのコメント欄は炎上していない。
まず批判者と擁護者の数が少ない。少数の批判者と少数の擁護者がいるが、両者のあいだに言い争いはない。よって仲裁者もいない。なぜ両者のあいだに言い争いがないのかというと、当該動画は「賛否両論ある」ものではないからだろう。乱暴な言い方になるが、炎上とはたいてい賛否両論ある案件に起こるものなのではないか。
さて、いったいキットチャンネルのコメント欄にはどんな人たちがいるのだろう?
女神だ。
女神だらけだ。
西洋的なフェミニズムの世界では、母性というのはまったくの神話であり、母性本能というのも女性差別を助長しかねない言葉である。それと同じで、母性を感じさせる、女の面倒見のいいコメントを「女神!!!!」と礼讃するのも、女性差別を助長しかねないのかもしれないがあえて言わせてもらう。
女神ばっかりのコメンツ欄やんけ♪
まるで、息子に対する母親のアドバイスびっちりお手紙を読んでいるかのようである。みんなめっちゃ優しい。この女性性ならぬ「女神性」は、男性陣にも宿っている。FtM当事者さんなどのコメンツも、読みやすくて、ていねいで、その人らしさがこもっているものばかりである。男子も女神だ。いままでキットチャンネルを支持してきた視聴者は、心が柔軟で、優しくて、他者への共感性に長けている人ばっかりなのだろう。それは、もともとキットチャンネルの2人が、そういう人物だったからなのではないだろうか。類は友をよぶのだ。
まだモヤモヤしている視聴者もいるだろう、と思う。コメント欄には、何度も何度もコメントしているユーザーがいた。しかも、Twitterでも英翔はんに絡んでしまっている。その熱量とダークサイドにおちた感……。嗚呼、はやくモヤモヤを解いて、いつもの日常に戻って、心を平和にして、と私ははたから見ていて苦しい思いがする。
人を傷つけずにはいられないというかなしみ
英翔はんは、アンチに物申す動画の中で、「こんなコメント誰も幸せにしてない、そのコメントをする労力が無駄、さびしい人」などと言っている。上述のTwitterでも「さびしい人」発言をしていた。私は、英翔はんとファンが絡んでいるTwitterを見た直後に、なんだかとっても悲しくなってしまった。そしてキットチャンネルにかんするすべてのページを閉じた。その直後、金原ひとみのbunkamura(ドゥマゴ)連載中エッセイを読んで泣いた。
死ぬまで誰も傷つけたくない。誰の心も体も、傷つけたくない。―街に溢れるハラスメントや中傷の言葉、ネット上の罵詈雑言、全てが耐え難い。―傷つけたくないという思いがまた誰かを傷つけ、自分自身も傷つけていく。
(金原ひとみ/パリに暮らして/最終回『ピュトゥ』)(※ーは中略です)
なぜ、相手を傷つけてしまうような言葉を、人は選ばずにいられないのだろう。おそらく、相手や自分を守ろうとして放った言葉が、たまたま無数の針を含有していたとか、そういう、偶然に因るところもあるようなことなのだろうけれど。それでも悲しい。
人は変わらずにはいられないというかなしみ
手話の動画が出ていた頃と、いまと、奏太くんの変移を見比べてみると、いわゆる「パス度」が上がっているように思う。以前はまだ中性的な部分が残っていて、それがまたひとつの魅力であったようにも思う。だが、それはかなしゃすの望むところではない。服装も髪型も、どんどん男性ホルモン感マシマシになっていっている。もちろんファッションだけでなく、肉体的にもホルモン剤の筋肉注射を打ちつづけているわけだから、どんどん男性ホルモン系の容貌に変わっていっているのかもしれない。2人は別の動画で「ホルモン注射を打ち始めのころ、思春期の男子のようになる」と言っていた。それが事実なら、ホルモン注射を打つたびにゆっくりゆっくり、身体、そして身体の変化につれてマインドも変化していっているのかもしれない。
だがこれは、何もホルモン注射を打つトランスジェンダー・トランスセクシュアルに限ったことではない。人は誰でも、おそろしいほど、変移していくものなのだ。
大好きだったアーティストが、時を経て表現方法をころりんこと変えてしまうことはよくある。ピカソだのゴーガンだのもそうだ。変わらない人なんていない。でも、人は相手に、変わらないことを、求めてしまうのではないだろうか? 「私はいまのきみが大好きだから、変わらないでいてよ」みたいな感じでさ。
だからもしかしたら、ずっと前からキットチャンネルのファンだった視聴者は、「変わらないでほしい」という純粋な気持ちを決定的に裏切られて、より傷つき、悲しくなったのかもしれない。
でも人は変わるんで、がんばって受け入れなきゃですよ…。ええ。それはしゃあない。
相手が変わりゆくなかで、「もはや自分が好きだった相手ではない」という地点というものが時間的空間的に存在するのかどうかはわからぬ。しかし高校時代からズッ友達とかだと、たぶん自分が好きだった相手でなくなった後でも、その名前と輪郭だけで、安心したり、一緒にいて落ち着いたりするのではなかろうか。
(ホルモン剤のけん、偏見を助長しないかと不安なんだけどどーだろ。べつにホルモンで誰でも変わるとかじゃぜんぜんないからね!!個人差ありまくりだからね!!そこのところよろしくな。)
↑大好きなしぇんぱいが変わっちゃうんよね。どっからどこまで好きなんだろね。
人間関係はあるいみ幻滅の連続ですからな~
じつはここまで、コメント欄だけ読んで、ライブ配信の動画を視聴していなかった(だって怖いんだもん)のだがいま見た(ブログ書くのに何時間かけんねん・・)。それでわかったんだけど、視聴者が嘆いている、いちばんの理由は、やはり幻想破壊なんじゃないかな……。「苦労を重ねて、傷ついた経験もあって、きっと人間性が深いだろう!」と想定していた大人の男たちが、じつは普通のめっちゃ浅い男子だったという事実。その幻滅を嘆いていて、親のように教え諭そうとしたり、ブチギレたり(一部)しているのかもしれない。
だけれど、夫婦とか、恋人同士でも、幻滅の連続だったりするものだ。べつに今回のことでキットチャンネルが伸びなくなるとかはないかもしれんね。
・だけどポリコレ棒でたたかれること間違いなしのインド人動画は、消したほうが100パセントいい。それこそ誰も幸せにしてないのよ。(モデルがいるからいいと思うかもしれへんけど、「インド人と当てる」なんて趣旨はやべえ。日本人全体を不幸にする動画やと気づいてほしい…タノム!)
・「女々しい」はさ、そりゃ男にも女性性はあるし、女にも男性性はあるんやで!
Xジェンダーで完全に性別を排している人もいるのかもしれない。でもそれ以外のひとたちは、基本、女性性と男性性両方持ち合わせているものなんやと思うよ。ぷにぷに
実録 泣くまでボコられてはじめて恋に落ちました。(1) (BUNCH COMICS)
- 作者: ペス山ポピー
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- 発売日: 2018/04/09
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→(再度)神漫画
気圧鬱で3日間キットチャンネルに恋してた話
この3日間、私はベッドから出られず、人のLINEも受け付けず、メールも返さずにいた。どうしても書かねばならぬ文章だけちょこちょこと書いて、あとはタオルケットにくるまってiPhoneを手にただじっとYouTubeを見ていた。
- YouTubeのおすすめ動画にキットチャンネルがでてきた
- わたしとFtM
- シスジェンダー女性の共感を得やすい
- ※うわああああああああ読まないでえええ
- コメントに反応する動画
- 「男性アイドルとして消費されるつもりはない」のでは?
- 恋すると元気なあほになる
- ありがとうきゃにゃしゃす!
YouTubeのおすすめ動画にキットチャンネルがでてきた
YouTubeを見る時の私というのは、たいてい憂鬱な気分に陥っていてベッドに張り付いている。暗闇で、スマートフォンで視聴できるYouTubeは、なんにもしたくない時の「ひたすらだらだらしたい」という気分にうってつけだった。その日、いつものように憂鬱気分に捕らわれた私は、ベッドでごろごろしながら「えむれなチャンネル」を見ていた。それから、オススメされた「しばなんチャンネル」の出産感動動画を視聴したのちに、なぜかオススメ動画の中に現れたのが、「キットチャンネル」だった。
わたしとFtM
「キットチャンネル」は、FtM(フィメールがメールに。トランス男性)の「英翔」と「奏太」の運営するチャンネルである。私の知るトランス男性といえば、まず思いつくのが漫画家のぺス山ポピーさんだ。その他、いまは疎遠で連絡もとれないような知人が幾人か、頭の中に浮かんだ。だがそれらの知人は、どちらかといえばFtX(フィメールがXに)という感じだった(というかBOI)。性自認は男性寄りで、身体は女性、となるとFtMっぽいが、当人が自分の身体の女性的特徴を肯定している場合はFtMではなく、FtXという感じがする。そういう場合もあることを考えると、性というのは、ぱっきりとは分別しかねるもので、グラデーションという先人のたとえがぴったりくる。ともあれ、FtXっぽい人しかリアルには知らなかった私は、性適合手術を受けて性別をスイッチ=移行したトランス男性をこの目で見るのは初めてだった。(MtFはてれびでよくみるし、2ちょでもみる)
「キットチャンネル」には、「元女子あるある」などトランス男性ならではの知見や悩みを披露する動画がアップされている。そのほか、「ドッキリ」や「カップルユーチューバーあるある」などこれぞyoutuberという感じの動画(※にわか視聴者の意見です)が上げられている。他に多いのが旅動画(台湾やタイでのフリーハグやヒッチハイク、LGBTにまつわる街頭インタビューなど)で、これも同チャンネルの大きな特徴となっている。
シスジェンダー女性の共感を得やすい
キットチャンネルの片方「英翔」は、祖母だけ日本人で中国語が話せる。家族がばらばらになったり、また戻ったりと、山あり谷あり、苦労の多い半生をおくっている。筆者の私自身とも重なる部分があり、好感ももてた。
そしてもう一方の「奏太」は、両親が聾であり、手話ができる。大阪出身で、関西弁も話せる。23歳まで性適合手術を受けず戸籍も女性だったそうだ。当時の写真を見ると、化粧をしていたり、髪を伸ばしていたりと、「女になるためにがんばってた」感がある。つまり、「与えられた身体的な性に従って生きねばならない」と、もがいた時期があったのだろう。これはじつは、シスジェンダー寄りの女にも、かなりの共感性のある話題なのである。誰もが最初から「うぉんな!」だったわけじゃない。歴代糞男たちの決めた糞みたいな女らしさだって、身にまとえば槍&盾になるのだと拙い知恵をつけてしまうのが日本人女性ではないだろうか。そんなのは、他者の決定した「清潔感」を身にまとうのとまったく同じような迎合である、と私は思う。のだが、まあとにかく、「女になるためにがんばってた」時代がある「奏太」は、多くの女性の共感をかっさらっていったのではないか、と想像する。そして彼は、あまりにも、あまりにもイケメンだった。男としてかわいかった。その仕草や、笑顔のつくりかた、笑いかた、手話、やわらかな関西弁、もうなんかぜんぶに恋をしてしまうような。そう、この日記は、じつは奏太もとい「かなしゃす」に恋した3日間をふりかえる日記なのだ。。。
※うわああああああああ読まないでえええ
私はかなしゃすの手話動画を何度も再生し、かなしゃすが別れ話をしているカップルユーチューバーあるある動画や、かなしゃしゅが浮気されるドッキリのカップルユーチューバーあるある動画を見漁った。そして「はぁ、なんなの、好き」「元気出る・・」と心のなかで甘いためいきをつきまくりなのだった。そんな自分にキモイ真似はやめろ(怒)とぶちぎれる余裕もないくらいにハマっていた。
奏太はんのTwitterを見てもたいしたことは呟かれていなかった。私はそのおもんなさに愕然とする一方で、「だがそこがいい!!!!」と結論づけていた。たいてい、人は相手のにんげんらしさ(抜け感)に恋をするのだから。じっさい、いつも、いっつもそうやってこいにおちる。
コメントに反応する動画
ところで、私はYouTubeをゲスト利用(?)しているだけで、チャンネル登録はしたことがない。チャンネル登録をするとコメントが付けられるのだろうと思う。それらのコメントを見てみると、英翔と奏太の2人を男性アイドルだと思ってる感じのシスジェンダーっぽいコメントが多いのだった。
さてさて、長くてどうせ誰も読んでないんだろうけれど、昨日のことである。
YouTube「キットチャンネル」が更新したのは「【注意】不快な方は見ないでください。」という動画だった。サムネイルには眉間にしわを寄せた2人の顔、そして「アンチコメント 物申す」というカラフルなテキストがどかんと掲げられている。
動画では、英翔氏が、レイシズムを感じさせるもの、偏見を感じさせるアンチコメントなどをピックアップして、いつもの長広舌で反論している。そこまではいつも通りだった。だが後半以降、2人はNOTアンチコメント(「黒髪のほうが似合ってた!」とか「かっこいい♡」とかいう、恋してあほうになっちゃった女たちのコメント)に対しても愚痴をいいはじめたのである。これは、いままでの動画で培ってきたものを唾棄するかのような愚痴大会である。なぜこのようなことをしたのか、もし2人にメリットがあるとすれば、炎上商法かな、と思う。
「男性アイドルとして消費されるつもりはない」のでは?
炎上を狙っているのかしらと思わせる理由はいくつかある。動画の制作工程には、企画段階というものがある。企画段階で「お酒の力を借りて」という設定をつくったのだとすれば、それ自体にアンチホイホイ感が満載である。そして動画制作に欠かせないのがカメラ撮影後の編集作業である。編集は時間がかかるし集中力がいるので、酔ってちゃできない。それなのに、酔っぱらいの失言をカットせずに、むしろそれを生かして動画を作ってしまうというのはもう…。
もしも、炎上など狙っていない!率直な意見を主張しただけ!…というのなら、おそらく2人は「消費されたくない」のだろう。男性アイドルとして消費されるよりも、クリエイターとして影響を与えたいというような願望が、2人にはあるのだろう。
だとすれば、私は自分を嫌悪する。男性アイドル消費的なかたちで2人の動画を見ていたことを、まじきもいこんな自分もうやだぁぁぁああ><。。。。って嫌悪するです。
恋すると元気なあほになる
コメント欄を眺めていると、女(男を好きな心のことをここでは女といいたい。)たちの言い分がたっぷりと載せられていて面白い。みんな恋してたんやな、と思わされる。恋に幻想はつきもので、その幻想が壊されたときの、女の情念だいばくはつが見られる。こういうのを外で見ているのは面白い。チャンネル登録していなくてよかったぁと思った。(してたら、私も女の情念ねっちねちこねこね♪してたんちゃうか、間違いなくしてたな、てかいまもある意味してるよね・・
ありがとうきゃにゃしゃす!
2人は、「外貌じゃなくて動画の中身を見て欲しい」と、主張していた。(まるでビジュアル系と呼ばれることを嫌いMステのスタジオから立ち去ったとあるバンドみたいに)
でも、奏太くんが私好みの外貌・仕草・うごき方・喋り方でなければ、たぶん私は動画を2、3本みて、終わらせていたのではないだろうか。もしかしたら日本のLGBTsの新たな情報発信源としてブログに載せていたかもしれない。親指Pとかリリースとかの小説紹介と並べて紹介していたかもしれない。でもそうはならなかった。かなたくんをアイドルとして消費していたのかもしれないということに気づき、そんな自分を嫌悪するから。
というわけで私の恋は冷めたけど、かなしゃすの人間としての魅力は変わらない。
(しかし、この動画がじつは次作動画の前振りだった!とかであればいいな。彼らの発言とアティテュードがぜんぶ演技であればいいな。 としつこい。)
はらへった~
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神漫画↑
三島由紀夫賞受賞きねん。古谷田奈月『橙子』
『無限の玄』で第31回三島由紀夫賞を受賞された古谷田奈月さん。
あー好き好き好き好きがとまらなっしんぐ。
そんな受賞記念の文章を書いておきます。長くなりそうでこわうぃ。
まずは、たべるのがおそいvol.4 古谷田奈月(こやたなつき)の短編『橙子』について…
あらすじ
高校の入学式を終え、父親と2人でバスを待つ主人公、橙子。中学とのいちばんの違いは、橙子のベストフレンド花緒里がそばにいないことだ。花緒里は美人で、どこか主役級のオーラを持った子である。しかし、そんな魅力たっぷりの花緒里でも、同級生の矢俊(ちかとし)君に熱烈アプローチをして何度もふられ、やっと付き合ったものの交際1年でまたしてもふられてしまう。ちかとし君は、外見はかっこわるいけれど、豊かな想像力をもった優しい男子だ。なぜ、彼が彼女をふったのか、それを知った時、橙子は痛いほどの共感を覚えたのだった。――高校の入学式の帰りのバス停で、さまざまに思いをめぐらせながらバスを待つ橙子だが、そんなセンチメンタルもままならないほど、じつは、さっきからイライラさせられている。ムカつきの元凶は、一緒にバスを待っている、ちんちくりんパパである。橙子と同じくらいの背丈のこの親父は、見た目もさることながら中身も「かわいい」。16歳になろうとしている橙子は、このいじましいブリッコオヤジに嫌悪を覚えはじめている。親父は娘の内面で起きている精神殺傷事件に気づきもせず、かわいこぶりっこをしつづける。いまやバス停に並ぶ同級生たちも認めているカワイイパパを、自分だけは認められない、そんな自分の冷たさに自分で傷ついてしまう橙子だが…。
感想
「天才っていわれると、努力してないみたいで嫌や」って最初に言ったの誰ですか? パヤオ? パヤオなら許す。おれら観客。努力云々なんて頭にない。結果を礼讃するのみ。だからこっちもそんなつもりで言ってないってわかってほしい。「天才:きみのつくるものに対してわたしは最上級に感動したよ」ってニュアンス汲んで。タノム。
なーんて、でも、やっぱり、わかるよ。褒めるなら、もっとちゃんと、的確な言葉で伝えてほしいんだよね。んもー贅沢な。
で、古谷田奈月(さん)!天才。神。短編でこんなに泣かせるなんて。なんだろね、こういうの、においがするというのかな。苦しいほどの、喚起させられ体験。私、中学生の頃、周囲に対してね、橙子が父に抱く何かに似た何かを抱えていたよ。で、それは、けっして馬鹿にできない、ほんもののプライドのようなものだったのだと、『橙子』を読んで、過去を再編集したよ。ほら、ひとは思春期をゆびさして嘲笑う。揶揄や自虐のための造語も産まれてしまった。(まーいろいろあるよ、わらうことが、救いにもなるよわかる、)だけど、そのころの多感というのは、嘲笑すべきものではないんだよね。自分自身の心の動きに対して傷つくという経験を、みんな、経て、やっとこさ生きているんだと思うから。
代表作かもしれん『リリース』
精子バンクテロ。二転三転するストーリーと、魅力的なキャラクターたち。むりのない、手にやさしく馴染むフェミニズムにほろっと心がほぐれる。
古谷田奈月の台詞回しはね、翻訳調とはまた違う、アメリカ映画字幕節っていうかな、たまんねーのさ。外国映画ファンには脳内映像再生不可避よ。なんか、読んでて、ブロードウェイ。身体揺れちゃうもん。
まあとにかく、おもしろいから読め(キモオタスマイル)
(キモオタスマイル)←使い方あってるかわからないし、村田紗耶香の小説にでてくる迎合マンみたいで嫌やけど、でも、なんか好きで、おもちゃみたいに、遣ってしまうなぁ。だからあかんねん、わたしわ。。
『無限の玄』
メンバーは肉親のみ!のストリングバンド「百弦」をいとなむ男だけの家族の話。死んだ父が何度もよみがえるらしいのだが、新潮で途中までしか読まれへんかってん。早稲田文学の増刊号に掲載してたんやけど、買ってないの。。それに、「文芸誌で読んじゃったら単行本のほうを買わないあるある=著者は原稿料だけになっちゃう…応援にならねぇ……」なので、単行本でたらソッコー買ってレビューします。とりあえず、インタビューに答えた著者古谷田奈月によれば、最初の夜、リビングに降りたところで世界が変わるらしーんだけど、マッジッで!!!!じかんがゆっくりになったマジック。言葉って魔法だったね。
好きです。
第31回三島由紀夫賞候補作は、服部文祥『息子と狩猟に』古川真人『四時過ぎの船』高橋弘希『日曜日の人々(サンデーピープル)』飴屋法水『彼の娘』古谷田奈月『無限の玄』です。受賞者インタビューのほか、辻原登、髙村薫、川上弘美、町田康、平野啓一郎による選評も読めます。
ムーン・パレス
ムーン・パレス
- 作者: ポール・オースター,Paul Auster,柴田元幸
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1997/09/30
- メディア: 文庫
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柴田元幸訳
登場人物
マーコ・スタンリー・フォッグ:通称MS。この小説の主人公で語り手
ビクター・フォッグ:主人公を育てた伯父さん。クラリネット奏者
エミリー・フォッグ:主人公がこどもの頃、車にはねられて亡くなった母親
キティ・ウー:主人公の彼女。チャイナドレスが似合う
デイヴィッド・ジンマー:主人公の友人。詩を書いている。のちに家庭のパパに
トマス・エフィング:主人公を雇った車椅子の盲人。威張り散らす金持ちジジイだが…
パベル・シュム:故人。エフィングの以前の雇人。車にひかれて亡くなった
ミセス・ヒューム:エフィングの家政婦。主人公に多くを教えてくれた
チャーリー:ミセス・ヒュームの弟。長崎原爆投下計画にかかわり発狂した
ジュリアン・バーバー:エフィングの本名
ソロモン・バーバー:ジュリアンの息子。160キロの巨漢
エリザベス:ジュリアンの妻であり、ソロモンの母親。重い精神疾患を抱えている
エドワード・バーン(テディ):18歳。ジュリアンの友人。地誌学者になるのが夢
ジャック・スコーズビー:40代後半の山岳ガイド。口のうまい小男
トム:洞穴の死体
ジョージ:「口裂けジョージ」。トムの友人。頭のたらない、優しいインディアン
グレシャム兄弟:犯罪者コンビ。洞穴の死体、トムを殺した犯人
あらすじ
1章:主人公は、ニューヨークのアパートで一人暮らしをしている大学生MS・フォッグ。1967年に唯一の肉親であるビクター伯父さんを亡くした時から、精神の縁をさ迷い始める。ビクター伯父さんの遺産である1,492冊の蔵書を読んでは古本屋に売って、微々たる金銭で暮らす。友人ジンマーや、のちに彼を助けてくれるキティ・ウーとすれ違いつづけていた1969年の夏、電気代を払えず、家賃も払えず、アパートメントから追い出されてしまう。
2章:1969年8月。セントラルパークでホームレスな暮らしを始めるMS。伝染病にかかり烈しい嘔吐をする中、パーク内に洞穴を見つける。そこで三日三晩雨風をしのぎ、出てきたところをキティ・ウーとジンマーに救出される。
3章:9月。ウェストヴィレッジのジンマーのアパートに居候する。偶然が重なり徴兵から逃れる。台湾出身、元在日大使の子でジュリアードの学生(ダンス専攻)のかわいこちゃんキティ・ウーと恋人同士になる。シンクロするフォーチュン・クッキー。
4章:11月1日。86歳、車椅子の盲人トマス・エフィングに雇われる。ウェストエンド・アベニュー84丁目のエフィング宅に住み込んで、朗読や車いすを押しての散歩などの業務に従事。エフィングがMSに課した最も重要な仕事=死亡記事の作成に携わる。エフィングの語るエピソードを聴き、それをノートに書き留める。
この、エフィングの語る自身のエピソードは4章~5章における作中作といっていいものになっている。4章では、若かりし頃のエフィング(ジュリアン)が仲間のバーンと一緒に旅に出て、壮絶な体験をしたことが語られる。
5章:エフィングの語りの続き。あやうく死ぬところだった彼が、洞穴を見つけたために生き延びるというエピソードである。MSはノートに書き留めたエピソードをタイプライターで清書する。
また、エフィングには息子がいるということを知らされる。ソロモン・バーバーである。死後、この息子ソロモンに死亡記事を送ってほしいと遺言されるMS。
6章:エフィングが亡くなったあとで、死亡記事を指定された場所に送る。エフィングの遺産により、キティとチャイナタウンの一角に200平米のお部屋を持ち、素晴らしい日々を送ることができる。
エフィングの息子で巨漢のソロモン・バーバーと会い、キティと3人で仲良くなる。
だが、キティとの間で避けがたい諍いが起き、別れることとなる。
7章:絶望したMSはソロモン・バーバーと一緒に、(エフィングの死亡記事にあった)洞穴を探す旅に出る。やがてある事件が起き、物語は収束へ向かう。
感想
・1章で卵星爆発したあたりから、「なんでこのひとバイトしないん?」って思っちゃってた。その理由は3章に、冗談めかしながらも書いてあった。
「人間の人生というのは、無数の偶発的要素によって決められるのです。人は日々、これらの衝撃や偶然に耐え、何とか平衡を保たんとあくせくしています。2年前、個人的かつ哲学的理由から、僕はこの苦闘をやめてしまおうと決意しました。―(中略)―世界の混沌に身を委ねてしまうことによって、何か隠れた調和を世界が啓示してくれるんじゃないか、おのれを知るに役立つ何らかの形なりパターンなりが見えてくるんじゃないか、そう思ったのです」
※ちなみに、徴兵検査の精神科医との面談でかました、この「迷演説」でもってMSは徴兵を免れる。
・私の好きなパートは、4章~5章のトマス・エフィング編。魅力的な逸話の数々に参っちゃう。テスラを透かす諸行無常、電気椅子を生んだエジソンの殺生パフォーマンス、ブレイクロックの静かな絵画。ポール・オースターのすさまじい描写力が柴田元幸と官能的にダンスしてる。らぶ。
「空の中のある一点を基準として定めなければ、地上における自分の位置を正確に決めることはできない、とバーンは言った。―(中略)―月や星との関係においてのみ、人は地上での自らの位置を知ることができる」
エフィングが感銘をうけ、ことあるごとに思い返してきたバーンの言葉は、MSが「自分より大きなもの」を知ってからやっと始まりの地点に立てたこととリンクしている。物語には他にもこのように、リンクする箇所がふんだんに散りばめられていて、キーワードキラキラ光って見える。ムーン・パレス、フォーチュン・クッキー、太陽と月と地球、惑星がしかるべき位置におさまらない限り笑わなかった母親、月を旅する人、ナバホ族の髪飾り。
もうさ、キュンキュンしかしない。らぶ。
・エンタメのにおいのついた楽しい仕掛けがいっぱいの小説なんだけど、それだけじゃなくて、心にずーっと残ってくれる。なんかほんと、しあわせだー。
いわばそれは世界の不可解さの結節点だった。
・自分が貧乏学生だったころを思い出したナー。パスタゆでて、ケチャップだけつけて食べてた。1日にグレープフルーツ一個ってこともあった。脚がいたくてもヒールを履いた。そして野宿、野宿野宿。いくつものおうち、洞穴。MS、わかるぜ、ひとりでゲロを吐くときが、いちばん、孤独だよね。
でてくる本detekurubon
本書ムーン・パレスでも出てきた、ウエスト・ヴィレッジの飲み屋ホワイト・ホースがでてきます!ニューヨーク旅きぶん。
- 作者: ポールオースター,Paul Auster,柴田元幸
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2010/09
- メディア: 単行本
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セントラル・パークをまた違った目でめっちゃ見る!